なぜイタリアの村は美しく元気なのか
市民のスロー志向に応えた農村の選択


はじめに


 イタリアの農村は美しい。イタリア人は「ベルパエーゼ」(美し国)と呼んで、陽光溢れる海と山、隅々まで耕された農村の美しさと豊かな実りを讃える。数々の歴史都市の壮大な建築群だけでなく、世界文化遺産にも登録されたオルチャ渓谷の農村景観を始め、半島の北から南まで、各地に広がる美しい風土にこそイタリアの魅力があるという。その農村景観はまた、美酒・美食の郷として旅する人々を惹きつける。香り高くこく深いワイン、ふくよかなチーズ、熟成された生ハム、香ばしく調理された肉や魚、歯応えよい野菜に滋味深い果実の数々、加えて穀類・豆類の豊富さに、色も味もとりどりの菓子類が並ぶ。この美味しさがあるから、イタリアの農村の魅力は他の追随を許さない。
 実際、美しい農村は今や重要な観光地でもある。この四半世紀の間に農村で休暇を過ごす習慣がイタリア国民ばかりか外国人観光客にまで広がり、農村観光、いわゆるアグリツーリズモと呼ばれる農家民宿、農家レストランが盛んになった。アグリツーリズモの魅力といえば昔は風景だった。それが今や美酒、美食に尽きるといっていい。美食といえば、イタリア発のスローフード運動は日本に、そして世界中に広がった。それ以前から世界に広がっていたイタリア・レストランは、もはや楽しかったイタリア旅行の思い出に浸る場ではない。次々と発信される新しい食文化に、常に新鮮な驚きを覚える場にもなった。
 アグリツーリズモの楽しさは、美しい農村でゆったりと過ごす時間にある。四季折々のイタリアの田園風景は眺め飽きることがない。実際、イタリア人はよく田舎に出かける。私もピサに留学中、シエナの西「ジュンカイオーネ」の別荘によく招いてくれた友人がいた。パーティも足を延ばして田舎の家で開いていた。暑さを避けて1週間滞在したこともある。ローマに移ってからも友人宅、休暇先に友人を訪ねる機会が多い。別荘だけに、海か山があり、観光地でなくとも古城や教会がある。そして、その土地の食材と料理がいつも用意されている。だから私も田舎(カンパーニャ)という言葉にはまず食欲をそそられる。土地ごとに個性的な田園風景の美しさを思えば、舌の先に懐かしいあの味が浮かんでくる。
 そんな国に暮らすイタリア人は、バカンスはいうまでもなく、短い休日も田舎で過ごす。早めに引退した友人は、ビツェンツァの郊外に美しく壮大な住宅を建てた。たった2、3日の時間しかない私には、レンタカーで足を延ばすのはちょっと億劫になる。しかし、必ず手厚いもてなしを受ける。ワインと珍しい食材、郷土色豊かな料理で深夜まで過ごす。モスタルダで食べたボッリート(肉の煮物)は忘れられない。家族を伴えば喜びも増す。自然と歴史に触れ、長閑な農村の味と香りに時間を忘れてしまう。
 夏には庭にテーブルを持ちだし、昼は木陰で夜は星空の下で皆一緒の長い食事が始まる。春も秋も、イタリアは1年の内8カ月ほど戸外で食事ができる気候である。庭のオーブンで焼くのはピザだけでない。春と秋には採れたての野菜や肉・漁類を調理する。茸もいい。冬には皆が暖炉に集まる。農村の別荘に暖炉は不可欠、だから薪集めに遠来の客も駆り出される。今でもコムーネ(市町村)が森を持たない住民に薪を安く分けてくれる。庭の竃で燻製作りを眺めれば、温めたワインに薪の匂いがよく合って、芳醇な香りに包まれる。そして、暖炉の前で深夜まで人生を語り合う楽しみは、田舎暮らしの醍醐味であろう。
 そして朝日は野鳥のさえずりとともに訪れる。夏の白い朝、そして冬の暗い朝、明けきらぬ田園をさまよえば、静けさの中に人はそれぞれに深い想いに浸る。エスプレッソの香りで目覚めた人も、賑やかな朝食に駆り立てられるように農村の1日を始める。長閑に農作業を眺めるのもよし、今夜の食材を吟味するもよし、どこにも出掛けず、日光の下で輝くワイングラスを傾けてもいい。若ければ、広大な麦畑や海沿いの果樹園をドライブ、古代の遺跡や中世の砦で足を止める。知り合いの農家があれば新鮮な山羊のリコッタを求め、漁村では採れたてのウニを味わう。熟年世代のバカンスなのだから、もう人混みに出たくない。今夜も明日も田舎で過ごす。贅沢な別荘がなくとも、今では安くて快適な馴染みのアグリツーリズモで、贅沢な大人の休日を過ごすことができる。私たち日本人も泊まれる。そして、イタリアの村の美しさを堪能することができる。
 イタリアの村の魅力は、アグリツーリズモによって観光客にも開かれた。アグリツーリズモは元気な農村の若い農家が経営し、食の魅力はスローフードに参加した農家が支えた。そんな新しい農業が元気な農村を支えている。もちろん観光の国イタリアだから、アグリツーリズモは成長した。さらに世界文化遺産にも登録される風景の数々は、イタリアの景観法制度の成果でもある。
 こう考えると、イタリアの美しい村は、第2次世界大戦後の70年弱の歴史の果てに、最近ようやく完成したものである。もちろん村の歴史は古い。しかし、この豊かさと快適さは決して古くはない。アグリツーリズモが始まったのは40年前、増えたのはこの20年ほどだ。地元の食材が豊かになったのもこの20年、そして地方の町や村が元気になったのはここ15年ほどの話である。村々の美しさが守られたのは、80年代に制度化された景観計画が普及してからだし、イタリアらしい元気な農業は欧州連合の農業政策の成果だと言われる。これも60年代から始まった。これらの取組みが総合されたところに、現在の美しい村とアグリツーリズモの成功がある。
 農業と食、美しい国土と文化遺産、そして観光の国イタリアが、イタリアらしさをもっとも発揮するのが農村だと語るイタリア人が増えてきた。そのイタリアの農村を紹介する番組は、今やイタリア国内より日本のテレビ番組に多い。それも歴史都市の芸術文化と並んで、農村風景や食文化が頻繁に登場する。ただ、美しいハイビジョン映像でも味や香りは伝わらない。だからデパ地下にはイタリアの美食が溢れている。実際にアグリツーリズモに出掛ける日本人も増えた。イタリアの田舎の魅力は、今では多くの日本人も知っている。
 そこで、この本ではイタリアの美しく元気な村づくりの切掛けとなった出来事を一つずつ語っていく。その一つ一つが、美しく元気な村の秘密を解き明かす物語になる。一見、バラバラに起こったように見える出来事は、戦後70年間のイタリアの村づくりを支えた政策を生んできた。
 これらの出来事には、私個人が出会ったか、親しい知人からよく聞かされたことから取上げたものもある。また、個別にはそれぞれその要点が日本でも紹介されたものもある。それらを改めて並べてみると、イタリアの村づくりにおける革新の歴史が見えてくる。数多い成功例は、ただ幸運が重なったからではない。大きな転換を経て農業と農村が改革されて、美しく元気な村づくりが進んできたからである。成功の裏に隠された物語を綴ることで、幅広く奥深い村づくりの秘密を解き明かしたい。
 一方、日本の農村と農業は今、大きな転換点にある。そんな日本からみると、イタリアの村の物語は遠い彼方のお伽噺と思われるかもしれない。しかし、そこに日本の美しい村の未来が見えるように、私には思える。そうなって欲しい。静岡県西端の三ケ日町(現・浜松市北区)で育ち、今も蜜柑をつくりに通う私は、現在の日本の農村問題の難しさも少しは理解している。同時に秘められた可能性にも気づいている。多くの日本人が憧れる美し国イタリアの魅力を、日本でもぜひ実現したいと願う。イタリアの村づくりを物語ることで、その根底にある大きな流れから日本の村づくりの未来を描きたいと思う。