食と景観の地域づくり
小さな活動からネットワークへ

はじめに

 祖父の代に開拓民として秋田から網走に入植された佐藤さんは、87歳であるが、流氷の季節に、腰も曲げずに颯爽と、毎日の散歩を続ける姿がある。集落の開基100年の年に、昔のことをよく知る佐藤さんから、入植以降の集落の歴史についてお話を聞く機会を得た。厳しい開拓生活の合間の楽しみであった「美味しいおやつ」についてうかがったところ、「いも団子だね」という答えが返ってきた。
 「おいしかった記憶のあるおやつは、いも団子だね。久しぶりに食べてみたくなって、去年、つくったが、デンプンが悪くておいしくなかった。昔のミフン(未粉)でつくったいも団子は歯ごたえがあったな。今のセイフン(製粉)は真っ白だが粘り気がなく、いも団子をつくるのにはむかないよ」。
 いも団子のつくり方は、まず金時豆などで煮豆をつくる。その煮豆の煮汁も使ってでんぷんを湿らせたもので煮豆を包み、団子状にして熱湯を回しかけ、薪ストーブの上で焼く。今日のように輸送手段が発達していない時代の換金作物は、なるべく生産地で運びやすい形に加工する必要がある。このため、昔は、各地で水車などの動力を利用してじゃがいもからでんぷん摺りが行われ、沈殿した粉(だから「澱粉」という)は秋から冬にかけて戸外で天日乾燥されていた。今でいう6次産業は、一般的な農家の作業パターンであった。現在は合理化され、でんぷん工場という大規模な施設に収穫された馬鈴薯は集められ、機械で摺られ、火力を使って乾燥されている。昔のやり方でつくるでんぷんは「未粉」と呼ばれ、歯ごたえがあり、唐揚げもカラリと揚がると言われている。
 「今、いも団子をつくるなら、紅丸という品種からデンプンをとってつくればうまくできるかも知れない。昔は釧路赤という品種があり、これは粘り気がありおいしかったね」。
 すでに農業は引退したと言いながら、家庭菜園というには広大な畑で作物を育てる佐藤さんは、豆の栽培面積も半端ではないため、豆の脱穀には昔のプロの道具を使われる。佐藤さんの話から思うのは、今、これだけジャガイモの種類やその製粉状態を、食べ分けられる人がどのくらいいるのだろうかということである。日本各地においてこうした食の多様性が急速に衰退、消滅しつつあることを実感せざるをえない。かつては小規模な圃場で多様な作物が栽培されていた北海道の畑も、大規模化とともに単一品種作付けとなり、それにともなって、景観も特徴のない画一化されたものへと変わった。

 本書では、日本各地で実施されている食と景観に係るさまざまな地域活動について、自治体担当者の協力を得て地元の方々からお話をうかがい、その内容について紹介した。高齢化、過疎化の進むなかで、地域活動を担う人たちの強い不安感が明らかとなっているが、そのパワーは、地域政策のなかで大きな意味を持つものと考えられ、したがってこれらの活動に対する支援は急務とされるべきである。しかし、6次産業化やグリーンツーリズムの施策が一部で実施されているものの、農山漁村の振興策は従来の枠組みを越えるものではなく、日本の各種制度は多様な地域活動をうまく支援しているとはいえない状況にある。
 一方で、厳しい地域間競争にさらされるヨーロッパ諸国においては、個々の事業制度が日本と類似しているにもかかわらず、その運用手法には大きな差がある。特に注目されるのは、国や地方政府が示す明確な目的のもと、地方政府あるいは地域活動の主体が自ら支援スキームの詳細や予算分配を決定している点である。地域活動の主体が広域的に連携するプロジェクトにおいて、自然や文化を活かした新規ビジネスの創造が推進され、そこでは、行政による手厚い保護という従来型の手法は、さまざまな経済分野に対する十分な投資へと切り替えられている。やる気と実力のある地域活動主体が自らの力で事業を実施するこうした動きは、グローバルな競争のなかで、すでに国は、画一的な事業と予算配分による中央集権的なこれまでの手法では地域を支えることができなくなり、地域独自の主体的な選択を重視せざるをえなくなったことを示している。
 日本の農山漁村は危機的状態にあり、その課題は単に経営の大規模化や観光化等によって乗り越えられる問題ではなくなっている。しかし、これらの地域が失われれば、日本各地の食にまつわる物語が失われ、文化的な景観も同時に消える。本書で紹介した地域においては、核となる人物の存在や自治体職員の努力によって懸命の努力が行われており、地方自治体と、極小の、しかし、パワーあふれる地元の小さな活動との間には少しずつ連携が生まれ、地域的なネットワークに発展しつつある。
 本書は、いわゆる健康食や食旅の推奨を目的としたものではなく、また、何らかのデザインや建造に関連するものでもない。地域の小さな活動が生み出す、地域振興の可能性に関連するものである。
 我々は役人として具体的なプロジェクトを実施するなかで、地方自治体や地元の方々と意見交換を重ね、そのなかで学ぶことも多かった。本書は、こうした農家や漁師、そして市町村担当者たちとの議論のなかで着想したものである。地方自治体は、自らの地域にある伝統産業や地域特有の食のなかに次の世代に伝えねばならない大切な物語があること、そしてそれがグローバル化のなかにあって、地域の生き残りをかけた戦略的な資源であることを認識し、これらを活用した地場産業の新たな展開や創出を図ることを明確な目標として掲げ、小さいが、しかし独自市場の創出を進める必要がある。
 また、我々はこの本を、今は亡き小俣寛さんに捧げたい。常に何か新しいことにチャレンジしたがっていた彼を通じ、新しい制度として食と景観の問題に接する機会を得た。本書に紹介したフランスに係る記述の多くは、彼に教えられたものである。
2012年10月 オホーツク海をのぞむ網走にて