ドイツのコンパクトシティはなぜ成功するのか
近距離移動が地方都市を活性化する




はじめに ─車がないまちの豊かさ

 スイスのツェルマットを訪れた方はいるだろうか。海抜1600メートルの谷に位置する人口5700人のまちで、周囲をモンテローザ、マッターホルンなど4000メートル級のアルプス最高峰の山々に囲まれている。
 ツェルマットでは、1931年に一般乗用車の進入を禁止することにした。そして、1972年、1986年に一般乗用車の進入禁止措置を継続することを住民投票で決めている。つまり、ほとんどの住民は車を持たない。マイカーで訪れる観光客は、まちなかから6キロメートル離れた隣町の有料駐車場に車を停めて、鉄道か電動バス、電動タクシーでツェルマットを訪れることになる。
 また商用車についても、(建設用重機や緊急車両などの例外を除いて)ガソリンやディーゼルエンジン車は市内では使用が禁止されているため、最高時速20?25キロメートルという電気自動車が古くから地域で独自に開発・製造・利用されている(配達車両や送迎車両、タクシー、手工業者向けなど)。
 そもそも、ツェルマットはスイスの都市圏から遠く離れているので、自動車が利用され始めた時期が遅く、山奥のドン突きにあたる農村地域だから車の進入規制をかけやすかったこともある。ただし、マイカー通行を禁止している自治体はツェルマットだけではない。鉄道のみでつながり、車のないまちがアルプス地方には数多く存在しているし、ドイツやオランダの北海、バルト海に浮かぶフェリーで結ばれた島々、たとえばヒデンゼーに代表されるようなカーフリーのまちもたくさんある。これらのまちは「車のないまち」という非日常を堪能できることが観光客をひきつけている。ただし、人気のある観光地だからマイカー交通を排除したのではなく、マイカーがないから優れた観光地になったのだ。
 日本だったら無理にでも自動車を通すであろうそれらのまちを訪問すると、観光客だけでなく、そのまちで暮らす人びとも豊かさを享受しているように感じられる。
 ツェルマットでは、学校帰りの子どもたちがアイス屋に群がり、多様な人びとが挨拶を交わし、立ち話をしながら、まちの中心部を行き来していた。子どもたちは、思い思いに道路空間を縦横無尽に歩いてゆく。とてつもなく豊かな光景を目の当たりにして呆然と見入ってしまった。
 一方、日本で道路端の狭い歩道を申し訳なさそうに通学する子どもたちを目にすると心が痛くなる。どこかで私たち大人は、目先の利便性と引き換えに大切なものを失う選択をしてきた気がしてならない。


 日本のほとんどの地域において、自動車を主体として交通を組織していればOKというお気楽な時代ではすでにない。2025年には団塊の世代が75歳を超える。年齢別で特大の世代が自身でマイカーの運転を諦めざるをえなくなる時代が到来する。本書では、今後も進展してゆく人口減少、超高齢化の社会において、市民の利便性を損なわず、地域の仕事を確保し、地域経済を豊かにするようなオルタナティブな交通手段、都市計画について検討している。
 具体的なキーワードは、ショートウェイシティの都市計画、自転車交通の推進、そして自動車交通の大幅な抑制と静穏化、分離化、結束化である。
 人口1万人程度の自治体では、マイカー主体の交通に対して、今でも30億円以上が注ぎ込まれ、その大部分の利益が地域経済を豊かにすることなく域外に流出している構造を抱えている。この交通と経済のしくみを変える必要がある。
 その成功例は、すでに欧州には数多くある。ツェルマットのように、地域で電気自動車を組織することで、大都市の自動車メーカーや中東の王族を潤すことを止める。小売店の御用聞きなどの昔ながらのしくみを維持して買い物難民を防ぐ。車が通らない通りの真ん中で市民が立ち話をする。車の騒音がしないまちなかを鼓笛隊が行進する音色が聞こえてくる。一度その風土を体験した観光客は虜になり、物価があからさまに高いにもかかわらず、何度でも訪れるようになる。ツェルマットは安売り競争とは無縁の地だ。外資による大規模リゾート開発とも無縁で、地域に落とされたカネは地域で循環している。
 そんなまちの姿を念頭に置きながら、日本の都市部や農村部で、どのように新しい交通、移動を組織するべきか、さまざまな交通手段について事例を挙げて述べている。
 日本では、このままの都市計画、交通計画では、市民サービスを低下させるだけでなく、自治体そのものが消滅してしまう事態が迫っているにもかかわらず、ほとんどの地域が新しい取り組みを始めていないのが現状である。だからこそ、他に先駆けて変革を始める稀有な地域が、抜け駆けしてより豊かになれる。本書がそんな地域の人々に少しでも役に立つなら幸いである。
 本書は、学芸出版社の宮本裕美氏・森國洋行氏の編集力を得て出版されている。感謝したい。そして、時間という貴重な資源を差しだしてくれた家族にも感謝する。

   2017年1月
村上 敦