CSV観光ビジネス
地域とともに価値をつくる

はじめに


 本著の編者である私たちは、それぞれ国の観光行政と民間企業で、長年仕事として「観光」に携わってきました。観光政策の立案や観光ビジネスなど中身に違いはあっても、観光は観光資源を抱える観光地があってこそ観光事業が成立するものであって、地域社会との深い関わりが仕事の根幹だという意識を持っていました。
 その後、私たちは前任校である流通科学大学で教鞭をとる機会を得ましたが、在職中の2011年3月11日には東日本大震災が発生しました。その爪あとは大きく、被災地における観光産業は言うまでもなく、直接被害を受けていない周辺観光地も風評被害にあえぐ状況が続くこととなりました。これまで、阪神淡路大震災や中越沖地震、雲仙普賢岳の噴火などで同様のケースがあったにも関わらず、その教訓が生かされているとは言い難い状況でした。
 そんな折、学長の石井淳蔵先生から、毎年開催をしている大学創設者の中内功氏を記念するシンポジウムで観光を取り上げるように指示がありました。私たちは「震災復興と観光の力」をテーマとし、衆議院議員で全国旅行業協会会長の二階俊博氏、鞄本旅行会長で日本旅行業協会会長の金井耿氏、観光庁次長の武藤浩氏をはじめ、地元の観光関係者も招き、観光は震災復興にどのように役に立てるのかを議論しました。被災者の皆さんを慮っての「倹約の連鎖」に歯止めをかけ被災地に経済の活性化をもたらす、風評被害に対しては観光客が現地を見たうえで正しい情報を発信してもらうなど、観光業界挙げて「打って出て、来てもらう」ことで、観光の力で復興に協力をしていくことの重要性が示されました。
 私たちは、そこに「観光は地域を、あるいは日本を支えるのだ」という我が国の観光関係者のもつ自信と誇りを感じ、観光は経済的価値と社会的価値をともに創り上げることができる産業なのだという確信を持つようになりました。
 こうした思いを取りまとめて本にしたい、と考えているときにマイケル・ポーターの「Creating Shared Value(CSV):共通価値の創造」という論文に出合ったのです。その詳細は序章に譲りますが、社会のニーズや問題に取り組むことで社会的価値を創造し、その結果、経済的価値が創造されるというアプローチこそが、新たなイノベーションと市場創造につながるという指摘をしていたのです。私たちは「共通価値の創造」をテーマに、観光に関するさまざまな事例を集め、観光事業を営む企業や団体こそが地域社会の経済条件や社会状況を改善しながら、自らも競争力を高めることができるということを示したいと考えました。
 実際にそうした事業を展開された人たちが多くの章を執筆していただけることになり、地域社会や消費者とのWin-Winの関係を構築した事例を生き生きと紹介してくれています。あちらを立てればこちらが立たず、ではなくどちらも立てる現場のもつダイナミクスが伝わってきます。石井淳蔵先生は、「相手に共感し、経験をともにする現場でビジネスの知は生まれる」と言っておられましたが、そういう雰囲気が伝わってきます。
 観光事業は負の側面も含め、地域社会の出来事に目を背けることのできないビジネスです。一方で事業の収益モデルを構築しなければ、地域社会との共通価値を有する持続可能なビジネスは実現されません。観光の意義や効果を高め、観光事業を通じて社会に新しい価値を生み出し、事業を未来につなげようとする13の事例を読者の皆さんと共有できればと思います。
 本著は、こうした地域との関係を持ちながら仕事をしている観光事業者の方々、行政関係者、観光によってまちづくりを進めようとされている方々、将来観光を仕事にしたいと思っている学生の皆さんにお読みいただければ幸いです。
 また、この本の企画から2年が経ちましたが、辛抱強く励ましていただいた学芸出版社取締役の前田裕資さんには、いつもいつも感謝しています。編集に携わって頂いた越智和子さんにはしっかりとした編集作業で出版にこぎつけました。有難うございました。末尾になりましたがお礼を申し上げます。
  2014年8月
編者:流通経済大学教授 藤野公孝 
近畿大学教授 高橋一夫