改訂版 都市防災学
地震対策の理論と実践

あとがき

 東日本大震災の被害状況とその分析については、まだすべてが明らかになったわけではないが、わかる限りの知見を踏まえて、今回、改訂版を出版することになった。初版のあとがきには、阪神・淡路大震災のあとに著した拙文を引用して、災害に対して感情的にならず理性的に対処することの重要性を述べたつもりである。このことは東日本大震災を経験した現在においても変わるものではないが、今回の災害に際しては、人間の叡智をはるかに凌駕する自然の力を見せつけられたという想いを抱いたのは筆者だけではなかろう。そこで、この際、改めて、強大な自然災害に対峙するわれわれの心構えについて筆者の私見を述べて、この本のあとがきとしたい。

 最近の地球物理学の進展により、海洋や大陸を支えるプレートの挙動などの姿が実証的に理解できるようになった。また、実験岩石学の成果と古岩石の分布状況調査などにより、46億年の地球の活動と、その間における地球環境の変化、生命体の進化の状況も大まかな推定ができるようになった。最初の生命体の誕生から40億年の間に地球環境は大規模に変動し、そのたびに生命体は絶滅の危機に襲われることとなるが、生物多様性を確保した生命体は、支配的生物相を変遷させることによって環境変化を克服してきた。最も有名な地球災害は6500万年前に巨大隕石の衝突が恐竜絶滅を招いた事件であるが、2億5000万年前には、大陸プレートの集合で出来た超大陸が再度分裂することにより、巨大な火山活動が二酸化炭素の増加と海洋酸素の欠乏を招き、大部分の古生代型生物が死滅したとされる。しかも、このような地球規模の大規模災害は数千万年から1億年ごとに繰り返され、生命体の大量絶滅を招いているが、かろうじて生き残った生物種が新たに繁栄することになり、現在に至っている。
 このような地球史の環境変動に対し、地球上の生命体は、個体が滅びても種を存続させ、種が滅亡しても適応性が高い別の種を繁栄させるという方法で命を継承してきた。確かに地球の活動は、生命体にとって過酷であるが、生命体が存続を図る方法のしぶとさも驚異である。一般に生物は数多くの子孫を作り、その子孫の大部分は成長する前に死滅するが、運の良いものだけが次世代に生命を継承する。すなわち、生き延びるための最大の要因は“幸運であること”というのは、地球生命体に共通の原理といえる。
 20世紀型の価値観からすると、上述のような生命存続の原理は、人間以外の生物にだけ適用できると考えがちであるが、今や、人間も地球生命体の一種であり、同じ生命存続の原理の下で生存していると考えるのは筆者だけではあるまい。20世紀の最後の10年間を「国際防災の十年」とした国連総会の宣言文では、科学技術の力により、災害運命論に陥っている発展途上国を救うという趣旨が勇ましく述べられているが、科学技術は万能ではないし、科学技術上の知見があっても、これを有効な防災対策とする経済力には、先進国でさえ限界があることは、最近では多くの人々が理解している。可能な限り安全に配慮し、自らの力の限界を超える部分について天の加護を願うという生き方は、先進国、途上国を問わず当然の姿と考えるべきである。簡潔な表現をすれば、「人事を尽くして天命を待つ」ということであるが、どこまでが人事の領域かを明らかにすることは国民を先導する人々の責務であろう。
 東日本大震災の復興はこれからであるが、財政的背景と行政上の仕組みを考慮すると、被災者の支援には限界があり、民間部門の復興は原則的には被災者自身が背負うことになると思われる。復興には次の災害に備えるという要素が含まれるが、防災技術の可能性と財政の現状を見る限り、今回の被害を教訓として次に備える対策は限定的にならざるを得ない。要するに、尽くすべき人事の範囲は限られていて、天命に期待するところが多くなるのであるが、これは、上述のように、災害に対峙する極めて当然な成り行きなのである。地球上の生命体は、人類も含めて、大災害と大災害の狭間で生存しているという事実を認識するべきである。
 遠い将来には、人類が完全に地球環境をコントロールするような時代が来ないとも言えないが、少なくとも現状では、大自然の力は強大で人間側の対抗力は極めて脆弱である。台風の進路を変えることもできないし、火山の噴火を制御することも不可能である。小惑星が地球に激突する危険性は皆無ではないが、映画で見るようにこれを事前に爆破して事なきを得るというのは夢物語である。地球が温暖化したり寒冷化したりする環境変動に対しても、人類は地球上を右往左往して生き延びる場所を探す以外の方策を知らない。唯一の救いは、大規模な環境変動が発生する頻度が人間の寿命に比べて低いために運が良ければ災害に遭わずに済むということであり、人類全体も災害と災害の狭間で生存が許されていて、幸運であれば災害を乗り越える可能性があるということである。
 このように書くと、「都市防災学」を学習して災害に立ち向かおうとしている読者の方々に水を差すことになると困るので、敢えて付け加えておくが、すべての災害対策は無意味だというつもりはない。実際に実行できることとできないことを明確にして、可能と判断した防災対策は必ず実現しなければならない。過去の大災害においても、すべてに優先して災害対策に取り組む、二度と同じ災害は繰り返さないと声高に叫ぶにもかかわらず、実現できることは極めて少ないのが現実である。それならば、実現できることを明確にして、その範囲内だけは確実に実施し、出来ないことは出来ないとして運を天に任せることの方が納得できる。大きな財政負担を伴わないような防災対策も可能であり、その実現のために知恵を絞ることこそが人事を尽くすことであり、そのために本書が幾分かの助けになれば幸いと考えている。

 本書の出版に当たっては多くの方々のご助力を頂いた。都市防災の大御所である伊藤滋先生には熱い励ましのお言葉をいただいた。また、学芸出版社の前田裕資氏には、隅々まで適切な助言をいただき、一般わかりのよい作文の能力に欠けるわれわれにとって強力な援軍となった。本書の成果の中には、われわれの研究室で卒業研究や大学院研究に汗を流し、巣立っていった多くの学生の貢献も含まれているし、教科書という性格から多くの研究者による既往の成果を引用させていただいた部分も少なくない。図版の転載を快諾していただいただけでなく、大いなる励ましのお言葉も頂戴し感激した例も少なくない。紙幅の都合で、すべての方々のお名前を記すことはできないが、本書の編者・著者を代表して、心から感謝の意を表したい。

2012年春

塚越 功