おわりに


 2012年4月、僕が初めて参加したPDCの全体会議で局長のパトリック・クイントン(Patrick Quinton)が言った二つのことを今でもよく憶えている。  “It’s a privilege to be able to live in Portland.”(ポートランドで暮らせるということは特権である)
 “And, whether you realize or not, the role each of us plays for the future of this city is quite significant.”
 (自ら気づいているかいないかは別として、我々1人1人がこの街の未来のためにかなり重要な役割を担っている)

 おぼつかない英会話と現金数万円を携え渡米して以来、あっという間の20年だった。茨城県水戸市で幼少期を過ごし、母は昼と夜の仕事を掛け持ちして兄と僕を育ててくれた。勉強嫌いの運動馬鹿だった僕は、若さと勢いで渡米したものの、その後の進路は決まっておらず、貯金もすぐに底をつき、1カ月先が不安な超貧乏生活をかなり長い間続けた。
 猛勉強の末、渡米6カ月後に何とか南ミシシッピ大学へ入学したものの、大学の勉強と学費を稼ぐためのアルバイトとで週に5日は徹夜の生活を卒業まで続けた。
 大学3年生の時、マヤ文明の故郷、メキシコのユカタン大学で交換留学生として学ぶ機会を得た。ユカタン半島のジャングルで生活するマヤ人(もちろん今はメキシコ人だが)の村に2週間ステイさせてもらい、電気も水道もない生活をして、いかに今まで自分が甘やかされて育ってきたかに気づかされた。また、経済開発や都市の発展について真剣に考えはじめたのも、このときであった。
 大学院を出てミシシッピ州に本社を置く建設会社に就職したが、外国人の僕はビザの申請などで他の社員よりも会社に負担をかけている分、人一倍成果を上げようと必死で働いた。働きはじめた最初の頃は今でも色濃く残るアメリカ南部特有の人種差別も数え切れないほど経験した。
 そして今、僕はアメリカで一番好きな街で、世界で一番好きな家族(妻と子供2人)と毎日楽しく暮らしている。しかも、この街の未来を形づくる組織の一員としてやりがいのある仕事をしながら。これからもポートランドと日本をつないで、お互いの街の未来を明るくするようなプロジェクトのお手伝いをしていければと願う。
 最後に、この本を執筆するにあたってコンセプトづくりや構成などで大変お世話になった365Portland.comの百木俊乃さんとTIDEPOOLの大河内忍さんをはじめ、インタビューの文字起こし、写真撮影や資料提供などで多くの方々に力を貸していただいたことに感謝いたします。そして、2014年4月にこの本を書くきっかけをくださり、この2年間、執筆が遅れに遅れた僕を励まし続け、一冊に編集してくださった学芸出版社の宮本裕美さんに心よりお礼を申し上げます。

  2016年4月

山崎満広