理解から実践へ

日本の交通バリアフリー

はじめに

1 本書の背景
  本書のタイトルは、『理解から実践へ―日本の交通バリアフリー』である。交通バリアフリーについては、詳しくは1章において述べているが、以下のように定義した。
  「交通バリアフリーとは、日常生活や社会生活を営む上で必要とされる移動に対する障壁をなくすこと」
  そして、設備・施設や制度・しくみ、そして心理・態度など、いわゆる「かたち、しくみ、こころ」の3要素に係る既存状態からの障壁の除去に加え、新たにつくられるものに対しての当初からの障壁の除去において、ユニバーサルデザインの考えでアプローチし、可能な限り実現化を図る必要性を説いた。このことが本書を作成するにあたって貫いた基本姿勢である。
  しかし、交通バリアフリーに関する整備の歴史は日が浅く、2000年に施行された「高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律(いわゆる交通バリアフリー法)」において、一般に普及し始めた。
  交通バリアフリー法は、法の名が示すとおり、高齢者・身体障がい者などが公共交通機関を利用して移動する際の利便性および安全性の向上を目的にし、2010年までに5,000人/日以上の旅客施設等のバリフリー化を達成することを基本方針に示している。具体的には以下の取り組みを主な柱とした。
@旅客施設(駅、バスターミナル、旅客船ターミナル、航空旅客ターミナル)や車両等(鉄道車両、バス、旅客船、航空機など)のバリアフリー化
A旅客施設を中心とした一定の地区における市町村が作成する基本構想に基づいた旅客施設、周辺道路、駅前広場、信号機などの一体的バリアフリー化
  そして、この目的を達成するため、この法は次に示すしくみを持っていた。
イ.主務大臣(国土交通省、総務省、国家公安委員会)による基本方針の作成
ロ.交通事業者のバリアフリー基準適合義務
ハ.市町村主導によるバリアフリー施策の推進(概ね徒歩圏を対象とした重点整備地区における基本構想の作成、基本構想に基づく事業の実施)
ニ.情報の提供
  このなかで従来の交通政策にはない取り組みの特徴として、上記ハに示す市町村が主体となり、ある一定規模の地区を対象に、総合的なバリアフリー化のための構想をつくるという点がある。つまり市町村が主体となった面的な取り組みに最大の特徴があった。
  2006年3月末現在の交通バリアフリー法に基づく基本構想の作成状況は、1日あたりの平均的利用者数が5,000人以上の旅客施設を有する市町村においては、524市町村のうち202市町村と約38%であり、半数を下回っている。なお、既に作成に着手している市町村、2007年度中に着手予定の市町村及びその時期は未定だが、作成予定の182市町村を加えると、73%となる。そのなかで、対象市町村を10以上抱える都道府県別にみると、滋賀県、大阪府、岐阜県が7割を超え、精力的に取り組みを行っているといえる。
  そして、交通バリアフリー法施行後6年たった2006年、この交通バリアフリー法と「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律(いわゆるハートビル法)」が統合した、新法「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律(いわゆるバリアフリー新法)」が公布・施行され、新しい時代を迎えた。
  交通バリアフリー法と比べて、対象施設の拡大とともに、対象者が、身体障がい者から障がい者となり、障がい者全般に対象が明確化された点、「移動」から「移動等」となり、「利用」の観点が加わった点、基本構想制度に基づく重点整備地区の対象エリアについて旅客施設を含まないエリアまで拡充した点に大きな特色がある。

2 本書のねらい
  現代において、交通バリアフリーに関する整備の必要性は対象領域の拡大とともに益々増大している。空間・資源の制約下においても多様な対象者の心身機能を反映した移動状態における種々の機能の達成が十分に図られるような技術の高度化が求められているといえる。
  本書は、主に交通バリアフリー法施行後の2000年以降の整備事例を対象に、1章に述べる評価の視点において、「“優れている”と評価できる事例(グッドプラクティス)」を、(社)土木学会土木計画学研究委員会STサービス・交通バリアフリー計画研究小委員会(委員長:秋山哲男、首都大学東京)、および同委員会福祉の交通・地域計画研究小委員会(委員長:新田保次、大阪大学)のもとに構成された、出版ワーキングメンバーが中心となり、多数の行政、企業、道路管理者、交通事業者等からの情報をもとに分析し、抽出したものである。ただ、ボランティアを中心に、法施行前から実施されていたバリアフリーマップの作成などのいくつかの事例についても、グッドプラクティスとして取り上げた。
  なお、本書で取り上げた事例は、時間的ならびに情報収集等のいくつかの制約のもとで抽出したものであり、他にもグッドプラクティスに相当する事例は多々存在するものと思われる。
  各事例においては、事業の性格によって分類・整理し、2章から6章において、その事業内容を示している。そして各章に含まれる個々の事例においては、その事業が行われるに至った「背景」と「目的」、その事業の「概要」と特徴的な「整備内容」、および「成果と課題」を可能な限り記述するようにした。さらに、実務者が参考にできるような図表や写真などを多数掲載し、基本構想→事業計画→工事に至るまでの有用な資料として、今後の各地の取り組みに活かすことを目的としている。
  なお、本書に先立ち、前掲のSTサービス・交通バリアフリー計画研究小委員会が中心になり、交通バリアフリー整備に関する『参加型・福祉の交通まちづくり』(学芸出版社、2005)を出版している。この書は、交通バリアフリー法に規定されている基本構想づくりとその具体化に活用されることを焦点にし、構想、計画、事業実施段階における、当事者、市民、事業者等の参加による取り組みの深化と豊富化に必要な理念、知識、技術について示している。同書はいわば理論編にあたるものであり、本書は実践編ともいえるものである。よって、本書とあわせて、『参加型・福祉の交通まちづくり』を読むことにより、理念的な部分を中心に補足が行われると期待できる。

3 本書の構成
  本書は、以下の構成となっている。
  1章では、基礎的事項として、交通バリアフリーの考え方、ユニバーサルデザインの思想と交通バリアフリーへの適用について述べ、続いて、計画および設計にあたり理解しておくべき事項、さらに、交通バリアフリーを評価する一般的な視点、ならびに本書においてグッドプラクティスを抽出するにあたり、特に重視した評価視点を記述した。
  続いて、事例編をまとめた。2章では、鉄道駅の移動円滑化整備を対象として、エレベーターなどを対象とした移動円滑化の計画技術、移動経路の連続性確保、プラットホームの安全対策、ホームと車両の隙間の改善、駅のアメニティ向上の5つの視点から、グッドプラクティスを取り上げた。
  3章では、道路の移動円滑化整備を対象として、歩行空間の確保、歩道構造の改善、自転車対策、視覚障がい者誘導用ブロックの整備、バス停のバリアフリー化の6つの視点から取り上げた。
  4章では、情報・サインと案内の工夫を対象として、情報・サイン整備、ユニバーサルな視点によるサイン、案内の工夫の3つの視点から取り上げた。
  5章では、様々な移動形態と交通・都市施設などとの連携を考慮した、大規模なトータルデザインを対象に、交通結節点の計画、まちづくりへの展開の2つの視点から、グッドプラクティスを取り上げた。
  6章においては、地域における多様な関係者が支えあう地域の取り組みを対象に、参加と継続改善の取り組み、啓発と体験学習、地域との連携と人材育成の3つの視点から取り上げた。
  最後に、前章までの成果を受け、今後のバリアフリー新法に基づく交通バリアフリーに関する取り組みの普及と深化についての課題、ならびに本書で示したグッドプラクティスの活かし方をまとめて結びとした。
  なお、2章から6章においては、随所に「基礎知識」や「コラム」をちりばめている。各章で取り上げた「事例」との性格の違いは、以下のとおりである。
  基礎知識は、事例として詳しく記述することはできないが、本書を理解する上で参考になる、基礎的で有益な情報を提供するものである。
  コラムは、背景、目的、事業概要、整備内容、成果と課題といった事項について、事例の説明文のようにはまとめて記述できないが、交通バリアフリーにおいて参考になる、新しい計画・設計・施工に関する技術や考え方・留意点など、執筆者の意見も入れて紹介したものである。

4 本書の対象者と活用方法
  本書は、主に2000年の交通バリアフリー法施行後における、ハードとソフト両面からの交通バリアフリーに関する取り組みの実践例を、豊富に紹介した点に最大の特徴がある。よって、これからバリアフリーに関する構想づくりや事業化に取り組もうとしている人々、既に構想も策定し、事業を進行中であるが、事業の進行管理を行い、さらにより良いものにしようと考えている人々など、多くの人に有益な知見を提供するものと考える。以下、特徴的な対象者をあげ、活用法を示すことにする。

1)高齢者、障がい者等移動制約者、ボランティア、一般市民
  交通バリアフリーの取り組みにおいて、移動制約を受けている利用当事者やボランティア、一般市民の参加・参画が盛んに行われている。バリアの発見や問題点の指摘、改善に向けての提案などを通じ、基本構想づくりや事業の進行が、利用者の立場に立って円滑に進むようになってきており、当事者・市民の参画の必要性が一層高まっている。さらに、バリアフリー新法においては、基本構想づくりにおける住民提案制度も盛り込まれ、当事者・住民が基本構想を作成する道も開かれた。以上のことは、自らの経験の範囲を超えた、交通バリアフリーに関する幅広い専門的知見を有することを市民に求めていることを意味している。本書は、この点において、一般市民の方にも内容を理解しやすいように文章を工夫し、幅広い分野における専門的知識を提供しているので、関心のある分野から始めて、徐々に広範な分野へと広げて読まれることを期待する。

2)行政担当者、事業者、コンサルタントなどの専門家
  交通バリアフリーに関する基本構想づくりや関連事業の計画・実施に係る当事者としての行政担当者、事業者、ならびに技術的・財源的・調整的支援などを行う行政担当者やコンサルタントなどの専門家は、日頃から交通バリアフリーに関する最新の情報を吸収しておく必要がある。本書は、技術的な最新の実践的かつ優秀な事例をまとめたものであり、直面する課題に関連する焦点を絞った知識の吸収に役立つとともに、対象地域における総合的な取り組みにおける各種施策の洗い出しと抽出・組み合わせにおいても力を発揮する、いわば即戦力を養う書といえる。

3)教育・研究者、学生
  大学などの高等教育機関におけるバリアフリーに関する教育・研究に携わっている人にとって、本書を活用することにより、交通バリアフリーに関する専門的知識や考え方を、学生に実践例を通じてわかりやすく教育できるものと期待できる。また、学生も教材として本書を活用することにより、自ら、より深く学ぶことができる。研究者にとっては、本書より、新たな課題が発見でき、新しい研究分野の開拓につながるであろう。

5 執筆体制
  本書は、2005年秋、(社)土木学会土木計画学研究委員会STサービス・交通バリアフリー計画研究小委員会に設置された出版ワーキンググループにおいて企画・執筆等の作業が開始され、2007年春には、前述小委員会の改組により誕生した、福祉の交通・地域計画研究小委員会に出版に向けた作業が引き継がれた。同時に、(財)災害科学研究所交通まちづくり学研究会からの支援を受けるとともに、国土交通省総合政策局安心生活政策課には適切なご助言をいただき、足かけ2年余にわたる精力的な作業の中で本書を取りまとめることができた。
  本書で紹介した、交通バリアフリーのグッドプラクティスの事例は60以上にのぼり、60名を超える方々に、執筆・資料提供等のご協力をいただいた。滑w芸出版社には出版の機会の提供とともに、校正等において的確なアドバイスをいただいた。このように非常に多数の方々からの協力・支援のもと、本書は完成したものである。

□出版ワーキンググループ委員
主査 新田保次(大阪大学)
顧問 三星昭宏(近畿大学)
    新美喜久雄(潟Lクテック)
副査 藤村安則(鰹C成建設コンサルタント)
    秋山哲男(首都大学東京)
    飯田克弘(大阪大学)
    池田典弘(潟Lクテック)
    石塚裕子(八千代エンジニヤリング梶j
    磯部友彦(中部大学)
    猪井博登(大阪大学)
    大島 明(国際航業梶j
    大森宣暁(東京大学)
    北川博巳(兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所)
    九後順子(潟Aーバン・エース)
    児玉 健(鞄建設計総合研究所)
    鈴木義康(鞄建設計総合研究所)
    高橋富美(褐嚼ン技術研究所)
    谷内久美子(大阪大学)
    中平明憲(褐嚼ン技術研究所)
    藤村万里子((財)国土技術研究センター)
    竹島恵子(交通エコロジー・モビリティ財団)
    松場圭一(国土交通省)
    山田 稔(茨城大学)