学校開放でまち育て

サスティナブルタウンをめざして

おわりに

 本書の主題である「サスティナブル」の単語が一般に普及したのは、1987年に国連の「環境と開発に関する世界委員会」による「われら共有の未来」と題する報告書において、「持続可能な開発(Sustainable Development)」という概念が提唱されたことによる。
  この「持続可能な」の意味を、私は意図的にわが愛する秋津のまちに当てはめて実践しながら研究し続けてきた。研究は、秋津のまちの宝である秋津小学校の児童数の変遷を軸にし、この5〜6年で目立ってきたUターンやIターンの若者家族の意見に耳を傾け、秋津の暮らしやすさなどの「まちの価値」の成果を本書で紹介した。
  児童数の変遷の意味をまち育てとリンクさせて研究することは、いま全国各地で吹き荒れる学校の統廃合問題に直結し、同時にまちの持続可能性とも大きく関わる普遍的な課題と考えるからである。
  学校がなくなっても教職員は路頭に迷うことはない。他の職場への異動が保障されているからである。
  しかし小学校がなくなると、住区は確実に衰退にする。私はそんな各地の現場を見てきた。
  だから小学校を持続させることは、その住区をキラキラと明るく輝かせながら未来への住区の持続を保障することと同義と思うのである。
  その持続を保障するには、子どもを増やすことである。だから、「サスティナブルなまち育て」の究極は、その住区の子どもを増やし続けることである。
  一般に、小学校の存続問題とサスティナブルなまち育てを一体にとらえて論じることはないと思う。しかも、都市や地域づくりの政策とリンクさせて論じることはないと思うのである。
  本書は、そんな都市・地域政策の実験としての、小学校機能を活かした新しい提案をしたつもりである。まだまだ研究が稚拙でいたらないと思う。しかし、幸いにも本書をお読みいただいたあなたに心から感謝の意を捧げるとともに、いたらないところをご指摘いただけたら私はとてもうれしい。

 秋津の仲間たちと、本書で取り上げさせていただいた秋津に関心を持っていただき、そのご研究の成果をこころよく収録させていただいた秋津菌感染者の各位に、特段のお礼を申し上げたい。
  最後に、本書を世に送り出すために実に辛抱強く私を励まし続けてくれた学芸出版社編集部の越智和子さんと、同社のみなさんにお礼と感謝の気持ちを捧げます。ありがとうございました。

                         2007年12月18日(愛するワイフの誕生日に)    岸 裕 司