モロッコの歴史都市 フェスの保全と近代化


あとがき

 モロッコを最初に訪れたのは、一九九七年の夏のことである。大学の同級生の示唆を得た私は、ポルトガル、南スペイン、そしてモロッコという旅程を組んだ。タイルの似合う坂の町リスボンから入って、ムーア城、エヴォラと、オリーブの大地を列車で南下し、アヤモンテでスペイン入りした。セビーリャ、グラナダ、コルドバをバスで回り、それまで経験したことのなかった石造りで稠密な市街地の落ち着きと陽気な人々に驚き、ヒラルダの塔、アルハンブラ宮殿、メスキータ・モスクの力強さに、かつてのモロッコ支配の栄華の跡を思った。
  フェリーでジブラルタル海峡を渡り、モロッコのタンジェに降り立つと状況は一変した。都市や建築の持つ本来の面白さと美しさは確かに共通のもので、勝るとも劣らない。照り付ける太陽の下、距離感をつかめないままバックパックを背に辿り着いた遺産の数々は、忘れ難いものがある。しかし、あまりにも雑に扱われており、埃っぽく、そして人々は貧しかった。多少の知識はあったものの、歴史書や小説で見るモロッコと、実体験として目の前にあるモロッコとの乖離は明らかであった。フェスでは旧市街を徹底的に歩き回ったが、深夜に宿から出てみると、そこらじゅうにゴミが散乱していた。帰国の機内では、旅の余韻に浸りながら、こうした現実的な都市問題に光を当てるような研究をしたらどうだろうと、漠然と考えたのである。
  実際にやってみると、こうした都市問題は、どうやら保護領時代から続く様々な試みと葛藤の中で形成されてきたものらしいということがわかってきた。保護領時代の実践とはいえ、プロスト、ラプラド、エコシャール、キャンディリスといった、後にフランスを代表する都市計画家、建築家達の、若き日の自由闊達とした活躍は、必ずしも一面的に非難できるものではないと思った。一方で、すでに現代の潮流となった感のある歴史遺産の保全も、現実には方法や手段に様々な課題が残されているとも感じられた。歴史都市にせよ近代都市にせよ、結局は人間の営みによって作られるものである。両者を明確に分離して考えることは、手続きとしては有効であっても、それだけで本質的な認識には到達しえないであろう。危機に瀕する歴史都市に対して現実に人が何かをなさねばならない時に、私が考えたのはそういうことである。
  本書の元となったのは、筆者が二〇〇五年に慶應義塾大学に提出した博士論文である。日端康雄先生(都市工学)をはじめ、三宅理一先生(フランス都市建築史)、奥田敦先生(イスラーム法)、梶秀樹先生(国際協力)など、慶應義塾大学の多彩な先生方のご指導をいただいた。多文化の国モロッコについて、都市工学の分野から研究ができたのは、SFC(湘南藤沢キャンパス)の学際的な研究・教育環境のおかげである。

 また、本書執筆の間、多くの学会、研究会の場に参加させて頂き、またフランスに二年、モロッコに二年、シリアに一年半の留学の機会があった。イスラーム都市・建築研究会を指導して下さっている深見奈緒子先生・新井勇治先生、都市の重層化という本質的なテーマを示唆して下さった陣内秀信先生、歴史研究の精神を教えて頂いた黒木英充先生、植民都市の視点を提起して頂いた安藤正雄先生など、お名前をあげれば本当にきりがないが、本書をいち早く送り届けたい多くの先達に恵まれた。留学先のモロッコでは、アル=アハワイーン大学のエリック・ロス准教授を初めとする先生方に、分野を越えたモロッコ学を手ほどき頂き、またロータリー財団フェス・カラウィーン支部では、本書にもたびたび登場したタジモアティ・ハリッド氏、ジャン・ポール・イシター氏らに、財団奨学生として親身のお付き合いを頂いた。シリアでは、日本のODAによる「ダマスカス首都圏総合都市開発計画策定調査」を推進されているコンサルタント、橋本強司氏の後姿に、実務家気質を垣間見せて頂いた。

 こうしてお名前をあげるのに恐縮してしまうくらい、拙い博士論文ではあったが、幸いにして日本学術振興会より科学研究費補助金(研究成果公開促進費・課題番号一九五一九〇)の交付を受け、出版できることになった。初めてのモロッコ体験から、ちょうど一〇年目の今日である。学芸出版社の前田裕資氏には企画から出版まで、また南風舎の平野薫氏には製作の一切で、大変なご心配をおかけしながら、最後まで見て頂いた。なお、学芸出版社の大変なご厚意に甘えさせて頂き、同社のホームページに本書の付録ページを設けていただいた。本書では紙数や著作権の関係でどうしても掲載できなかった小話や航空写真を、 Google Mapにリンクして紹介している 。http://www.gakugei-pub.jp/mokuroku/book/ ISBN978-4-7615-2424-1.htm

街路線やモスクの変容、増改築の痕跡を、写真と文で楽しんで頂ければ幸いである。

 以上、記して御礼申し上げます。

2008年2月3日 ベルヴィルの丘にて 松原康介