ボーダーレス化する世界で今何がおこっているのか


はじめに


 ボーダー(国境)レス(なし)化するとは、国境があり、ヒト・モノ・カネなどの移動に制約があった時代から、交通手段、コンピュータやITの発達、そして国家間のルールの変化で、あたかも国境のない社会に移行していることをいう。もちろん完全に国境がなくなることはなく、比喩的に国境なくなったと考えられるほど、世界各国がいろんな側面で似通ってきていることを指している。世界を旅するとたいていどこでもマクドナルド、吉野屋といった外食産業、イオン、カルフール、タイムズ・ロータスといったショッピングモールがあって昔ほど外国と感じない、それがボーダーレスという意味である。韓流が日本で流行れば、タイでも流行る。パリコレが世界を席巻する。そんななか、グローバリゼーションの浸透を一番よく感じさせてくれるのは何といっても携帯電話の普及だ。

 ヒト・モノ・カネが自由に動くことにより、こうしたボーダーレスな世界が実現した。モノに関しては貿易の自由化、地域協力の進展で、相当早い時期からグローバル化が進んだ。モノの製造の仕方も昔と違って、iPhoneをみれば分かるように、すべてを一国で製造することはまずなく、多くの国・地域が生産ネットワークのもと、生産プロセスに組み入れられている。カネは一瞬のうちに世界を駆け巡る。証券市場は、日本、ロンドン、そしてニューヨークと24時間開いていると言ってもよい。ロンドン、ニューヨーク、上海、シンガポールといった金融市場は互いに影響しあう。日本国内の株式売買の外国人の取引は5割を超えるといわれる。ヒトはもっともボーダーレス化が遅れていると思われるが、シンガポールに行くとインド人やフィリピン人の労働者が街中を闊歩しているし、タイは近隣諸国からの合法・非合法の外国人労働者がいないと経済がもはや成り立たない。日本はどちらかというと特殊でヒトに関して閉鎖的だ。タイからの観光客のビサをフリーにすると一気に観光客が増えた。ヒトの国際移動を自由化すれば、日本もシンガポールのようになることは必至だ。

 ヒト・モノ・カネのボーダーレスとともに忘れてはならないのは、地域協力の進展に伴って、様々な経済制度、たとえば金融制度、知的所有権、会社設立の要件、規格の統一、食の安全基準等々の共通化も図られていることだ。

 こうしたボーダーレス化した社会では、一国で発生していた問題も世界中に波及する。そうした事例はすぐに思い浮かべることができる。タイから発生した通貨危機が瞬く間にインドネシア、韓国等に波及したこと、米国の国内問題であったサブプライム・ローンもあっという間に世界の金融問題となったこと、リーマン・ショックからEU危機に繋がったことなどである。第2巻ではこうしたボーダーレス化する世界でどんな問題が起こっているのかを、いろんな側面から議論する。

 第1章ではボーダーレス化の象徴、iPhoneがどこでどのように製造されているかから説き起こし、世界が生産ネットワークで緊密に繋がっていることを説明する。そうしたネットワークのなかに組み込まれ、経済発展を遂げたタイの経済構造について、2011年秋の大洪水がもたらしたサプライチェーン寸断の事例を詳説、つまりモノの生産についても一国の問題が世界に波及するプロセスを明らかにしている。加えて、世界各国が同じかというとそうではなく、先進アジアを追いかけるインドネシア、ベトナムをとりあげ、消費の面でのボーダーレス化はあるものの、こと生産・輸出と言った点から見ると、各国がそれぞれ異なった発展パターンを追い求めていることも議論する。ボーダーレス化を今後一層推進することに貢献する環太平洋経済連携協定やその他の経済統合を睨み、日本の果たすべき役割について言及しこの章を結ぶ。

 第2章は、東アジアで一番開発の遅れているミャンマーについての詳説である。50年間、時計が止まったかのごとく成長と縁のなかったミャンマー、その歴史についてまず解説する。2011年3月に民政移管を果たしてから改革・開放路線を突き進み、急速な政治・経済改革と先進諸国との国際関係の改善をはかってきた経緯について述べる。アジアの他地域の賃金が軒並み上昇し、ミャンマーの低賃金を求めて多国籍企業が直接投資を盛んにしつつある。その結果、グローバリゼーションはこの小国にも押し寄せてきており、都市の一部で不動産価格・賃料の高騰、中古車販売の増加、都市部のオフィスワーカーの賃金上昇、近代的な大型ショッピングセンターの開設等々が見受けられる点を指摘、今後の発展、変化が期待できるが、影の面があることも指摘する。環境破壊、ゴミ問題、大気汚染の深刻化といったような様々な問題を短期間に引き起こしかねない状況に鑑み、環境保全を伴った持続可能な成長を模索する必要を説く。環境先進国である日本が、ハード、ソフト両面においてミャンマーの市場経済化とグローバル経済への統合過程で果たすことができる役割は計り知れないと結ぶ。

 第3章以降は、もっともボーダーレス化が進んでいる金融の側面に焦点を当てる。まず第3章で、2011年9月に起きた「ウォール街を占拠せよ」活動をとっかかりにして、資本市場がもたらした格差を取り扱う。ボーダーレス化する社会において、所得格差は、国を問わず深刻な問題だ。こうした格差をもたらしたのが資本市場であるとしてこの活動が発生したことに注目し、資本市場が格差を生み出す仕組みについて平易に解説する。リーマン・ショックのあと、資本市場が生み出す高額な報酬に世界の関心が高まり、それへの批判が高まった。ウォール街は世界最大の金融・証券の街で高額所得者が多いことから、「ウォール街を占拠せよ」活動が起こったのは当然と言えば当然である。この活動の意義は資本市場が所得格差を生み出したことを世界に明解に指摘したことだろう。所得格差は現代社会の悩める未解決問題で、社会が直面し、何らかの手立てを立て解決に向かわなければならない重大な課題ととらえる。

 第4章は金融危機、それも危機の連鎖について議論する。さまざまな国や地域で次々に発生している金融危機はそれぞれ独立したものではない。世界のある国で起きた一つの危機が近隣諸国や他の地域で新たな危機を引き起こす「危機の連鎖」について、その仕組みを明らかにするとともに、どのような政策対応が可能なのかについて考えている。サブプライム住宅ローンの破綻とリーマン・ショックに注目し、前者に関しては、危機の背景、金融危機の大きさ、危機後の対策について議論を深める。後者に関しては、連鎖が引き起こしたドバイショックを概説したのち、ギリシャの債務問題を筆頭にEU全体が揺すぶられている連鎖の現状、そして対策について述べる。金融危機は、発生後可能なかぎり迅速にマネーの流れを確保することが不可欠であるとし、市場の不安を取り除いた後に、根本的な治療となる景気刺激対策や構造改革といった中長期的政策に取り組むことが危機からの完治への道筋と結論づける。そして危機の再発防止のためには、国際金融市場において、金融取引の自由と規制の最適なバランスを考え、実行することが必要で、国際社会によるあらたな制度設計と実現のための政策協調が強く求められていると結ぶ。

 第5章では、金融システムの国際標準化について、自己資本に対する考え方や規制の変化を中心に、日本の金融の仕組みと世界の仕組みの関係を解説している。金融取引がボーダーレスになり、誰もが世界の誰とでも貸し借りが可能になってきた現在、金融機関や金融市場の競争はそれだけ激しくなり、その国独自の歴史的経緯や文化的背景をもった金融システムでは、対応できなくなってきている。それを規制監督する仕組みも、国際標準化が進んできた。世界の金融の仕組みを世界で作る時代になってきている訳だ。こうした経緯をやさしく解説する。世界の仕組みを作るのに果たした日本の役割は受け身でいつも小さい。今後は、どのように規制を改革し、それによってどのような世界を実現するのかということを根本から考えたうえで、世界の仕組み作りを日本はリードするという姿勢が必要と結ぶ。

 第6章はこれまでのモノ、カネ中心の分析ではなく、ヒトに関わる健康と環境問題についての議論である。SARS、鳥インフルエンザ、PM2.5、黄砂等々、種々の問題が国境を越えて大きな影響を与えている。世界はいまだにこうした越境する公害等に効果的な手段がとれていない。どうすればいいのか、どういう問題がそこにはあるのかをこの章では考える。医療サービスも国境を越えて多様な広がりを見せ、患者が外国の医療機関にまで出かけて行くことも一般的だ。高齢化も東アジア全体で始まっていて、これが引き起こす社会問題も解決すべき喫緊の課題である。こうした課題に対して世界保健機関(WHO)といった国際機関も、ビル&メリンダ・ゲイツ財団などNGO組織も立ち向かってはいるが、今後は、政府、NGO、国際機関等が連携を強め、健康と環境問題は一国の問題ではなく、世界共通の課題と認識し、対策を練ることが必要と結論づける。

 第7章はこれまでのヒト・モノ・カネの議論から、一歩すすめて制度もしくは政治のグローバル化、ボーダーレス化に視点を移す。18世紀以来の国民国家システムがグローバリゼーションの進展に伴って揺らぎ、新たな国際政治構造が生まれつつあるのではとの立場をとる。歴史的に振り返ると、近代ヨーロッパでは、国際関係における行動の単位としての国家、そして国家間のルールとしての勢力均衡と国際法であったとする。さまざまなものが国境を越えるようになってグローバリゼーションが実現した。つまり国境が「低く」「薄く」「脆く」なってきて、ヒト・モノ・カネや、国家主権もまた国境を越えて、その一部が流出している。それが現在のグローバル化だ。世界貿易機関(WTO)加盟の各国は、貿易の関税や取引量の決定権限のみならず、サービスや知的所有権に関する決定権限も、それぞれ加盟国の主権から切り離したうえで、WTOに委ねている。環太平洋パートナーシップ(TPP)、欧州連合(EU)も同様である。イデオロギーも国境を越えつつある。民主主義の輸出であり、「国際社会」による国造りである。国家主権を凌駕する「国際社会」の行動原理が生まれてきたと議論をすすめ、今後はますます国境が「低く」「薄く」「脆く」なると議論している。

 以上、第2巻では、さまざまな立場からのボーダーレス化を論じている。ボーダーレス化する世界で今何がおこっているのかについて、できるだけやさしく、興味を持ってもらえるよう執筆した。それゆえ、世界がボーダーレスになり、グローバリゼーションがヒト・モノ・カネそして制度について進展していることは理解してもらえると思う。

 こうしたグローバリゼーションは必然なのか、このまま受け入れていって良いのか、それがなければどうなるかという問題について、みなさんには、深く思考を巡らせていただきたい。思考のヒントとしてロドリックの考えを紹介しておこう。彼は『グローバリゼーション・パラドックス』で、世界経済には原理的な政治的トリレンマがあるという(注1)。すなわち、「民主主義」と「国家主権」と「グローバリゼーション」を同時に追求することは不可能だと論じている。確かにグローバリゼーションを全部受け入れれば、その国のアイデンティティはなくなる。民主主義を徹底すれば、国家主権は怪しくなる。国家主権を前面に出すと民主主義もグローバリゼーションも調整を迫られる。

 市場がよく機能するためには、金融、労働、社会保障などの分野で一連の効率のよい制度が発達していなければならず、政府のマクロ経済管理も適切になされていないといけない。一つの国家レベルで考えると、その統治能力の向上なしには成長・発展はありえない。グローバルな視点から考えると、問題は一つの国家にあるような統治機能が存在するかどうかだ。明らかにそういう機能は現代世界にはまだない。一国レベルで一致している市場と統治が、グローバルなレベルではバラバラになっている。生産、貿易、金融などは国境を越えてどんどんグローバルになっていっているが、統治の範囲は世界ルールが一部にあるとはいえ、まだまだ国家単位にとどまっている。

 そこでロドリックはこの三つのうち、二つしか同時に追求できないとして、三つの道があると議論している。一つはグローバリゼーションと国家主権をとって民主主義を犠牲にするというもので、これは新自由主義の立場だという。二つ目がグローバリゼーションと民主主義をとって国家主権を捨て去るというオプションで、これはEUの立場だ。最後がロドリックの提唱する道で国家主権と民主主義をとってグローバリゼーションに制約を加えるというものだ。グローバリゼーションをそこそこにとどめおけば、世界経済に安定をとりもどすことができるという。

 少し小難しいことを書いたが、この巻を読まれたみなさんには、単にボーダレスになってきている世界を知るだけでなく、ここで紹介したロドリックの議論を参考に、一歩進んで我々の生きるこの世界をどの方向に持っていくのがよいのかをじっくりと考えていただきたい。

第2巻編者 阿部茂行

(注1)
ダニ・ロドリック著、柴山桂太・大川良文訳『グローバリゼーション・パラドックス 世界経済の未来を決める三つの道』(白水社、2013)