高さ制限とまちづくり  



あとがき

 1919(大正8)年の市街地建築物法制定後、内務省は『市街地建築物法の話』(内務大臣官房都市計画課、1926年)と題する普及啓発のための小冊子を作成した。その中には次のような一節がある。

 「(市街地には)住宅があり、商店があり、工場が建ち並ぶ。人はその間に生れ、働き、患ひ而して死んで行くのである。些末の事項と見える建築物の配置、大さ[ママ 注:大きさ]乃至は構造設備の如何も実は社会の禍福に影響するところが少くない。来るべき文化の揺籃としての深く大なる使命を省察するに於いては、我等は広く眼を投じて市街建築の弊竇[注:弊害の意]に直面し、交通、衛生、保安、美観等各般の方面に亘って冷静なる計画と施設を進めなければならぬ」。

 法制定から約100年が経過した今、法律も時代状況も大きく変わった。しかし、当時の内務官僚が記した法の精神は、いささかも古びていない。現在に生きる我々も、人びとが「生れ、働き、患ひ而して死んで行く」場所である都市の環境をいかにして守り、育てていくのかが問われている。また、「建築物の大さ」、つまり建築物の高さやボリュームが都市に影響を与える点も現在と変わらない。
 『市街地建築物法の話』では、高さ制限の考え方についても触れられている。その基準は「超ゆべからざる限界を示すところの一の指標たるに過ぎない」ため、「単に法令の規定に違反せざるを以て能事了れりと為すは思慮足らざるの甚しきものと謂わねばならぬ」と記されている。つまり、基準を守ること自体が目的ではなく、基準が意図する目標に立ち返ることの重要性を強調しているのである。
 当たり前のことではあるが、建築物の高さ制限は、目指すべき都市を実現するための一手段であり、それ自体は目的にはなり得ない。我々に求められていることは、「広く眼を投じ」て都市を見つめ、目指すべき都市を常に念頭に置きながら、「冷静なる」判断で高さ制限を活用し、まちづくりを継続していくことなのである。

 末筆ながら、本書の出版にあたってお世話になった方々に謝辞を申し上げる。
 本書をまとめるにあたっては、実に多くの先生方にお世話になった。本書は東京工業大学に提出した博士論文による部分が多いが、博士論文の指導教員であった中井検裕先生には、博士課程の学生として受け入れて頂いてから約10年が経つ現在も、研究者としての姿勢や考え方を常に学ばせて頂いている。また、齋藤潮先生、十代田朗先生、土肥真人先生、真野洋介先生、中西正彦先生の各先生には、厳しくも懇切丁寧なご指導を頂いた。改めて感謝の意を表したい。こうして出版できたことで、僅かではあるが先生方に恩返しできたのではないかと考えている。
 また、全国の各自治体の皆様によるヒアリングや資料提供等の協力なしには本書を執筆することは叶わなかった。一人ひとりのお名前を挙げられないのが残念であるが、自治体関係者の皆様には心よりお礼を申し上げたい。
 学芸出版社の前田裕資さんには、本書の方向性を導いてくださったばかりでなく、筆者の様々なわがままを受け入れて頂いた。また、本の制作にあたっては、村角洋一デザイン事務所の村角洋一さんに多大なご尽力を頂いた。お二人に心より感謝を申し上げたい。
 なお、本書の出版にあたっては、平成25年度科学研究費補助金(研究成果公開促進費、課題番号255232)の交付を受けている。ここで感謝の意を表したい。

2014年1月 大澤昭彦