地域からのエコツーリズム

観光・交流による持続可能な地域づくり

おわりに

 はじめて「エコツーリズム」という言葉を聞いたのは1990年でした。留学先のオーストラリア・ジェイムスクック大学の大学院で受けた「環境と観光」という授業で、担当したピーター=バランタイン(P.Valentine)は「ごく最近だが、エコツーリズムの考え方が急速に普及している」と語り始めたのです。
  観光が自然環境に与える影響にかんする授業と思って受講した私には、環境保全と観光振興の両立をめざす考え方は新鮮でした。授業で紹介された美しいスライドの数々や、現場の環境管理にかんするバランタインの解説は印象に残っています。しかしそれ以上に、新しい概念の創出によってこれほどまでに考え方が整理され、また新しい社会の仕組みが生み出されていくのかという驚きを、この日以来、私は18年間感じてきたのです。
  その後、エコツーリズムはとても身近な存在になりました。観光の現場でエコツアーという言葉が使われ、多くのエコツーリストが豊かな自然環境を楽しんでいます。またエコツアーガイドやエコツアーの拠点となる自然学校なども各地で増えてきました。
  エコツーリズムという新しい観光の出現によって、今までの物見遊山としての観光は、学びとエンターテインメントの場へと変わりつつあります。そしてエコツーリズムにかかわる地域の関係者が、エコツーリズムの推進を通して地域の自然環境を再評価し、その価値を高めていくという創造的なプロセスが起きているのです。
  また持続可能性とは縁遠かった、マスツーリズムという言葉に代表される「今までの観光」もエコツーリズムの動きに刺激され、「サステイナブル化」を進めています。観光客も持続可能な観光を歓迎するようになってきました。
  このような「正の構造変化」を起こす可能性を持っているのがエコツーリズムです。
  エコツアーの対象は、一般的に自然資源と文化資源の両方ですが、その誕生の経緯から、手つかずに近い原生自然を対象としたエコツアーが欧米では普通です。国内でもエコツアーの人気が高いのは知床半島や白神山地、屋久島などの世界遺産地域です。
  しかし二次的自然の多い日本の状況を考えると、原生自然に限定して考えることには無理があります。人と自然のかかわりである民俗や文化も合わせてエコツーリズムの対象とすることに異論は少ないでしょう。この本では、このように人と自然がかかわる場でのエコツアーを主に想定しました。2007年6月に成立した「エコツーリズム推進法」でもこの点は同じです。
  この本は、北海道というエコツアーがたくさん生み出されている地域から生まれたので、「持続可能な地域づくり」や「地域再生」にエコツーリズムが活用できることも積極的に描きました。道内の地域は都市部との経済的な差が開き、圧倒的な経済の力に左右されている現実があります。そのため、地域を何とか活性化しようとする模索が続いています。また開発の圧力にさらされてきた自然環境の保全も急務です。
  エコツーリズムはこのような一見解決不可能な現状を変革し、自律的な地域運営を実現する糸口となります。地域からエコツアーをつくり出そうとするプロセスで、学習や発信を経験するからです。それは関係者のエンパワーメントにもなります。また地域内の関係者が協働することで、地域コミュニティは充実します。
  逆に地域がそれをめざさないで、経済的な利益の追求のためだけにエコツアーを販売し、エコツーリズムの理念を忘れてそれを推進することは、エコツーリズムの出自に反することではないでしょうか。
  この本で解説したエコツアーやエコツーリズムの姿に対して、旅行業界の方々からは、「エコツアーを売ることはそんな甘いものではない」とか、「そんなことでは商品として認知されない」という厳しい批判があることは覚悟しています。また、「地域の自律という理想よりも、現実のツアーづくり手法を教えてくれる方がよい」という感想を持つ地域関係者がいるかもしれません。しかしエコツーリズム推進法の施行とともに、そのような「解説本」はたくさん出版されるでしょうから、この本ではあえて「地域が自律的であること」に固執し、その中でのエコツアーやエコツーリズムを重視しました。
  エコツーリズムの歴史は長いようで短く、十分な研究成果や経験の蓄積が揃っているとはいえません。地域の現場は手探りでエコツーリズムを進めてきたといってよいでしょう。しかし私たちは、得られた成果をより多くの現場に伝えて、エコツーリズムの推進の「成功率」を上げられたらと願っています。

 最後にこの本が誕生した経過について触れたいと思います。
  この本は、私がオーストラリアで「エコツーリズム」と出会って18年目に書かれた本ですが、その間に共同執筆者である森重昌之君と出会い、2人で研究を進めてきた内容がふんだんに盛り込まれています。このパートナーの存在と深いディスカッションなくしては、この本は世に出なかったと思います。また協働執筆者であるNPO法人ねおすの高木晴光氏と宮本英樹氏に出会い、現場の様子や新鮮な話題を書き加えてもらいました。
  ともあれ、以前から調査地があった北海道の地に森重君と私が研究の拠点を移したことが、この本の誕生の大きな契機となりました。自然環境に恵まれた多数の地域を抱え、エコツアーが活発に行われている「蝦夷の地」からエコツーリズムの本が生み出せたことは意義深いことだと思います。また筆者それぞれにとっても、日ごろからかかわっている「エコツーリズムと地域」というテーマで本にまとめることができたことには大きな意味があります。
  この本の誕生にあたっては、学芸出版社の前田裕資氏にとてもお世話になり、草稿の段階から何度も目を通していただき、有益な示唆をいただきました。また、同社の越智和子さんには編集段階でお世話になりました。原稿に細かい改善の指摘をしてくれた藤田ゆか里さんにも感謝したいと思います。さらに、この本の出版のきっかけをつくってくださった森重君の父、森重和久氏に御礼申し上げます。そして、いつも私の論文を読み、丹念に校正原稿に目を通してくれた父、志郎に感謝しています。
  最後に、この本がエコツーリズムという地域の未来を担う活動にかかわる人を支援できることを確信して筆をおきます。

2008年3月4日 札幌にて     
敷田 麻実