温泉地再生

地域の知恵が魅力を紡ぐ

はじめに―本書の目的

●元気な温泉地が面白い
  仕事柄、全国の温泉地、温泉旅館を訪ねる機会に恵まれている。
  取材で訪れても、勢いのある面白い温泉地が増えてきたと感じられるようになった。調べてみると、最近、温泉地の魅力を取り戻そうという新たな動きが各地で起きている。
  とはいえ、多くの有名温泉地では、依然として宿泊客数の減少に悩み、なかなかその状況から抜け出せないでいる。全国的に有名な温泉旅館までもが経営破綻に陥り、現実は非常に厳しいものになっている。

 ところが一方で、旅行者サイドの志向と実態を調べてみると、温泉旅行への希望率は常に高く、実際、温泉を主たる目的とする旅行は他の目的の旅行を毎年上回って一番多いのである。テレビでは連日のように温泉宿を紹介する旅番組が、また様々な雑誌の特集に温泉やスパの文字が溢れている。各地では掘削された温泉施設がこの二〇年で二・七倍に増加、都市近郊では岩盤浴ブームもあいまって、日帰りレジャー的な温泉入浴の人気は高まるばかりである(図1、2)。

 温泉好きが多いという旅行者サイドの実態と受け入れ側の温泉地の実情、このギャップはいったい何を意味しているのか。また、活力が出てきた温泉地となかなか現況から抜け出せないでいる温泉地との違いはどこにあるのか。温泉地や温泉旅館の取材の一方、旅行市場の調査研究をしている筆者の頭から離れないこの素朴な疑問が、そもそもこの本を書こうと思ったおおもとの動機である。
  そして、温泉地でがんばる多くの方々と知り合い、そのご努力や奮闘の姿を見たり聞いたりするうちに、これらの方々から頂いた元気や知恵をひろく知ってもらうことで、他の温泉地の方々にも勇気やヒントを与え役に立つはず、と強い思いを持つようになった。

●その原動力は何か
  本書では、そんな温泉地の動きや人々のチャレンジを1章で紹介している。

  1章は、『JTB旅連ニュース』という旅館ホテル向け機関誌に二〇〇一年から七年にわたり執筆してきた取材記数十カ所のなかから、他の温泉地や観光地の方々にとって参考になると思えるような温泉地を一一カ所選び出したものである。
  事例を紹介するうえで重視したのは、まず危機的な状況を乗り越える原動力となったものは何か、ということ。そのため、できるだけ現場で汗をかいている人に近い視点から、試行錯誤しながら取り組んできたプロセスをていねいに紹介することで、その答えが浮き出るように心がけた。次に、他の温泉地での応用を念頭に、動きの背景にある本質的な要因をできる限り書き込むよう努めている。というのは、他地域の成功事例の安易な模倣は、一時的な集客増につながることはあっても長続きせず、結果的に失敗に終わることが多いからである。
  また、ここでは事業の内容紹介だけでなく、関係者の想いやきっかけとなった出来事を大切に取り上げている。最近の観光では、地域の人の熱い思いやこだわりの心に共感したり魅せられて旅行する人が増えているからである。

  一一の成功地事例をまとめてみると、驚くほど共通点がいくつもみえてきた。
  そのひとつは、地域と温泉旅館のあり方、温泉とか温泉地とは何か、といった原点に立ち戻り、その魅力を改めて考えてみようとする動きである。これは、現在の温泉地や温泉旅館がいかに大きな価値観の転換期を迎えているかということの裏返しでもある。
  もうひとつは、旅館ホテル業の関係者の中に起き始めた、これまでとは異なる新しい変化である。例えば、旅行者や旅行会社に対する営業活動による旅行者誘致という従来型の発想ではなく、「住民として誇れる温泉地とは何か」をいろいろな業種の方と一緒に考え、地域の一員としてその実現に向けた努力を進めるといった動き。もはや、地域における観光は観光業者(旅館ホテル業者)だけの問題ではないのである。

  なお、事例に取り上げた中には、掲載から時間のたっているものもあるが、阿寒湖温泉や別府温泉のように、その初期の取組みに多くのヒントがあると考えられるものは、あえて当時の文章を若干の手直しのみで載せている。

●問われている温泉地の意味
  2章では、現在、温泉地の現場で最先端のチャレンジをしているリーダーたちからお話をうかがい、筆者なりに感じたエッセンスを紹介する。

  〇七年九月から〇八年二月にかけて全国のリーダーを訪ね歩いたのは、実践的なヒントは現場にしか生まれないだろうと思えたためである。インタビュー、そしてまとめにあたっては、これからの温泉地の有り様や、そこに至るプロセスの糸口を見つけることを最大限意識した。

  予想通り、七人の方それぞれから多くの示唆に富むお話を聞くことができた。そして予想以上に、その表現は異なっても共通する考え方が見られた。大事なひとつは、これからの時代の中で温泉地が担うべき意味と役割について、それぞれが独自の考えに基づく強い信念を持っていたことである。また、短期間に集中的にヒアリングをすることができたため、各人の指摘や意見が徐々にいくつかの焦点を結び、おぼろげながら今後の温泉地の方向性が見えてきた。

  3章では、1章2章での取材やインタビューをもとに、これからの温泉地の方向性を探っている。温泉地についてのいくつかの調査や論文、そして事例やリーダーたちからのメッセージを反芻しながら、温泉地の存在は日本人にとってどういうものか、どうすれば温泉地自らが行動を起こせるのか、という視点からまとめた。単なる課題の羅列ではなく、行動のためのヒントになるよう意識したつもりである。

  あえて一言でまとめれば、温泉地の将来は過去の延長線上にはなく、それぞれの温泉地が現代的な存在意義を見出すことである。

  お客様をもてなし、癒すのも人、地域を動かしているのも人。最終的に人が惹きつけられるのも“人の想い”である。これはすべての取材を通じてあらためて得た実感だ。お会いした方々から頂いた、共感される言葉やストーリーが、また誰かを次のアクションに突き動かしていく。そのような連鎖がきっと、日本の温泉地の新しい魅力を創造していくに違いない。
  本書が少しでもそのきっかけになることを願っている。