飛躍する構造デザイン

プロローグ
「構造デザイン」へのアプローチ

 僕は長い間、「設計とは何か」について考えてきた。ごく簡単に設計の本質をいえば、「モノとモノ」「モノとヒト」「ヒトとヒト」との相互関係を分析して、新しい相互秩序の発見にある、といえる。
 例えば、一本の万年筆を設計しようとすると、まず第一に機能性を考えるだろう。インクの出るシステムとペン先との関係、太さ、角度、定常性、それに紙との関係、人間の手、指との関係、感触、視覚など人間の感性との関係、さらに、機能ばかりでなくファッション性、背広との収まり具合、色、造形的面白さ、そして商品としての生産性、生産工場の都合、職人さんの腕前、製作単価、製造期間、販売価格、販売ルート……みんなモノとモノ、モノとヒト、ヒトとヒトとの関係を解き明かす、あるいは個々の関連を分析して総体として形態化することが、一本の万年筆を設計する作業であることがわかる。
 これが建築の設計では、関連する要素はやたらと多くなるから、その分析と統合の作業は繁雑で、ものすごいエネルギーの消費をともなう。しかし、それは面白い仕事ではある。モノとモノ、モノとヒト、ヒトとヒト、それに個人のヒトと集団のヒトとは性格が違うからそれも考えに入れなければならないだろう。この考察には飽きることはないし、際限がない。これらをすべて解き明かしたときに設計が完了したことになる。だから僕の設計は、それを依頼されたときから、それが現実にでき上がるまで延々と続かざるを得ない。

 「構造デザイン」は、構造のあり方がそのまま建築表現になり、構造がつくり出す美しい空間のプロポーション、躍動感、緊張感、そしてすぐれた居住性、それらを実現する構造計画の手法であるといえる。そこには高度に発展してきたさまざまな技術工学が応用され、統合され、その結果として建築の安全性、耐久性、経済性を獲得する構造デザインが実現してくる。それは規模にかかわらず、すべての構造物に当てはまる考え方である。超高層や大空間などの構造のもつ本質と自転車置き場の上屋のごく小さな構造とは、共通の概念によって構造デザインが展開されるだろう。
 こういった考え方は僕が初めてつくり出したものではなくて、僕たちの先人が考え、実際の建築創造の中に展開してきたことである。1950年代における近代構造の展開にそれを見ることができる。イタリアのピエール・ルイジ・ネルヴィ(1891〜1979)、スペインのエドワルド・トロハ(1899〜1961)、アメリカのバックミンスター・フラー(1895〜1983)、メキシコのフェリックス・キャンデラ(1910〜)、ドイツのフライ・オットー(1925〜)、イギリスのオーヴ・アラップ(1895〜1985)、ピーター・ライス(1935〜1992)、日本の坪井善勝(1907〜1990)、木村俊彦(1926〜)、青木繁(1927〜)、松井源吾(1920〜1996)、川口衞(1932〜)、などの優れた構造家たちの献身的でダイナミックな設計活動がこの「構造デザイン」の手法を方向づけ定着させてきた。

 近代建築がメインテーマとして掲げてきたモダニズムは、機能性や合理性を追求するばかりでなく、「力学」と「美学」、そして「技術」と「芸術」の統合をめざし、それらは車の両輪のようなものだと考えられてきた。僕は、それらが「両輪」となって建築を形造る時代から進展して、ニューモダニズムともいえるもの、もはや「両輪」ではなく「表裏」の関係に成長してきたと確信している。それらは相互に透過して見えるもの、不可分の関係に育ってきた。
 しかし、一方で構造技術は深刻な問題を伝統的に抱えている。わが国だけではない、世界中が同じ問題を抱えているのだ。ちょうど、1950年代の「構造デザイン」の展開と同じ時期に、建築の大量需要と供給とが世界的に始まり、その速度に追いつくために多くの構造技術は法規や規準という形に姿を変えて、各国に蔓延してしまった。構造技術の二極化が推し進められてきたのである。
 構造技術者は片方の手に法規・規準書を持ち、もう一つの腕にコンピュータを抱えていれば、構造設計はできると盲信し、自らの思考……何をつくるべきかの思考を停止してしまったのである。モノとモノ、モノとヒト、ヒトとヒトとの分析や統合の作業を放棄した、恐るべき状況だ。結果として町の中に建つ一つ一つの建築に「快適で豊かな空間」の追究、個々の建物にあるべき固有の構造方式の可能性の追究を放棄した勢力が確立されてしまった。個々の建築主とその町に住む多くの住民が最大の被害者だ。建築が本来もつべき建築計画と構造計画、設備計画、それに施工技術、この四つの要素の完全な調和の上に成り立つべきものが、構造計画が欠落したために貧困で画一的な構造物しか生まれない。人々の健全で豊かな生活空間・活動空間の創出という設計の原則に立ち戻れば、この二極化現象はそろそろ解消しなければ駄目だと思う。
 過去の偉大な足跡に立脚しながらも、これからの新しい建築のあり方を考えることが、「構造デザイン」の重要な役割、責任であると僕は痛感している。建設条件が厳しければ厳しいほど、例えば建設予算が極端に少ない場合、短い工期、複雑な建築機能の統合などの場合、「構造デザイン」からのアプローチは欠くことのできない設計の立脚点なのだ。

 「構造デザイン」とは何か、その考え方、手法について紹介するのがこの本の目的である。個々の建築の固有の構造上の性格を引き出し、空間に秩序を与え、技術工学を駆使しながら全体と部分との確かな統合を図る、それが「構造デザイン」である。そこに、新たな空間、飛躍するデザインを生み出す唯一の可能性が秘められている。