創造都市・横浜の戦略

クリエイティブシティへの挑戦

はじめに

  横浜市は、2004年全国に先駆けて創造都市をめざした取り組みを開始した。「創造都市」とは、人の創造性に注目し、それにより都市を発展させようという考え方で、20世紀の終わり頃から欧米で注目され始めたものである。
  そこでは、芸術・文化などの創造性が、これからの地域の発展にとってもっとも重要な資源であるという認識から、それを担うアーティスト、クリエーターの活動拠点を形成することで、彼らを誘致し、その成果をまちづくりに活かしていこうとしている。
  芸術・文化は、最も創造性豊かな領域であるが、規格品の大量生産を前提とした20世紀型社会にあっては社会発展の重要な要素とは考えられてこなかった。少なくとも政府や企業にとっては、芸術・文化は、人々の「心を豊かにする」ためには必要なものであるが、あくまでも経済が許容する範囲で存在が許されるものであった。いわば「社会のアクセサリー」と見なされてきた。
  しかし、先進国における産業構造の変化により、芸術・文化の価値が再認識され始めた。産業構造の変化とは「工業社会」から「知識社会」へと社会が転換することである。工業社会において重要な資源は、原材料や工場、鉄道などの輸送手段であったが、知識社会でもっとも重要な資源は「知的財産」、すなわち人間の「創造力」である。知的財産には大きく分けて科学技術分野の特許と、芸術・文化分野の著作権があるが、知識社会においては、知的財産の開発、保護、活用が最も重要となる。
  産業構造の変化により、製造業がいち早く衰退したEUの工業都市は、1960年代以降、失業率の上昇や犯罪の増加など都市の荒廃に見舞われた。これらの都市のなかから、芸術・文化の創造性を活かした都市再生に成功した事例が、1980年頃から報告され始めた。「創造都市」というビジョンはこのような中から生まれてきた。
  21世紀に入ってわが国でも、創造都市に対する関心が急速に広まりつつある。わが国で最も早く創造都市を提唱したのは、金沢市の金沢経済同友会であるが、地方自治体で最も早く創造都市を提唱し政策として実行したのが横浜市である。
  文明が都市を生み、都市が文明を生む。そして文明の骨格を形成するのが文化である。本書では、このような基本認識に立ちながら、芸術・文化の創造性と都市の関係について考察する。そのために、横浜市の「文化芸術都市創造政策=クリエイティブシティ・ヨコハマ」(以下「創造都市政策」と呼ぶ)をとりあげ、それが生まれた背景、基本的な視点、政策内容、実施手法、成果、課題などを紹介、考察し、これからの自治体政策の方向を示したい。
  執筆に際しては、次の点を視点とした。
@横浜の創造都市政策は、飛鳥田市政時代の国に先駆けた先駆的な自治体政策、田村明がリードしたアーバン・デザインなど歴史と文化を大切にしたまちづくり手法の継承であること
A公立文化施設(ハコモノ)を自治体が建設し財団(疑似役所)が管理運営する、といった従来型の文化政策から、歴史的建造物をNPOが運営するという新しい文化政策モデルへの転換がはかられたこと
B文化担当部署によりタテワリで進められてきた文化政策が、都市再生を図るための総合政策として再編され、自治体政策のなかで中枢的な役割を担うように変化してきている点について、1970年代の自治体文化行政との関連において考察する
C創造都市政策誕生の背景、その特質、政策上の意義、課題などの考察を通して、横浜を位置づけなおす
D著者が、横浜市職員として創造都市政策の形成にも関わった経験を活かし、具体的な例を織り交ぜて紹介する
  なお、本書の読者層としては、地方自治体首長・議員・職員、公立文化施設職員(指定管理者を含む)、研究者、都市政策や文化政策等を学ぶ学生、NPOメンバー、企業のCSR(企業の社会的責任:Corporate Social Responsibility)担当者、そして歴史的建築物や環境の保全、活用に取り組む建築・都市計画関係者等を想定している。これらの方々にとって、本書が少しでも参考になれば本望である。