そのまちを、今後どんな姿のまちにしていくかという目標や計画を立てるところは同じですが、一気にまちをつくり直す必要はないという考え方です。木造の建物は計算上ほぼ三十年で建て替わるのだから、個々の建物の建て替えの際に少しずつ無理のない範囲でまちづくりを実現させていく、といった考え方です。つまり、単純な計算だけでも、目標や計画を実現するには三十年かかります。しかし、震災はいつくるかわからないとは言っても、スクラップ・アンド・ビルドの市街地改造を一挙に行うよりは、遅々としてはいても住民の納得のうえで、少しずつまちの悪いところをなくし、良いところはさらに魅力あるものとするような修復的な市街地の整備を進める方がよいのではないか、という考え方に至ったわけです。もちろん、行政側の事情から言えば、土地所有が細分化された現実の市街地で「ゼロからつくり直す市街地改造」ばかりにこだわっていてもしかたがないという判断があったことも事実です。
一方、行政(主として日々市民や住民と接している基礎的自治体)にとっても、自治体の首長による対話行政や、身近な地域を対象としたコミュニティ施策の試みなど、行政と住民の新しい関係を模索しつつある時期でもありました。つまり、昭和五十年代は、行政と住民の双方にとって、住民参加のまちづくりの機運が煮詰まってきた時期とも言えるのです。
修復型まちづくりを前提とした住民参加のまちづくりは、こんな時代背景で生まれてきたものです。
さて、住民の立場で実際にまちづくりを進めようとした時、ひとつのカベが明白になりました。それは、「できれば近所と付き合わないで自由に暮らしたい…」という都市社会の現実を背景として、いったい誰が、どんな形でまちづくりを進めればよいのか、ということでした。すべての住民が一堂に会して論議をするのが不可能なことは自明でした。そこで、ひとつの考え方として、まちづくりに興味と熱意のある住民が集まって、地域の住民の意見を反映しながらまちづくりについて論議し、まずまちづくりの計画をまとめ、それを手がかりにしてまちづくりを進めるという方法が発想されました。その集まりが、ここで取り上げる「まちづくり協議会」なのです。
その後、「まちづくり協議会」は、会の名称は様々ではあるものの、多くのまちで試行され、一部には「まちづくり協議会方式」などという言葉でも語られるようになってきました。
また、本書は、以下のような立場を基本に論じています。
ただ、実際にまちづくりを進めようとすると、場面場面で「どうしたらいいのだろう」「どう考えたらよいのだろう」と、判断に苦しむ場合も多く出てきてしまいます。まちづくり協議会という人間集団を対象としているだけに、絶対と言える方法などあるわけがないのはもちろんです。ただ、小さなことではあっても、基本的な考え方が確立していなければ、場面場面での判断もできません。本書は、そんな場合のひとつの考え方(「こだわり」と言ってもよいと思います)を、筆者らの経験をもとに示したものです。
また、本書が提示する内容は、参加のまちづくりに関心を持ちながらも、私たちと同様に日々壁に突き当たり悩んでいる多くの人々に活用され得るものです。そんな思いを同じくするまちの人々、自治体の職員、学生、コンサルタントなどに、本書が広く読まれ、互いに励ましあう一助になればと期待します。
なお、本書では、「まちづくり協議会」という言葉を「まちで暮らす人々が、そのまちをより安全で魅力あるものとするために、開かれた論議を行い、まちづくりの提案や実践を行う集まり」といった広い意味で使っています。