★タイトル


はじめに

 本書は、日本で初めてのまち歩き博覧会「長崎さるく博’06」の経過を追いながら、博覧会のコーディネート・プロデューサーとして関わった私の考えたことを、事後に振り返って書きとどめたものである。

 「長崎さるく博」は、長崎市民が自分たちの手でやりとげた地方の大型イベントとして、開催中から高い評価を受け、終了後にはその評価が日本中に独り歩きして、当時の長崎市長が凶弾に倒れて後、新市長が博覧会関係者から生まれたという衝撃的な事件もあいまって、今「観光」や「まちづくり」に関係する行政マンや学者、民間の実務家の間で大きな注目を浴びている。そこで、私の記憶が薄れないうちに、この事業の核心部分を、事実に即して素直に書いてみようと考えた。

 目的は三つあって、一つは「長崎さるく博」なるものの成り立ちを記録にとどめておくことである。何しろ、人口四十万人を越える地方都市でほとんどすべての市民を巻き込んで市民主体や市民参加という「理念」に真正面から取り組み、数字的にも成功しためずらしいイベントであったし、それが今も受け継がれて進行中という、これもまためずらしい結果を伴っているのであるから、どうしてそんなことがあっさりできてしまったのか、興味を持たれる方も多いのではないかと考えた。

 もう一つの目的はきわめて実務的なもので、地方の大規模イベント、特に地域活性化イベントといわれるようなイベントを企画し、プロデュースしていくのに伴う実際の作業を、「さるく博」を一つの例として手順を追って示しておきたかったことがある。特に、構想されてから具体的な計画が作成されるまでのイベント・プロデュースの最も重要な部分の経過を、長崎市の当事者と私とのやりとりを通じて丁寧に書いてみた。地域の人々が、自分たちで大掛りなイベントを立ち上げようとする場合に、これが格好の見本になるような気がしたからだ。イルミネーションを点灯させたり、大通りをパレードするだけの形式で成立しているイベントではなく、みんなで手分けして仕事を引き受けながら「まち」をよくしていこうと企画された大型イベントの具体的な参考例は、意外と少ない。そこで、「長崎さるく博」のこの記録がそのような「まちおこし」を模索している市民や行政に役立つのではないかと考えた。

 もう一つは、総合プロデューサーという役割の人間が何を考え、何にすがって仕事をするのかを、この機会に書いてみようとした。「長崎さるく博」は「博」と称しているが、観光振興キャンペーンでもあり、地域活性化のイベントでもあり、市民を巻き込んだまちづくり活動でもあったから、幸いにも私はさまざまなことに配慮しながらプロデュースしなければならなかった。市民の自主的なモチベーションも引き出したいし、行政との協働も実現したい。観光の質的な高度化をも目指したいし、観光客の増加という具体的な数字も確保したい。結果としての市民の高い満足度を得たいし、行政の政策課題も達成したい。しかも、最少の費用で最大の効果という手作りイベントに対する勲章も得たい。つまり、イベント・プロデューサーとしてこの仕事を今までの集大成と考えて、贅沢なことをやってみようとしたのである。だから、プロデュースの各局面でさまざまなことを考えた。それを、問題提起というと大げさだが、聞いてもらいたかったのである。

 このような目的で書いた本であるから、イベントのやり方や組織を動かすコツといったノウハウは何も書かれていないので、それを期待する向きは読んでも面白くないかもしれない。実際、「長崎さるく博」の話を聞いて、マップのつくり方やガイドの管理手法ばかりが気になる人はいるものだ。しかし、「長崎さるく博」という、「まち歩き」だけにこだわった博覧会がなぜうまくいったのかに関心のある人には、きっと面白く読んでもらえると思っている。

 そして、この本を読んだら、すぐに長崎へ行って、ここに書かれていることが本当かどうかを自分の目で確かめてほしい。「まち歩き」は今でも継続されていて、そのままを体験することができるし、「長崎さるく博」に関わった多くの市民に会って直接話を聞くことができるから。

 文中に登場する人物はすべて実名で、私が直接話を聞いたり、文章で回答してもらったことをそのまま書いているから、私の恣意的な脚色はない。また、長崎市の職位名は当時のままにし、職員の個人名に敬称は省略した。ガイド、サポーターの呼称には、普段は「ガイドさん」と呼んでいたが、煩雑を避けるため文中では「さん」を送らなかった。ご了承願いたい。

茶谷幸治