観光まちづくり

まち自慢からはじまる地域マネジメント

まえがき
 これは、実験的な本である。
 当初、学芸出版社の編集者から本書の提案をいただいたとき、私は編者としてまちづくりのさまざまなひろがりの中で観光の問題をとりあげて一書を組み立てようと考えた。これまで歴史的環境の保全や景観の整備について関わってきた身として、そうした地域が来訪者にも好まれ、いわゆる観光地としても活性化してきた事例をいくつも経験している。その経験の先に「観光まちづくり」を構想したいと考えたのである。「観光まちづくり」という用語自体、10年ほど前に当時の運輸省観光部のメンバーとおこなっていた研究会で生み出した概念で、その現場に立ち会っていた人間としてこうした考え方に責任と同時に愛着があったということもある。現場にいた証人のひとりに現在の観光庁長官である本保芳明氏がいた。当時たしか彼は運輸省の観光部企画課長だった。
  ところが表題を仮称ながら『観光まちづくり』として、その構成を考え始めると、別の視点も必要であるということを実感するようになってきた。まちづくりが観光へ向かうという動きだけでなく、観光地がまちづくりへひろがるという動きも同様に存在するからである。後者のうごきは観光地づくりとしてはまだマイノリティではある。しかし、こうした感覚を持った観光地が実際に成功してきているのも事実である。ここに今後の観光の可能性を探りたいと思った。この動きを支援するためにも、観光からまちづくりへという流れを本書で是非紹介したいと思うようになった。
  そこでこの分野で長い経験を有している財団法人日本交通公社のスタッフの力を借りることとして、同研究調査部長である梅川智也氏を中心としたメンバーに協力を仰ぎ、観光地からまちづくりが育っている事例やその背後の論理を数多く紹介していただいた。本書の編集協力として財団法人日本交通公社の名前が挙がっているのはそのような事情による。
  ただし、まちづくりの側から観光の問題へ徐々に関わるようになっていった編者としては、両者の協働作業はまだかならずしもしっくりいっているとは言い難い。各所に両者の考え方の相違が散見されるのもいたしかたのないことかもしれないと感じる。こうした双方の論理が混じり合って論が進められていることも、両論を立てることで見えてくる観光まちづくりの将来像を模索したいという本書の実験の一部であると理解していただきたい。
  本書は3つのパートから成っている。part 1は、観光まちづくりとはどのような考え方なのかという総論をまとめた部分である。part 2では、日本各地での観光まちづくりの実践例を紹介した。このなかにはまちづくりから観光へ至った例も観光からまちづくりへ広がった例も、含まれている。part 3は、今後のあるべき観光まちづくりへ向けた理論編である。本書の副題が示すように「まち自慢から始まる地域マネジメント」がこの国における今後の主要な地域経営の戦略のひとつとなることを筆者たちは予想している。
  この本の編集過程で起きた最大の悲しい事件は、本書の共著者のひとりである麦屋弥生さんの遺稿となってしまったことである。メディアで大きく報道されたので、ご存じの方も多いと思うが、2008年6月14日早朝に起きた岩手・宮城内陸地震によって発生した土石流で宮城県栗原市の駒の湯温泉に滞在していた麦屋さんは旅館に滞在していたほかの方とともに巻き込まれ、不慮の死を遂げたのである。
  本書第7章の麦屋弥生さんの担当原稿は地震突発のわずか数日前に届けられていたものである。これは文字通り麦屋さんの最期の声となってしまった。
  財団法人日本交通公社の主任研究員として、その後はフリーのプランナーとして、終始全国の観光地のまちづくりを支援していた快活で志の高い活動家がこうしたかたちでその活動に幕を下ろさねばならなかったことは、全国の観光まちづくりの関係者にとって計り知れない損失である。麦屋さん自身もさぞかし無念だっただろう。活動の現場で前向きに倒れた麦屋さんの遺志を後に残された共同執筆者一同は受け継がなければならないと思う。それにしても麦屋さんこそ「先達と呼んでいい、地域づくりの哲学をつくった人」(本書第7章冒頭の麦屋さん自身の表現)のひとりではなかったか。麦屋弥生さんのご冥福を共著者一同祈りつつ、本書を観光とまちづくりの接点で日夜努力している日本各地の活動家に捧げたい。
  なお、本書を作成するにあたって学芸出版社編集部の前田裕資氏と小丸和恵氏にお世話になった。記して謝したい。
                        

2009年1月 西村幸夫