はじめに

 スポーツ都市とは、スポーツを都市経営の重要課題とし、住民が、安全かつ快適な住環境のなかで、日常的にスポーツに親しみ、アクティブかつ健康的な生活を営むことのできるまちづくりを目指す自治体のことである。世界的に見ても「都市」に関する具体的な定義はないが、本書では、役所(もしくは役場)が存在し、比較的人口が多い市街地を持つ自治体を都市と呼ぶことにしよう。このようアバウトな定義を用いた理由は、スポーツで地域を活性化しようと考える自治体がとても多いことと、自治体が活用できるスポーツやイベントの種類が豊富で、フィールドも体育館やスタジアムから、道路やトレイル(自然道)、そして河川から山岳地域まで、多様な広がりを持つからである。マラソンやプロスポーツのような都市型イベントから、トライアスロンやヒルクライムのような郊外や山岳地域で行われるイベントまで、自治体が活用できるスポーツイベントの幅は広い。
 スポーツと都市の繋がりが深いアメリカでは、経済効果が見込めるスポーツイベントを誘致できる一級のスポーツ施設があり、NBA(ナショナル・バスケットボール・リーグ)、MLB(メジャーリーグ・ベースボール)、NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)、そしてNHL(ナショナル・ホッケー・リーグ)といった4大プロスポーツのチームが、フランチャイズを置いているかどうかがスポーツ都市を名乗る重要な条件とされる。日本でも同様に、プロ野球のチームやJリーグのクラブの存在が、都市ブランドを構成する重要な要素になっている。しかしプロスポーツのチームやクラブはあくまで「必要条件」であり、それだけでは十分ではない。住民に健全なレジャーを提供する地域に根差したプロスポーツ以外に、スポーツに気軽に参加できる公共スポーツ施設や地域スポーツクラブ、そしてアクティブで健康的なライフスタイルを楽しめる生活環境(例えば自転車専用道路やジョギングトレイルなど)が整備されていなければならない。さらにスポーツ都市の根幹には、スポーツイベントの誘致によって域外交流人口を増やし、地域経済の活性化を目指す政策実行機関としての「地域スポーツコミッション」(第5章で詳述)も必要条件となる。これらの様々な要件が集まって、初めてスポーツ都市を名乗る「十分条件」が達成される。

 よって本書では、都市戦略という視点から、エンターテイメント装置としてのプロスポーツの存在や、大規模スポーツイベントが誘致できる施設を持つことの重要性を指摘するとともに、住民の健康的な生活習慣を誘発するまちづくりや、地域の隠れた資源であるアウトドアスポーツを活用した地域の活性化について議論を深めていきたい。ちなみに都市戦略とは、都市の進むべき道を明確にしたうえで、何をするのかを、論理的に、系統立てて立案することであり、その文脈上に立脚するスポーツ都市戦略は、スポーツに親しむまちづくりという目標に向けて、長期的な視点で都市経営全体の方向づけをデザインすることを意味する。
 本書で言うスポーツ都市は、スポーツに親しむ環境が整備された「地域」や「コミュニティ」と同義であり、大都市だけでなく比較的小さな自治体もそのなかに含まれる。そこには、多様な都市像があり、それぞれの都市が持てる経営資源を最大活用してオリジナルなスポーツ都市をつくりあげることが重要である。例えば人口2万に満たない広島県世羅郡世羅町は、高校駅伝の強豪校である世羅高校で有名だが、近年は「駅伝のまち“せら”」を旗印に、「観光ラン」による誘客で地域活性化を行っているが、これも“せら”というスポーツ都市が展開する戦略のひとつである。

 「する」「見る」「支える」スポーツが、都市の集客装置として機能し始めるということは、それを目当てに域外から人が集まるということを意味し、スポーツで人が動く仕組みが生まれることになる。そのような仕組みは「スポーツツーリズム」と呼ばれ、スポーツ都市の実現に不可欠である。
 スポーツ都市に関する戦略的議論におけるツーリズムは重要な要素であり、域外からスポーツを目的とした観光客を呼び込むことで生じる経済・社会的な効果は、注目に値する。2014年の段階で、世界の観光産業は約7兆ドルの規模を誇り、世界のGDPの9%を占める巨大産業であるが、その中で最も伸びが著しいのがスポーツツーリズムであ。日本においても近年の訪日外国人の伸びは目覚ましく、2015年にはその数が1千9百万人を超えたが、ニセコや白馬に来る外国人スキーヤーや、東京マラソンに参加を希望する外国人ランナー、そして全国で開かれるサイクリングイベントへの国外参加者など、スポーツを目的としたツーリストの増加が今後期待される。

 本書の構成は、以下の通りである。まず序章において、ツーリズムという視点から、スポーツ都市を考える上で重要となるグローバルな観光産業の動きを俯瞰し、日本が持つ旅行目的地としての潜在的魅力と、ガラパゴスと呼ばれる日本文化を「世界商品化」することの重要性に触れた。そのためには、モノづくり国家からコトづくり国家への大きな発想の転換が必要とされる。
 続く第1章では、スポーツの「アマチュアイズム」から「ビジネスイズム」に至るパラダイムシフトの過程で、パワーアップしたスポーツが、スポーツと都市の関係に大きな影響を及ぼした点に着目し、そのプロセスを概説するとともに、メガ・スポーツイベントと都市開発に関する幾つかの事例を論考の対象とした。さらにJリーグに代表される地域密着型プロスポーツの新しい役割にも言及し、スポーツが地域ブランドを向上させるとともに、ファンの地域愛着度を高める点に着目した。証明は困難であるが、ここでは、Jリーグのある都市は消滅しないという仮説を構築した。
 第2章では、地域スポーツイベントと都市をテーマとし、都市の活性化装置としてのスポーツイベントの役割と、スポーツイベントの種類について考察した。都市が活用できるスポーツイベントの種類は無限に広がっており、隠れたスポーツ資源をどう活用するかが課題とされる。スポーツが都市にもたらす経済効果や、都市空間を市民に開いたマラソンブーム、そして地域活性化装置としてのアウトドアスポーツイベントについても言及を試みた。
 第3章は、オリンピックと都市の深い関係についてである。戦後のオリンピック大会を用い、国家主導のオリンピックが危機的な状況に見舞われる中、商業主義によって復活した大会が、やがて都市の持続的成長に役立つ触媒としての役割を期待されるようになる経緯を考察した。2012年ロンドン大会では、目に見えるレガシーとともに、英国経済の発展に結びつく観光産業の発展を誘導した点を踏まえ、2020年の東京大会が何を残せるかというレガシーの問題に触れた。
 第4章では、本書の根幹であるスポーツツーリズムと都市戦略をテーマとした。スポーツツーリズムの世界的拡大の様相に触れつつ、その概念的領域と日本における政策的な関心の高まりを指摘し、デスティネーション・マネジメントによる日本型スポーツツーリズム創出の重要性と、スポーツツーリズム振興に対する制度的支援について解説を行った
 第5章では、スポーツツーリズムの推進組織として、都市の活性化装置の役割を担うスポーツコミッションに論及した。アメリカの先進事例の紹介の他、日本のスポーツ先進都市であるさいたま市の現況や、全国で設立が進む状況を俯瞰した。スポーツコミッションに注目が集まる背景には、スポーツツーリズムによる地方創生という新しいミッションに期待を寄せる自治体の数が多いことを示す。
 第6章では、スポーツ都市の形成に向けた具体的ステップの前段階として、スポーツと親和性の高い都市の全体像を、概念的に把握することに努力した。その結果、スポーツとの親和性が高い都市とは、スポーツが重要な政策課題とされ、すべての住民やビジターが、「する」「見る」「支える」スポーツに積極的に関与できる機会に満ち溢れた都市のことであり、「持続可能性」「モビリティ」「交流人口」「健康志向」という4つの基本コンセプトを包含することが前提となった。
 最後の第7章では、2020年に向けた具体的なスポーツ都市戦略に必要なステップとして、「スポーツ観光資源の再発見」「人材づくり」「ソフトとハード事業の展開」、そして「PR事業」の4つを提案した。さらに、地方再生の切り札としてのスポーツツーリズムや、スポーツによる世界都市のブランディング、そしてアスリートを重視したポスト五輪のスポーツ都市戦略など、副題にあるような、「2020年後をみすえたまちづくり」に向けた提言を試みた。