創造性が都市を変える
クリエイティブシティ横浜からの発信

はじめに

創造性が都市を変える

2009年9月、国内外から約70人のスピーカー、延べ約2000人の参加者を迎え、「横浜クリエイティブシティ国際会議2009」が横浜で開催された。「創造性が都市を変える―Creativity moves the City」はこの会議のテーマである。
英訳であるmovesが表現するように、都市を揺り動かし、人々に感動を与えながら都市を変えることのできる「創造性」を活かしたまちづくりについて、参加者は3日間にわたり、様々な取り組みとその課題を共有し、創造都市の次なる方向性と戦略を議論した。
本書は、この会議における議論を踏まえ、創造都市の成果と課題を会議参加者を中心に書き下ろし注、市民、企業、教育機関、研究機関、自治体等の多くの読者に伝えるとともに、各都市におけるさらなる議論と取り組みを訴えるためのものである。

なぜ、今、moveか

欧米を中心とする世界経済の悪化、環境問題、少子・高齢化問題等、都市を取り巻く社会環境は大きく変化している。
すでに1990年代にはバブル経済が崩壊し、失われた10年と呼ばれているが、社会の構造変化をみると、この時期は来たるべき大変革のための準備期間であり、表面化し始めた重要な屈曲点であった。つまり、量的拡大志向が質的な劣化、貧困化を招いた反省の時期であり、これは新たな質的志向への準備期であった。

世界の創造都市の取り組み

この時期に至る以前から欧州の都市では、創造性を活かしたまちづくりが進められてきた。ビルバオ、ボローニャ、ナント等多くの都市が先駆的取り組みを進め、さらにこの時期からは中国、韓国のようなアジア諸国でも、社会経済の活力を増し、ダイナミックに都市づくりを進めるとともに、創造都市を標榜した取り組みを進めている。
それぞれの手法は異なるが、歴史、文化、空間、資源等それぞれの都市の特長を活かしたまちづくりである。その前提は「人間の創造性が都市の未来を拓く」ことであり、その目標は、市民の創造性を高め、それにより、人間らしく生き、社会問題をも解決し、都市生活を豊かで魅力あるものとすることである。

横浜の取り組み

1970年代から都市デザインの取り組みを進めてきた横浜も、2000年代初頭には、都心部の歴史的建造物が大規模開発のなかで失われ、都心部の空き室率が上昇し、都市としての求心力が低下していた。この中で、横浜は都市として魅力を保ち、自立と持続的な成長を図り、旧来の成長と異なる新しい価値や魅力を高め活かすため、2004年から「クリエイティブシティ・ヨコハマ」の大テーマを掲げた。
これは、「港を囲む独自の歴史や文化」を活用し、文化芸術からまちづくり、産業振興につながるような創造都市の取り組みを、市民やNPO、地域と協働して進めるものである。

本書の概要

本書では、第1章で「横浜クリエイティブシティ国際会議2009」の基調講演者ピーター・ホール氏が、基調講演「創造性が都市を変える」をさらに掘り下げた都市論を展開する。
また、第2章では、横浜が取り組んできた文化芸術、まちづくり、産業を切り口に、文化政策、教育、シビックプライド、産業振興、コミュニティ再生、都市計画など多様な視点から、都市を動かして行く「創造性」の可能性について論述する。
第3章では、様々な都市と主体の多様な経験と課題を紹介したうえで、最終章で横浜市のこれまでとこれからの創造都市の取り組みについて横浜市長が語る。
第2章と第3章の執筆者は、「横浜クリエイティブシティ国際会議2009」参加者を中心とする国内外の創造都市の様々な担い手である。
それぞれ、都市の規模、都市の歴史、都市の環境はもちろんのこと、都市の担い手も異なる。多様な取り組みを知ると同時に、自分たちで課題を捉え自分たちのやり方で取り組むべきこと、アーティスト、市民、NPO、教育関係者、研究機関、行政関係者等、それぞれが役割を担うべきことが読み取れるはずである。

各都市に応じた取り組み、進化する取り組み

創造都市の概念が広く紹介されて以来、都市はそれぞれの地域性に即してこれを適用し、さらに時代に合わせて変化させ、進化させてきている。国内外の都市が進めてきた様々な取り組みと課題を共有化するとともに、読者一人ひとりが今後の取り組み提案を行うことにより、都市の個性に応じた新たな自分の都市流、日本の都市流の創造都市づくりにつなげていただきたい。
人間の力、都市の力、そしてこれらを育む広い意味での文化の力と「創造性」に大きな期待をするとともに、本書がmoveのきっかけとなることを疑わない。

福原 義春
創造都市横浜推進協議会会長
横浜クリエイティブシティ国際会議2009実行委員会委員長
株式会社資生堂名誉会長