原発の終わり、これからの社会
エネルギー政策のイノベーション

まえがき


 2011年3月11日に起きた東日本大震災は、明治維新、太平洋戦争終結に次ぐ、日本の第三の転換期として歴史に刻まれるだろう。とりわけ、世界最悪級となった福島第一原子力発電所の事故(原発震災)は、原子力中心だったエネルギー政策のあり方を、根底から問い直している。

 そもそも人類が永続的に豊かな文明を営んでゆくためには、「再生可能なエネルギーと資源を、再生可能な範囲で利用する文明」へ移行するほかに道はない。3・11は、全速力でその方向に向かうパラダイム転換を、私たちに促している。

 そして、その胎動が起こりつつある。

 ソフトバンクの孫正義社長は、私財を投じて「自然エネルギー財団」を立ち上げ、35もの道府県知事を動かして「自然エネルギー協議会」を組織した。孫氏のように、現実的な議論を踏まえて、合理的に行動する経営者が現れるようになったのは、3・11以降の大きな変化であろう。

 さらに、震災以降、全国各地で毎日のように開かれている講演会やシンポジウムでエネルギー政策についての学習や議論が行われている。旧態依然としている大手メディアを脇に、インターネット上ではツイッターなどの新しいソーシャルメディアで自主的な情報が流通し、対抗的文化が形成されつつある。書店には原発を批判的に検証する本が大量に積まれ、多くの人が手にとっている。

 今、日本国民のエネルギー政策についてのリテラシーはかつてないほどに高まっている。この変化はエネルギー政策の民主化にとって、決定的ともいえる重要性を持っている。

 これまで、日本社会では、社会が変わるということにあまりに無自覚であった。実際には変わるのに、変わらないかのように考え、あるいは変えてはならないと錯覚されている既得権益すらあった。そのため、社会を変えるための知の蓄積もほとんどなく、それを生み出すためのコンセンサスをつくる場もない。

 たとえばスウェーデンをはじめとする北欧社会では、社会が変わるということを皆が共通に理解していて、それゆえにどう変わるのか、どう変えるのかということに、皆が責任をもって主体的に関わる。そこで議論し積み重ねた知の蓄積が社会のルールや政策、法律のあり方を決め、それに則って社会は変わってゆく。逆に社会が激しく変わるということをわかっているがゆえに、変えてはいけないものに敏感で、景観、自然、環境といったものを非常に大切にする。

 一方、日本には、新しい知の創造に対して責任をもって主体的に関わる人はきわめて少ない。まるで「知の焼け跡」のような状況である。我々は今こそ、この焼け跡から失敗の本質を学び、やり直さなければならない。

 原発震災という悲惨極まりない大災厄を、将来世代への負債ではなく遺産とするためにも、今それができなければ、いつできるというのだろうか。

 変革は自らの意志で生み出すほかなく、確固たる意志を持てば、未来は必ず変えられる。

2011年11月
飯田哲也