アグリ・コミュニティビジネス
農山村力×交流力でつむぐ幸せな社会

おわりに


 本書の執筆も終盤を迎えた頃、嬉しいニュースが飛び込んできた。埼玉県小川町の下里地区が「農林水産祭式典」((財)日本農林漁業振興会)の「むらづくり」部門で天皇杯を受賞することが決まったというのだ。同地区のお米の全量買い支えを埼玉県大宮市に本社のある住宅リフォーム会社OKUTAが行っていることは3章で紹介したが、天皇杯の最終審査会に参加したOKUTAの山本社長は、同社が買い支えを行った理由を次のように語ったという。
 「私たちも建築の世界で、原材料の生産から全部素性のわかるものを扱おうという方針でやっているのですが、やはり建材も流通が中に入ると何もわからなくなってしまうのです。それで生産側の一番川上のところまでいって、そこの社長と話をするんです。たとえば、壁材などの原材料の珪藻土だったら、産地の北海道稚内まで足を運び現場を確認し、メーカーに委託して製品化していくというようなことをずっとやってきました。そのバックボーンがあって今回のお米の全量買い支えにつながりました。
 有機農業で作られた下里米を、5kg2600円で買っています。生産者の方には1kg400円が入るようになっています。この値段でこういうものが手に入るということ、そして地域の有機農業に貢献できることは大きな価値だと、私や社員は思っているんです」
 思えば、2008年の秋に農水省の補助事業である「有機農業普及啓発推進事業」に委員として参加する機会を得て、その委員長である金子美登さんと出会った。同じ頃、「えがおつなげて」が主催する「えがおの学校」で、埼玉県小川町で活動をするNPO法人生活工房「つばさ・游」の高橋優子さんと出会った。
 翌09年の1月に、私はOKUTAの山本社長をお誘いして「霜里農場」見学会に参加した。それが山本さんと金子さんとの出会いとなった。その場にもいた高橋さんは、その出会いから生まれた買い支えの可能性にいち早く共感し、農家を一軒一軒回り、お米の袋詰めから発送、稲の生育状況に関する情報発信、エコツアーの受け入れなど、現地できめこまかくコーディネートやマネジメントしてくださった。志高い生産者とそれを販売する能力をもつ企業との出会い、それをつなぐコーディネーターとの連携で、下里地区のお米の全量買い支えは実現したのだ。
 不思議なご縁である。きっと必然があって、これらの出会いと有機的人間関係の継続があるのだとも思う。金子さんや高橋さんに山本さんを紹介できたことで、このような物語が展開し、その一端に参加できたことは本当に嬉しい。
 私は二十数年会社員をしていたが、5年前に辞めた。今は東京に拠点を置きながら、各地の農山村や地域を取材し、都市農山村交流に関する仕事をし、野菜を家庭菜園で育て、お米を仲間と一緒に作り、夏休みは東京の離島八丈島で過ごし、自分の時間では三味線(端唄・俗曲)の稽古をしている。
 各地域で静かに取り組まれている、豊かで幸せな地域づくりの物語を一人でも多くの人に伝えたいと本書を執筆した。しかし、「きれいごとにすぎない。うまくいっている事例ばかり取り上げているだけだ。農山村の現状はもっと深刻なんだ」というお叱りの声も聞こえそうだ。が、都市部に生まれ、都市部で育ち、企業で二十数年仕事をしてきた私にとっては、この数年間に各地で見せていただいたこと、聞かせていただいたいことは、驚きの連続で、本当に心から感動し、自分に何かできることはないかと考えるきっかけになった。これは、田舎のない自分自身の田舎探しなのかもしれない。田舎があることで、いかに深い安心とワクワク感がもたらされるか。それを私は身をもって知ることができた。
 そこで、まずは自分でそうした農産物を買うことから地域との付き合いを始めた。次に、「限界集落の視察ツアー」や「開墾スタディツアー」を企画した。また、話したり、書いたりする機会があるごとに事例として紹介した。そして、都市部の企業と農山村をつなぐことや、各地の有機農産物の販路を開拓することなどに努めた。都市に住む私たちでも、そうした地域の農産物を購入し、現地を訪問し、地域の人と交流し、農作業を手伝ったりすることができるし、それが地域の役に立つにちがいないと考えたからだ。
 すでにこれまでにこうした活動をなさってきた方はたくさんおられるだろう。でも、これが私の地域とのお付き合いのスタート、私のタイミングだった。私は、映画のメインキャストではないが、たとえば、映画に通行人として参加することにも似て、物語の進行に関われたことがとても楽しく、良い映画にしたいとあれこれ工夫することに夢中で、多くの人々に宣伝して回りたい気持ちでいっぱいなのである。
 そして、自分が関わっている、応援しているプロジェクトが成果を挙げた時、地域の人と一緒に祝杯をあげることは本当に嬉しく楽しく勇気がわく。一人でも多くの人がそのような体験をし、そうした感動が広がっていくことを心より願っている。
 とくに心躍るのは、若い人たちの参加だ。「えがおつなげて」の曽根原さんや、「ビオファームまつき」の松木さん、「生活の木」の重永さんは50歳前後だ。鳥取県智頭町で「森のようちえん」の西村さんは30代、「マイファーム」の西辻さんはまだ20代だ。こうした若い層が農山村に関心を寄せ、ビジネス的発想を取り入れた新しい取り組みを始めている。
 さらに半農半Xやダウンシフターズなど30代〜50歳前後で地に足のついた暮らしや仕事へと進路を変える人が増えている。この新しい潮流は徐々に太く、大きく、力強い流れになってきていると思う。
 本書を読んで、共感してくださった方、関心をもってくださった方と、ぜひご一緒に豊かで幸せな農山村の地域づくりをしたいと心から願っている。
 最後に、各地で取材にご対応くださり、現地を案内くださった皆様には大変お世話になった。心からお礼を申し上げたい。また、学芸出版社の中木保代さんには執筆のご提案をいただいてから早1年、辛抱強くおつきあいいただいた。まちづくりや建築の専門出版社である学芸出版社から本書を出版することができたことを誇りに思っている。
 そして、「妻は留守でも元気であればいい」と取材で留守がちな私を温かく見守ってくれた夫に感謝したい。
2011年1月1日 八丈島にて