〈建築学テキスト〉建築環境工学


まえがき

 地球規模の温暖化や都市の暑熱化が顕在化してきたことが認識され、くらしの中での環境配慮が求められている現在である。建築環境工学の分野は、建築学が明治期の日本で進展していく頃には、つくられた建築の安全性や健康性ひいては住み心地の良さをどのように創造するかという点で建築設計の理論ともいうべきものを求めたものへの知識の集成であったと考えられる。それと同時に、医学・衛生学的な発想から、室内の汚れた空気が疾病の原因になることを回避し、清潔な働く場や住まいを実現することが求められ、これが造家衛生や市区改正へとつながった。ここにおいて森林太郎(鴎外)の果たした役割は大きい。ある意味で、当時の建築環境工学は衛生的環境の保持のための建築設計法と建築の衛生環境の維持改善法をめざしていた。大正期にはいると、建築家や建築学者が衛生学の知識に基づき、そして佐野利器がいう科学立国を国是としてゆくという風潮も手伝って、建築を科学的に設計する方策を求めた。昭和へと進展する中、衛生学は細菌学へと舵を切り、建築の衛生的科学的問題は建築家と建築学者の手にゆだねられた。建築環境工学は、建築設計の基本事項あるいは建築計画原論として建築計画学の中枢をなすものであった。当時、暖房や照明は、まだ機械工学、電気工学の花形であった。

 第2次世界大戦後、建築環境工学は進展を続け、高度経済成長と共に環境調節装置としての建築設備の需要増と共に、機械や電気の分野での多角化や変化にともなって、室内環境の調節については総合的に取り扱うような傾向が出てきた。昭和38年には、日本建築学会で建築計画委員会が計画原論と設備を主体とする環境工学と建築各論を主体とする建築計画の2つの部門に分離した。前者の範囲はその後の進展にともなって室内と建築周辺の環境を調節する方法と設備についての分野として確立してきた。

 しかし、建築環境工学の分野は、決して建築設計と分離したわけではなく、健康で快適な建築を設計するための理論とその手法を取り扱う分野である。そのアプローチとして物理的な事項と健康科学(衛生学)的な事項を主に取り扱う学問分野といって良いであろう。そのながれの中で、安全のもとで健康さや快適さは、人間自身を知ることが必要であり、どう人間が建築を感じているかが重要であることが認識されてきた。その意味で環境の生理や心理を扱いながら、建築の環境を設計することがひとつの役割でもある。さらに、近年は建築が集合した都市にも建築の取り扱う範囲が広がり、都市気候から緑や水辺そして風の道などを考える都市の環境学も重要な位置と占めるようになったと考えられる。

 このような背景の中、本書は建築設計の基礎理論となるような基本的事項を取り扱い、環境要素である熱・音・光・空気・色・水などの物理的な側面が建築を創り維持していくために必要な知識を理解しやすいようにすると共に、そこで生活する人間が健康さや快適さを得られるようにする方策を学べるように配慮した。そこでは生理学的衛生学的な知識と共に、心理学的な事項も、建築設計へ向けたものとして説明するように心がけた。また本書の大きな特色として、建築環境デザインとしての要素を取り入れ、建築のみに限らず外部環境や都市の環境計画を積極的に取り扱っている。今後の建築分野だけでなく、都市や社会において、「環境」が益々必要になる時代を見据えて、読者の方々が新しい分野への展開をはかれる期待を込めている。

 本書を執筆するについては、愛知産業大学の武田雄二教授のお薦めと励ましにより実現したものであり、実際の企画と執筆場面では、株式会社学芸出版社の吉田隆氏、知念靖広氏の両氏には、大変ご迷惑をおかけしつつも、ご助力と激励を頂き完成するに至りました。三氏をはじめ執筆に際しお手伝いいただいた方々皆様に、心より感謝申し上げる次第であり、記して深謝の意を表します。

 最後に、本書は先行する研究、書物から様々な事柄について多く参考にさせていただきました。末筆ながら、ここに深謝の意を表します。


堀越哲美