ソーシャルアート
障害のある人とアートで社会を変える


おわりに ─アートもいろいろ、社会化もいろいろ


 いったい幸福とは何か。豊かさとは何か。価値ある生き方とは何か。私たちは今立ち止まり、考え直さなければならない。
 今日の最大の問題は、貧富の格差が開く経済的貧困、弱者が排除される社会的貧困、中央文化が支配する文化的貧困、他者の痛みに向きあわない精神的貧困である。
 これらの貧困は社会を分断し、対立を生み、人々を孤立させている。これらを解消するためには「ソーシャル・チェンジ」を図らなければならない。
 だが、どんな理想も実現のプロセスが示されないものはむなしい。ところが、今やアートがそれを示し始めている。それもハイアートから離れた「遠いところ」「弱いところ」「小さなところ」で存在感を増している。
 私たちは1995年に「アートの社会化」「社会のアート化」を掲げ、ABLE ART MOVE-MENT(可能性の芸術運動)を提唱した。
 まず手がけたのは価値が低く見られていた「障害者アート」を新しい視座で見直すことだった。そして障害のある人たちの能力を高めると同時に、社会的イメージを高める取り組みを始めた。
 今や日本では「障害者アート」はブームのように盛り上がっている。それは「アールブリュット(生の芸術)」として国が推進していることがからんでいる。
 「障害者アート」は「アールブリュット」と決めつけ、一部の美術館の学芸員、美術記者、大学の研究者までもが何の疑いもなく追随している。アートの社会化にもいろいろあるということか。
 私たちが「違って独特」の表現に強く惹かれるのは、理解ができない部分(語りえぬもの)にある。だが、西欧の美術(史)しか学んでいない人たち、つまり「知っているアートしか知らない」人たちは、その美術観が揺らぎ、美術の見方が根底から怪しくなっている。
 障害のある人たちの生き方、その表現を長く見てきた経験から言えば、岡倉天心の「東洋の美は不完全の美である」というのに共感を覚える。「望月よりも欠けたるがよし」とする日本人の美意識に由来するからだ。
 また、民芸の思想家、柳宗悦の「不完全を厭(いと)う美しさよりも、不完全をも容(い)れる美しさの方が深い」にも共鳴する(柳宗悦「美の法門」)。この不完全さが未知の衝動を与え、一つの美術システムに安住している人たちを突き動かしている。
 「アールブリュット」の動きはグローバリゼーション(世界化)の流れと言えるだろう。私たちがABLE ART MOVEMENT を始めた1995年といえば、ユネスコが文化のグローバル化に対して勧告を出した年でもある。それは文化の画一化を危惧したもので、多様性、身体性、地域性の尊重を訴えている。
 障害のある人たちの表現をカテゴリー分けするのはなんでも二分する近代の名残でもある。
 それには次のような問題点がある。いったん一つのカテゴリーに入れられると、そこから出られない。それぞれのカテゴリーは独立した別個のものと見なされる。時間とともに変化するものが扱えない。カテゴリー間にまたぐような事物の扱いが不得意である…など。
 「存在が違って美しい」という言葉があるが、障害のある人たちの表現の特徴は多様であるということだ。一つのカテゴリーのなかに囲い込むのは、多様性を殺すということでもある。
 哲学者の鷲田清一さんは朝日新聞のコラム「折々のことば」(2015年10月30日掲載)で多様性についてこのように言っている。

 多様性の尊重には、一人ひとりが異なる存在であることが前提となる。人びとが数で一括りにされるところに多様性はありえない。人はその個別性においてこそ輝く。20世紀フランスの哲学者(エマニュエル・レヴィナス)は、だれかを別のだれかで置き換え可能と見るのは、人間に対する「根源的不敬」であるという。

 「障害者」と一括りにし、個性ある表現を一つのカテゴリーに囲い込むのはまさに「根源的不敬」ではないか。
 アートには人間の痛みに想像力を働かせ、生きる意味を考えるきっかけをつくる役割がある。それに気づいた人たちが今、日本でも活躍し始めている。彼らに共通しているのは、ロック世代かその影響を受けている世代。テクノロジーが社会を画一化していく時代にあって、ロック音楽が生まれた時代から変わらないもの、自分らしい生き方をしたい、という思いを持つ世代だ。
 音楽を愛する若い世代が、自分らしい生き方の追求を根拠に、障害のある人たちの表現と向きあっている。生き方の画一化を拒む精神が「障害者アート」の新しい可能性を切り開いている。

    2016年8月
一般財団法人たんぽぽの家理事長 播磨靖夫