おわりに

 本書は、2002年に刊行した拙著『スポーツイベントの経済学:メガスポーツイベントとホームチームが都市を変える』(平凡社新書)の続編である。その中で私は、都市とスポーツの多彩な関係を解き明かしながら、メガスポーツイベントや地域密着型プロスポーツが都市にもたらした「経済社会効果」や「地域イノベーション(変革)」に言及し、最終章(第5章の2)において、スポーツはどのように都市を変えたか?という問いに応えるべく、「スポーツに親しむまちづくり」の具体像を描くことを試みた。
 そこでは、都市化によって消える「遊び空間」に警鐘を鳴らし、ウォーキングシティの可能性に言及したが、これらの内容は、本のメインテーマではなかったため、充分な考察を施すことができなかった。そこで本書では、スポーツ都市をメインテーマとし、都市はスポーツをどのように活用すべきかを中核的なテーマにすえた。その上で、スポーツで人を動かす「スポーツツーリズム」の考えを基軸として、域外からビジターを取り込む需要ドライバー(喚起装置)としての「地域密着型プロスポーツ」「スポーツイベント」「地域スポーツコミッション」「アウトドアスポーツ」などを、都市が活用すべき戦略的な観光資源として紹介した。

 学校教育における「体育」とは異なり、必ずしも教育に縛られない「スポーツ」は柔軟なコンテンツである。目的もルールも形も強度も変幻自在であり、健康のための手軽なスポーツもあれば、楽しさを求めるレクリエーション・スポーツもある。さらに身体の極限に挑む競技スポーツもあれば、観客席で観戦する見るスポーツもある。雪合戦や雪かきがスポーツになる一方、身体的なハンディキャップを持つ人のために開発されたスポーツも多く存在する。
 何かしらのルールがあり、勝ち負けがあり、身体活動があって楽しければ、すべての身体活動がスポーツとなりうる。地域にスタジアムやアリーナといった一級のスポーツ施設がなくとも、道路や空地があれば、ランニングやウォーキングのイベントが開催でき、山、森、海があれば、アウトドアスポーツのフィールドとして活用することが可能となる。よってスポーツ都市戦略では、変幻自在なスポーツを観光資源としてどう活用するか、ここが知恵の絞りどころとなる。
 スポーツインフラや街路の整備といったハード事業については、「思わずスポーツをやりたくなる」あるいは「都市に住む人のアクティブライフを誘発する」まちづくり環境をどうつくるかが重要となることを指摘した。ソフト事業に関しては、交流人口の増大を目指すスポーツツーリズムの考えを用いて、スポーツイベントの誘致を主導するスポーツコミッションの役割について述べた。とはいえハード事業とソフト事業は不即不離の関係にあり、どちらか片方だけで完結するものではない。スタジアムやアリーナの計画から自転車専用道まで、都市がどのようにスポーツを活用するかという戦略的思考と、マーケットインの考えをベースにしたスポーツインフラ整備なくしてハード事業は成立しない。

 都市戦略とは、都市の進むべき道を明確にした上で、何をするのかを論理的に、系統立てて立案することである。よってスポーツ都市戦略とは、スポーツに親しむまちづくりという目標に向けて、長期的な視点で都市経営全体の方向付けをデザインすることを意味する。スポーツ都市の場合、首長にビジョンがあり、トップダウンでスポーツによるまちづくりが起動するケースが多く見られる。第5章でも述べたように、さいたまスポーツコミッションは、清水隼人市長の強いリーダーシップによって実現した。同市は、政令指定都市で最初の「スポーツまちづくり条例」を導入し、「しあわせ倍増プラン2009」をベースに、新しいスポーツ観光市場の創造を目指した都市戦略を実行に移した。この他にも、三島市の豊岡武士市長や前橋市の山本龍市長など、トップが明確なビジョンを示すことによって、スポーツコミッションが設置されたケースが多い。

 スポーツ都市づくりは、国際的な動向でもある。2012年の五輪大会を終えたロンドン市は、ボリス・ジョンソン市長が、スポーツイングランドと協力して、草の根(グラスルーツ)スポーツへの参加を促進し、2020年までに世界一アクティブなスポーツ都市にする目標を掲げている。オランダのスポーツ都市として有名なロッテルダム市も、国際的なスポーツイベントの招致を行い、都市に経済効果を生み出す目的で設置された「ロッテルダムトップスポーツ」に加え、地域スポーツの振興によって青少年にスポーツの機会を提供する組織である「ロッテルダムスポーツサポート」を設立したが、これらの組織は車の両輪のような機能を果たし、「見るスポーツ」と「するスポーツ」の振興によるスポーツ都市づくりを行っている。
 2020年には東京でオリンピック・パラリンピック大会が開催されるが、世界の注目が集まるメガスポーツイベントを、どのように日本の未来のために活用するかは、高齢化と人口減少の二重苦を抱える日本において極めて重要な課題である。残念ながら、二重苦を完全に克服することはできないが、痛みを和らげる方法はある。定住人口の1人減によって失われる年間消費額は、10人の外国人観光客、もしくは26人の国内観光客(宿泊)の観光消費額で補うことができるのである。ツーリズムの振興が、地方の消滅を防いでくれる可能性を秘めている。

 スポーツツーリズムに期待が集まるのは、素材が豊富で加工が簡単なスポーツイベントを商品とするからである。一般の観光客よりも滞在期間が長く、消費金額が多いスポーツツーリストをどう呼び込むか、魅力的なスポーツアトラクションの創造が鍵となる。
 四季があり、山岳地帯が多い日本では、グリーンシーズンのアウトドアスポーツや、ホワイトシーズンのスキーなど、多様なスポーツを楽しむことができる。実際、中国と韓国を除き、他のアジア諸国にはない「雪」や「氷」が観光資源として注目を集めている。特にスキーに関しては、根強い人気を誇るニセコや白馬だけでなく、バブル以降利用者が低迷していたJR東日本のガーラ湯沢や、規模は小さいものの兵庫県の六甲山スノーパークなど、大都市近郊のスキー場にもインバウンドの波は押し寄せている。
 さらに国レベルでは、2019年のラグビーワールドカップに続き、五輪後も2021年ワールドマスターズゲームズが開催されることが決まっており、メガスポーツイベントの開催が地域経済活性化のきっかけづくりに貢献している。スポーツで人が動く機会の増大は、インバウンド観光の活性化と相まって、制度的イノベーションの喚起にも役立っている。例えば関西では、広域観光推進のために、2016年4月に「関西国際観光推進本部」(仮称)の設置が計画されているが、設置趣意書には、インバウンドの需要喚起装置としてのメガスポーツイベントの存在が明記されている。今後、女子のサッカーワールドカップ(2023年)や札幌市が招致を目指す冬季五輪(2026年)も計画されるなど、日本でも、世界からスポーツツーリストを呼び込むイベントカレンダーが整備され始めている。

 本書を執筆するにあたっては、2012年に設立した一般社団法人日本スポーツツーリズム推進機構(JSTA)における活動から得た知識や経験が大いに役立っている。JSTA設立にあたって、ともに苦労を重ねた当時の観光庁観光地域振興課地域競争力強化支援室長の坪田知宏さん(現文科省児童生徒課長)と、後任の八木和弘さん(現文科省初等中等教育局財務課高校修学支援室長)には、心から感謝の意を伝えたい。さらにJSTA事務局長の中山哲郎さんと事務局の宮本宏史さん、常任理事の吉永憲さん、大塚眞一郎さん、高橋義雄さんには、日頃から多くの学びの機会と建設的なご意見を頂戴しており、御礼の言葉を述べたい。
 本書の執筆の機会をつくっていただいた学芸出版社社長の前田裕資さんと松本優真さんからは、示唆に富んだ多くのコメントを頂戴し、本書のクオリティを高めていただいた。心から感謝を申し上げたい。そして最後に、東京での単身赴任を支えてくれている妻の純子にも感謝の言葉を捧げたい。

2016年1月18日 高田馬場にて 原田宗彦