街は要る!
はしがき
日本の都市は大きな曲がり角に立っている。
日本は、明治以来の近代化が実を結び、人口増を背景に、工業化に成功してきた。この過程で都市に人口が集中し、都市は膨張したが、道路、下水道などの近代都市施設を備えた市街地を逐次拡大させ、鉄道などの公共輸送機関も拡充し、段階的にではあるが住宅の質も向上させてきた。特に戦後の五十年、実際に経済発展が始まった一九五五年を起点にしても、四十年ぐらいの期間に、大きな社会的な摩擦を引き起こさずに、農業国から工業国へ変身させ、人口の大移動を実現させ、「都市的な」国土を作り上げた。
この間、日本の美しい自然風景、豊かな農村風景、人に優しい海岸線、伝統的な美しい街の佇まい、特に近代の産物を含めた美しい建築物群などが破壊され、公害による汚染などで都市化の負の側面も随所に現れたが、世界的な視野で見れば、開発途上国の工業化、都市化の過程を上手く切りぬけてきたと言えるだろう。
だが、貧しい近代的な都市公共施設の上で成し遂げた急速な経済成長の結果、また、それを支えた、外国にモデルを求めるキャッチアップ型のメンタリティによって、現在の日本の都市は、お世辞にも美しい豊かな都市ストックを形成できたとは言えないし、日本人が伝統的に作り出してきた街並みの水準から見ても、その歴史に恥じない都市景観を作ってきたとも言えない。過去五十年の開発途上段階の産物が結果として残されている。
だが、今や、世界的な影響力を持つ強力な経済大国になり、豊かな経済力を背景として、成熟した文化的な生活を送ることができるようになって、国民の都市環境、自然環境に対する要求も大きく変化した。この要求に応えるためには、現在の都市ストックの状況を顧み、従来からの趨勢を考えると、これからの街づくり、その空間的な表現である都市計画のあり方について根本的な見直しをする必要があるように思える。
もちろん、戦後営々として街づくりの努力は積み重ねられてきた。公共施設の整備や、住宅団地の建設、農地と市街地を区分しようとする線引き、建築の用途規制、地区計画や建築協定による市街地環境の整備などが行われ、公共施設を整備するための区画整理、建築物整備が中心の市街地整備事業など、様々な公的政策が施されてきた。中心市街地については、市街地再開発事業などの都市計画サイドの事業以外にも、通産サイドの行政として、商業近代化事業や様々な形での街づくり事業が実施されてきた。建設行政における、市街地高度利用と通産行政における商業近代化の目標が長い間行政を動かし、財政資金の投入も行われてきたことから見ても、政府が中心市街地の街づくりを蔑ろにしてきたわけではないことは明らかだ。道路の建設などの土木事業や、農地整備などの農業土木事業への力の入れ方と比較すると、重点が置かれてきたとは言い難いけれども。
このような都市の近代化事業とは別に、心ある住民、地権者は歴史的な街並みを維持し再生するために、近代化のみを視野に入れている現行の都市計画の法体系に逆らいながら、粘り強い活動を続けてきたし、商業の活性化を目指して、特に若手の商業経営者などが、行政に囚われない独自の運動を繰り広げたりもしてきた。地方自治体自体が先導してきた例も多いし、特に、自治体の中での孤軍奮闘の結果として自治体全体を動かしたという職員の個人的な努力の積み重ねも数多く見られる。法定都市計画の枠外にありながら都市デザイン行政や景観行政という形で街づくりを進めてきた自治体もある。
これらの個別の行政努力にもかかわらず、また、その行政に協力しあるいは反逆しながら闘ってきた数多い個人あるいはグループの努力にもかかわらず、地方都市の中心部は空洞化し、活力を失い、今や、地方都市のイメージの原点たり得た中心部は溶解し、地域社会のまとまりをイメージするためのシンボリックな場所が、ほとんど消滅しつつある。
室町時代の末頃から営々と築かれてきた、まとまった伝統的な都市の輪郭が消え、街は解体し、建物だけは近代的になったが、そこで育った人の意識のうえでもまとまりを欠いた、何の構造も持たない、拡散した都市になってしまいつつある。人々の街への誇り、感性を感じられる街の部分がほとんどなくなりつつある。
今、当面のブームになっているいわゆる地方都市中心部の活性化問題は、このような長い間のたくさんの人々の努力にも関わらず発生し、さらに深刻化しつつある構造的な問題なのである。もはや個人の努力、一自治体の努力、各省各局の個別的な処置ではどうにもならないほど病状は深刻になっている。(未だ評価の段階ではないが、一九九九年から発足した国を挙げてのはずだった地方都市の中心市街地活性化対策も、有効に作動しているようには見えない)。
これは単なる一過性の問題ではない。これをどう考え直したら良いのだろうか。
筆者等は、長い間、街は無くなりつつある、「街は要りますか」という問題提起を続けてきた。しかし、正直なところ、そのようなラデイカルな問いかけを続けつつも、現代の技術、経済、政治システムの中で、空間秩序を失った「都市」とも言えないような、拡散しきった都市ではない、都市らしい都市が生き残ることができるのだろうか、地域としての空間的な纏まりを失った都市の中で、人間関係の纏まりを維持できるのだろうか。バラバラに解体された地域社会の中で頼りになるのは強い個人だけだという風潮が変わるものかどうか。そもそも、何故、本当の都市を生き残らせなければならないのか、という根本的な問いに正面から答えることができなかった。東京を中心に大都市圏に住んで世界を股にかけて歩いている人たちは、むしろ、今までのような都市は必然的に解体すると声高に主張して、憚るところがない。
ここ十数年、色々な立場で現場の仕事に深く関わり、多くの人々の実績と実践体験を聞き、人々の努力が虚しく空転しているのを見ながら、何とか「街は要る」という確信を持ち、街を維持再生するために必要な方法を提示できないかと考えてきた。その結果、何人かの人々との濃密な議論を通じ、また共著者との共同作業により、「街は要る」という論理の模索の経過と、その実現のために考えられる方法を書き留めることができた。
もとより、この本は問題提起の書であって、問題解決の書ではない。また、沢山の人の知恵に支えられながらも、筆者等の個人的な思いを語った本であり、この問題提起をキッカケにしてさらに多くの人々が、共通の問題意識を持つことを期待して纏めたものに過ぎない。街づくりに真剣に取り組んでいる人たち、行政や政治の要衝にある人はもちろん、街づくりの実践者である商業者、コンサルタント等、街づくりに関心を持つ人たちが自らの立場を超えてこの問題に取り組むための問題提起の本である。
第1章は、何故、街が要るのかという論理である。ただし、これを理解してもらうためには、背景にある経済的なあるいは社会的な現象の理解が欠かせないし、都市計画制度や都市計画の周辺の政治行政に関わる基礎的な問題への理解が不可欠である。しかし、それを縷縷述べていると肝心の筋道が曖昧になってしまう惧れがあるので、いくつかの基礎的な問題や現象について、キーワードという形で新たに第2部として纏めておいた。キーワードを通して眺めてもらえば、日本の戦後の都市計画のあり方が少し見えてくるかもしれない。
第2章は、第1章を裏付ける上でも必要な具体的な実例を富山市にとって、富山市の歴史を通じて、街がいかに形成され、解体しつつあるか、それに対して、市や県の行政がいかに取り組んでいるか詳述した。著者等はグループとして、長年にわたり富山市の都市計画、再開発計画などに関与させてもらっているので、その間に得られた情報や経験をフルに利用させてもらった。第2章でも基礎的な事項を「街を考えるためのキーワード」として第1章と共に別に纏めてある。
第3章は、「街が要る」という前提に立ったときに必要な政策的な措置について取り上げている。国のレベルの問題については、第3章に詳述するように、元参議院議員真島一男氏のイニシアティブにより集まった「地方都市中心市街地再生政策研究会」の成果を中心に取りまとめた。したがって、この研究会に参加された先生方の意見の概要が組み込まれている。地方のレベルでの問題は、ある自治体への河合の調査プロポーザルをベースに書かれている。
以上の本文については、河合、今枝との討議を経て蓑原の文章を中心に纏めてあるが、第2章、第3章及びキーワードについては、河合、今枝の作業に負うところが大きい。
キーワードの最後に最近の蓑原の文章を一、二、付け加えた。特に街居住の問題に焦点をあてた論文を取りまとめたものであり、本文とかなりの部分で重複するが、細部に渡っては本文にはない記述があるので、敢えて再録した。エピローグも同様である。
この本が沢山の街づくりに関心のある人の目に触れて、街づくりについての議論が一層活性化するよすがになればと願っている。もう待ったなしのタイミングなのだ。
蓑原 敬、河合良樹、今枝忠彦
学芸出版社
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