農と食文化のあるまちづくり

は じ め に


 本書は,都市農業の多面的機能である食料供給機能,国土・環境保全機能,アメニティ維持機能を積極的に活用したまちづくりの考え方と手法,事例とを明らかにしている.このようなまちづくりを「農と食文化のあるまちづくり」と呼ぶことにする.
 平成3年の生産緑地法改正前後には,「農のあるまちづくり」が都市農業のめざすべき方向としてよく使われていた.しかし,その後の都市農業の展開の中で,新鮮で安全な地元農産物の朝市・直売,農産物加工・直売,女性グループによる郷土食の見直しと農家レストランの開設等が増加してきた.地元の旬野菜や伝統農産物のブランド化への取り組みが広がりつつある.すなわち,「食文化のあるまちづくり」が定着しつつある.このような動きを背景にして,平成11年に施行された食料・農業・農村基本法では,第36条で「都市及びその周辺における農業の振興」と「都市と農村との交流,市民農園の整備等の推進」が明記され,都市農業の振興がはじめて農業法律の中で位置づけられた.
 本書では,「農と食文化のあるまちづくり」を紹介するために,農水省の農業統計に用いる農業地域類型のうち,都市的地域の農業を都市農業と呼ぶ.農業地域類型の都市的地域とは,「可住地に占めるDID(人口集中地区)面積が5%以上で,人口密度500人以上又はDID人口2万人以上の旧市区町村」,又は「可住地に占める宅地等率が60%以上で,人口密度500人以上の旧市区町村.ただし,林野率80%以上のものは除く」である.
 都市計画法に基づく,市街化区域と市街化調整区域とへの線引きは,昭和44年から実施された.とくに三大都市圏では,歴史的に集落と農地とが広範囲に混在していたこと,高度経済成長最盛期における土地需要の増大と地価高騰との状況下で,短期間に線引きが行われたこと等から,多くの農地が市街化区域の中に取り込まれ,現在でも営農されている.
 農業振興地域の整備に関する法律(昭和44年施行,以下,農振法)では,都道府県が農業振興地域(以下,農振地域)を指定し,同地域を対象に市町村が策定する農業振興地域整備計画において,まとまりのある優良農地は農用地区域に設定されている.農用地区域では,国の直轄・補助・融資事業が重点的に実施され,農振法と農地法により農地転用等が厳しく制限されている.
 しかし都市的地域では,市街化調整区域でも農振地域外農地や,農用地区域外の農振白地農地が少なくない.これらの農地では,制度的な支援・規制が不十分であり,無秩序な農地転用と営農環境の悪化等により,耕作放棄やゴミの不法投棄等が広がり,自然環境や景観,生活環境等に悪影響を与えている.まさに,市街化区域内農地も含めて,都市農業は長い間行政の狭間に置かれ,農業者の創意工夫により生き残ってきたといえる.
 平成3年の生産緑地法改正以降,市街化区域内農地が農業に利用する農地(生産緑地)と宅地化する農地(宅地化農地)とに二分され,30年以上の営農継続が義務づけられた生産緑地への農地並課税と宅地化農地への宅地並課税とが実施されている.
 同法改正により,国と地方自治体には生産緑地の保全を図り,都市環境の形成に資する責務が課せられ,都市計画制度上の生産緑地の位置づけが明確になった.しかし国の農業政策では,農振地域を中心とする農政の推進原則がそのまま継続されており,生産緑地に対しては水利関係の一部の事業が限定的に実施されているにすぎない.
 バブル経済が崩壊して10年が経過した今日,都市政策は既成市街地中心部の再活性化を課題にしており,都市農業・農地に対する「都市圧」は鈍化してきている.これとは対照的に,都市農業の多面的機能に対する「市民圧」が拡大してきているのが現状である.
 都市農業の多面的機能に対する「市民圧」とは,新鮮で安全な地元農産物への消費者ニーズ,市民農園・観光農園・農業体験への利用ニーズ,ガーデニングやグリーンツーリズムのブームを背景とした朝市・農産物加工直売・農家レストラン・農業公園等への利用ニーズの高まりであり,都市環境のために都市農業の食料供給機能や国土・環境保全機能,アメニティ維持機能を積極的に活用することへの住民意向の高まりである.
 「市民圧」の拡大の背景には,@市街化の進展と都市圏の拡大とにより,「農のあるまち」と「農のないまち」,「食文化のあるまち」と「食文化のないまち」の違いが目に見えてきたこと,A農村から都市に出てきた人々の世代交替がすすみ,都市で生まれ育った人々が都市人口の多数を占めるようになり,農業・農地を多面的に捉える人々が増えてきたこと,B地球規模の環境問題と食料危機への不安,平成米騒動,阪神淡路大震災,異常気象の下で多発する水害と水不足等により,食と農への関心が高まっていること,C週休二日制の拡大と雇用不安・賃金圧縮との下で,身近な余暇と生活環境への関心が広がっていること等が挙げられる.
 このような都市農業・農地に対する「都市圧」の後退と「市民圧」の拡大は,長い間行政の狭間に置かれていた都市農業に対して,「農と食文化のあるまちづくり」を基調に体系的行政施策を打ち出すチャンスを与えている.

 本書は,前半の総論と後半の各論との二部から構成されている.前半では,都市農業の役割(第1章),都市農業活性化の方向と課題(第2章),都市農業の多面的機能と住民意向(第3章),公益的機能の活用と都市農地保全方策(第4章)を検討して,都市農業の多面的機能を活用した「農と食文化のあるまちづくり」の全体像を明らかにしている.
 後半では,市民農園の概要と新しい動き(第5章),生涯学習のまちづくりに生かす都市農地(第6章,築山崇・京都府立大学福祉社会学部助教授),都市的地域における農業と環境(第7章,竹歳一紀・桃山学院大学経済学部助教授,金子治平・神戸大学農学部助教授),農協の農住まちづくり事業の役割と課題(第8章)を検討して,都市農業の多面的機能のうちとくに市民農園,生涯学習,農業環境,農協の農住まちづくり事業について詳しく紹介している.

 なお,本書の出版にあたり,京都市および財団法人大学コンソーシアム京都の支援・助成を受けた.また,現地調査や資料収集等で御協力いただいた国・都府県・市町・農協の関係者,農家や住民の方々に心よりお礼を申し上げたい.
 最後に,出版の原稿作成を補佐していただいた京都府立大学農学部農業経営学研究室の酒井さえ子氏と,快く出版を引き受けていただいた学芸出版社の村田讓氏とに厚く感謝申し上げたい.

平成11年11月11日  

 宮崎 猛  


学芸出版社
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