「農」と「食」のフロンティア
中山間地域から元気を学ぶ

おわりに

 2000年の夏の頃から、中山間地域のことばかりを考えるようになっていった。人口減少、高齢化、耕作放棄地の増大などが伝えられるたびに、そこに暮らしている人びとのことが気になっていった。だが、現実の中山間地域の「現場」に踏み込んでみると、不思議な「輝き」に遭遇し、意外な思いばかりをさせられてきた。そこは「農産物直売所」「農産物加工場」「農村レストラン」、さらには「集落営農」「農業法人」を名乗っていた。
 いずれも農政や農協の影響下では「ままこ」扱いをされてきたものであり、「農業・農村論壇」では正当な扱いを受けているようではなかった。それらは開始されて20〜30年、本格化して10〜15年の月日を重ねているのだが、系統的な報告や評価がほとんどなされていない。
 この点、「モノづくり産業」の世界に長年にわたって身を置いてきた立場からすると、不思議な思いをさせられることばかりであった。「農産物直売所」は1見、商店のようにみえるが、そうではなかった。「農産物加工場」の外観は工場であり、設備からも食品加工工場とみえるのだが、そうではなかった。「農村レストラン」は単なる飲食店ではなかった。そこに、人びと、特に農山村の女性たちが加わると何かが根本的に違ってみえた。
 最大のポイントは、それらは単なる「商売」ではなく、地域の活性化が基本にあること、さらに、抑圧されてきた農山村の女性たちが「思い」を発揮する「場」ということであった。農山村地域の農家の女性(嫁)たちは、3世代、4世代の大家族の中で、家事、育児、農業に加え、進出企業のパートに出かけ、さらに、老親の介護まで担ってきた。特に、減反、米価の低落の中で、男性は出稼ぎか通勤が当たり前のものになり、女性の負担はさらに重なっていった。
 他方、大切に育てた農作物も、形が悪く数の揃わないものは農協はとりあってくれず、廃棄するしかなかった。それでも細々と「無人販売所」を続けてきた。そして、80年代の中頃になると、1部の女性は農協の制止を振り切ってバラックに戸板1枚で「農産物直売所」を開始していく。そして、パートタイマーとして勤めていた進出企業がアジア、中国に移管される90年代の中頃になると、いっせいに農産物直売所や小さな加工をスタートさせていった。
 そのことの意味は本文で述べたが、農山村の女性たちが初めて自分名義の「預金口座」を持ったことの意義はまことに大きい。彼女たちは「勇気」づけられていく。そして、この農産物直売所の発展は「農産物加工」を促していく。彼女たちは工夫を重ね、新たな世界を切り開いていった。さらに、「農村レストラン」もその頃から活発化していく。自分たちの「思い」を込めて作った農産物を大切に扱い、「自立」できる可能性を切り開いていったのである。それは、戦後の50年の常識であった大量生産、大量消費、大量廃棄という「20世紀型経済発展モデル」とは全く異質な取り組みであり、新たな価値の創造を意味していた。
 同時に、人口減少、高齢化、担い手の減少、耕作放棄地の拡大という中山間地域に忍び寄ってきた困難に対し、条件不利の農地を大量に抱えていた島根県や広島県では、早くも70年代、80年代の頃から「集落営農」の可能性が試行錯誤されていった。そして、この集落営農の推進の背中を押したのは女性たちといわれている。すでにその頃には兼業化が進められ、実際の農業の担い手は女性になっていった。女性たちは「このままでは農地の維持も難しい」ことを実感していく。中山間地域の集落で「集落営農」の話題が出ると、男性はほぼ全員反対、女性はほぼ全員賛成、といわれている。
 このように、現在の中山間地域では、女性主体に物事が動いている。そして、「自立」に目覚めた彼女たちは、集落や農業の将来を見通しながら、多様な方向に向かっていった。集落営農の推進が、女性たちに少しの時間的余裕を与えたことが、農産物直売所、加工場、農村レストランの具体化を推進してきたのである。
 これら3点セットというべきものは、地域に新たな付加価値をもたらし、さらに雇用の場を拡げ、そして、農業者に「勇気」を与えている。日本の農業、集落もここから変わり、新たな「価値」を生み出しながら、「21世紀モデル」を形成していくことが期待される。そこには「自立」のこころ、地域への「思い」が深く形成されていくことになる。
 このようなことばかり考えて、この10年、島根県を中心に、高知県、岩手県、栃木県、長野県、岡山県などの中山間地域の「現場」を歩いてきた。ただし、いずれの県も地域条件が異なり、さらに、1つの県でも市町村ごと、集落や地区ごとに置かれている条件は異なっていた。そのような意味で、私の視野に入っている範囲は実に限られたわずかなものにしかすぎない。これからも全国の中山間地域の「現場」に足を運び、さらに新たな可能性をみていくことにしたい。私の中山間地域をめぐる取り組みは始まったばかりなのである。これからも、皆様方のご支援をいただけることを願っている。
 なお、本書を作成するにあたっては、本書に登場する人びとをはじめ、関係する県庁、市町村等の方々にたいへんにお世話になった。本書で紹介したケースの多くは、『経営労働』『地域開発』『山陰経済ウイークリー』『商工金融』『月刊「商工会」』に掲載したものを修正して再掲した。また、本書刊行のキッカケを作っていただいた学芸出版社の前田裕資氏にはたいへんにお世話になった。皆様方には、この場を借りて深くお礼を申し上げたい。まことに有り難うございました。

2010年10月
関 満博