まとまりの景観デザイン

形の規制誘導から関係性の作法へ

はじめに

 景観はまちの姿である。そのまちが生まれ育ってきた時間とそこでの人の営みの積み重ねが、まちの佇まいとなって現れている。歴史的町並みやテーマをもって開発された地区のように、建築物の様式や材料の色合い、道のかたち、スカイラインや通りの建ち並びの特徴からその姿を説明しやすいところもあれば、私たちが毎日暮らしているふつうのまちのように、見た目の特徴をうまく説明できないところもある。たとえ景観には見えにくくても、どこのまちでも、そのかたちが現れてきた背景には、まちの成り立ちと歴史、暮らしの変化がある。
 明治以降の近代都市への過程において、まちの姿は大きく変化した。多くの場合、道路や公園などの都市施設の配置計画と市街地開発事業によって整備された公共空間と、個々の建築物に対する規制や基準によって、まちはつくられてきた。しかし、ふつうのまちでは、この2つの相互の関係が意識されることはほとんどなかった。公共空間は建築物の建て方とは関係なく整備され、建築物は敷地ごとの基準とニーズを実現するように建てられてきた。
 こうしてつくられてきたふつうのまちの姿は、混沌としており、あまり美しくない。その一方で、明文化された計画も規制もなくても、山裾の集落や古い町並みは魅力的と感じる。これらの集落や町には、地形風土の制約のなかでの安全の選択、地域に限定された材料、生業のために必要な場所、集まって暮らすときの相互の配慮など、その場所で持続的に暮らすための必要が生み出してきた空間の秩序がある。魅力的な景観は、何らかの秩序や意味のある空間の現れではないだろうか。
 景観を都市空間のかたちとしてとらえてみたい。景観を考えることは、都市を考えることでもある。
 日本の都市は常に変化してきた。古都京都であっても現在の大都市である。都市であれ、集落であれ、変化の過程では、新しい空間を生み出す一方で、それまであった空間を失う。伝統的建造物群保存地区とは、変化が遅いところや変化の初期段階で、古い空間の秩序の魅力を発見し、その秩序を維持することを決めたところである。
 ところが、多くの都市では、戦後の急激な変化の繰り返しのなかで、今、新しい空間のかたちやその秩序を見失っている。それが、景観が魅力的ではないと感じることにつながっているのではないだろうか。景観の変化には、空間の秩序を考える手がかりがある。見慣れた通りに、空き地が増える、突出した規模や高さの建物が建つ、派手な店ができるといったできごとは、通りの景観の変化となって現れてくる。この景観の変化が意識されるには、地になっている通りの景観があるはずであり、その通りが景観をとらえるときの空間のまとまりである。
 このように、景観の変化は、ひとまとまりの景観の対象となっている通りや地区を意識させる。都市はこうした空間のまとまりの集合体である。
 しかし変化がなくても、私たちは都市内のひとまとまりの空間ごとに、その視覚的特徴をとらえている。「この辺りは庭や玄関先の草花がきれいな住宅地」「看板や店先の彩りが賑やかな通り」「中小のビルが並ぶ界隈」「海への見通しのある場所」など、そうしたまとまりの景観を多様に表現する。景観を計画することの基本に、こうしたひとまとまりの景観をとらえ、その空間の特徴と成り立ちを示すことがあると考えた。
 そこでまず、都市の成り立ちと道や建物など物的な構成要素の特徴からとらえる視点と、私たちがどのようにまちを見ているのかといった場所の認識からとらえる視点から、景観のまとまりのとらえ方を考えてみた。そして、まち、道、空地、場所、シーンといった5つの空間的まとまりとその景観の現れ方を考えた。
 次に、これらの景観の特徴をどのように表現するかである。景観はどのような建物がどのように建ち並んでいるのか、という空間の全体像である。空と建ち並びの関係を表現するスカイライン、通りからの姿を特徴づけるファサードライン、通りと建物の配置・建物と建物の関係など歩行者の目線レベルでの建ち並び、道路幅員と建物高さの関係がつくる道空間のスケール感と低層部のデザインなどは、ひとまとまりの景観を建物群としてとらえている。スカイラインが揃っているとか、リズムがあるとか、建物に囲まれた道、空が広いなどはその空間のかたちをとらえている。
 建築物や道などの公共空間、空や水辺や山などは、都市空間の構成要素である。空間のかたちは、これら構成要素の相互の関係から説明される。景観の計画は構成要素とその関係性のデザインである。
 この関係性には、都市の成り立ちや地形との呼応といった空間のコンテクストだけでなく、経済活動や暮らしの文化が反映される。景観はかたちだけではとらえられないところがある。景観の変化は、空間構成要素の相互関係が変化することであるが、その背景には都市が生き続けるための経済的、文化的選択がある。現在、突出した分譲マンションが建つのも、大規模な再開発も市場の選択と説明されてしまう。それでよいのだろうか。
 京阪神の景観は、古代から現在までの時代の先端をいく技術、歴史の時間を超える町割の持続、地形風土と共生する生活文化および経済活動が、常に拮抗することによって変化し、空間秩序の解体と再構築を繰り返してきたところに特徴がある。御堂筋のスカイライン、船場建築線、神戸旧居留地のファサードラインと高さ、京都のマンション問題と歴史的町並みなどは、個々の建て替えによる関係性の変化に対して、空間秩序の歴史性、その秩序を生み出した要因とその変化、それによる喪失と新たな空間秩序の生成への取り組みについて、考えさせられる。
 現在のまちで発生している建て替えや開発は、空間を構成する要素相互の関係性を崩すものが多い。経済的、文化的選択が、空間のコンテクストを継承しないのである。市場に翻弄され、予測できない変化が発生し続けている現状に対し、様々な変化を内包するまちのかたちの地域らしさと心地良さを実現するには、個々の変化とまちをつないでいくことが必要である。景観を計画することは、まちを特徴づける資源や環境の成り立ちにもとづく空間のコンテクストを共有するための情報発信であり、景観を手がかりにまちのかたちの変化を調整することでもある。
 このとき、景観を計画することは、景観のまとまりごとにその空間のかたちを示すことになる。しかし、景観法といえども、現行制度の枠組のなかで棲み分けている。そのため景観計画でも景観地区でも、敷地単位の建築行為に対する基準にするしかなく、建築相互の関係性や公共空間との関係性、敷地ごとの地形の読み方などは基準から抜け落ちていく。私たちは、景観を構成要素に分解し、例えば、建築物の壁面の色や素材、屋根のかたちなど、要素ごとに基準を示しても、それらが集まったときに必ずしも心地よいものとならないことを経験的に知っている。
 景観を計画することでまちを考える。それぞれの計画づくりを通して地域の景観価値を地域で共有するとともに、景観計画に書かれる方針と景観形成基準によって地域外に対して景観価値を発信する。そうすることにより、変化と地域らしさをつなぐ。景観法はこれを法的に支援することが期待されるが、今のところは、それぞれの自治体の工夫に頼っているのが実態である。
 今、拡大成長をめざす開発から持続可能な地域環境づくりへと、私たちは自らの営みのあり方と都市のかたちを変更していく必要にせまられている。地域の地形風土の読み方と土地利用、産業や農業などの営みの再編、環境負荷の小さい居住空間の実現などについて、場所性を平準化する技術的な解決に頼るのではなく、生態学的、文化的な取り組みによる解決を探るならば、空間の秩序の再編となって景観に現れるはずである。景観をとらえることは、まちのあり方や地域環境の特徴をとらえることであり、その計画は都市を構成する様々な計画に対して持続可能な地域環境のあり方を示す可能性を持つ。そこにふつうのまちの景観まちづくりの意味がある。
 景観のまとまりから、まちの空間構成を理解し、景観を計画することにより、地域の環境資源や空間コンテクストにもとづき空間を構成する道や建築物の関係性をデザインする。そこにふつうのまちの変化を前提とした景観まちづくりをつなぐ計画の可能性がある。