まとまりの景観デザイン

形の規制誘導から関係性の作法へ

おわりに

 まちの風景が変わったというときには、これまでとは異質な新しい開発による変化をとらえていることが多い。たいていは、新しいビルや通りの賑わいをつくりだしている開発、周辺から突出した建物や工作物などが語られ、それを変化だと言うときに、地になっている景観が語られることは少ない。地の景観とは、どのようなものなのだろうか。多くの人は個別の開発や建築を語ることができても、まちの景観を語る術を意外と持っていないのである。
 特にふつうのまちの景観は語りにくい。どこも同じように見える。景観をどのようにとらえればよいのかわからない。まちの景観をどのように語ればよいのか。それを考えてみたのである。
 景観は建物ではない。道でもない。山でもない。それらが相互に関係し合ってできている地域の空間や環境の現れである。景観が美しいとか、ごちゃごちゃしているとかいうときには、何らかのひとまとまりの空間や場所の現れをとらえているはずである。それが景観であるならば、ひとつの景観と認識される空間や環境のまとまりがあると考えた。景観のまとまりを知ることは、景観を計画するときの空間単位をどのように設定するかということに通じる。景観を空間のかたちとしてとらえたい。これが出発点だった。
 では、景観を計画するとは、空間や環境のまとまりにどのような特徴を持たせればよいのか、何をデザインすればよいのか。これ考えるために京阪神の様々な景観の変化と持続を事例として、スカイラインやファサードラインなど、空間のかたちを語る言葉の意味を探るとともに、その空間のかたちの特徴を建物と建物、建物と道など、空間を構成する要素の関係性からとらえてみた。それは視覚的にとらえたまちの空間の秩序を、デザインの言語やイメージで表現することである。
 こうしたまちには、景観としては見えにくくなっているものの、船場の近世の町割や京都のお町内、旧居留地の洋風建築の空間性、芦屋の庭の緑などの空間秩序の基本となるしくみが残っていることがわかった。地域コミュニティのしくみや空間の成り立ち、空間のボリュームと配置を特徴づける地域資源もまた、景観のまとまりや空間の秩序を見いだすための手がかりになる。
 ふつうのまちの景観をとらえるときも同じである。今、見えているまちの姿を語れるようになることが最初の一歩であり、次に、まちの歴史や成り立ち、経済活動や暮らしの文化がどのように空間に現れてきているのかを知ることである。地図の道のかたちにまちの成り立ちが現れているのを知ることも、大事な場所や風景を知ることも、まちの景観をとらえることにつながる。そうしてまちの空間のコンテクストを見いだしていくことが、敷地単位の変化とまちをつなぐよりどころとなる。
 これまで景観の保全や形成というと、規制と考えられがちであった。そうではなく、まちが生き続けるためのダイナミズムは、まちの構成要素が変化することを前提としているのであり、そのときにどうやって敷地単位の変化をまちとつないでいくのかが、景観を計画することであろう。この発想は、まだまだ現在の制度では難しいところがある。しかし、基準に頼るのではなく、地域の技術やつくり手を育てること、地域でまちのできごとをマネジメントすること、変化を受け入れながら長く使いこなせる空間をつくること、地域のコンテクストや特徴によって変化をつなぎデザインを協議することなど、既に、地域ごとに試みられている。
 キッチュな歴史的様式の建物や変につくり込まれた道や橋、意味のない緑化やセットバックよりも、最低基準にしかならないような規制よりも、山や空を美しいと思うこと、そのまちに住むための作法を知ること、まちの歴史文化や産業に誇りを持つことのほうが、景観を豊かにする。景観のまとまりは、こうした景観を豊かにする感性を空間のかたちとして表現するものでありたい。景観を構成要素に分解してとらえるのではなく、ひとまとまりの景観の空間のかたちを計画することを考えたい。そうすることで、敷地をつなぎ、まちの変化をつなぎ、山と田園と都市をつなぐ計画になるだろう。
 本書をまとめるにあたっては、学芸出版社の前田さんの辛抱強さに支えられてきました。最後になりましたが、心からの感謝の意を表したいと思います。

小浦久子