成熟のための都市再生


まえがき

 本書に収めた連続インタビューのきっかけは全国町並みゼミだった。町並みゼミとは、NPO法人全国町並み保存連盟が主催して年一度開催される、町並み運動家の全国大会のことである。近年は参加者がますます増加し、官民の情報交換兼懇親イベントという色彩が強まっている。
  二〇〇三年九月十九日から三日間の日程で奈良県橿原市今井町で始まった第二十六回全国町並みゼミに、次年度の開催地である石川県加賀市大聖寺のメンバーが大挙して様子見のために参加していた。大幸甚加賀市長をはじめNPO法人歴町センター大聖寺の事務局長で建築家でもある瀬戸達氏やほかの方々と食事を取りながら、来年のゼミのことを話題としているときに、ゼミに全国から町並み運動のそうそうたる活動家が参集するのに、たった三日間の集会のお世話をするだけで、そうした活動家の謦咳に接する機会が少ないのはもったいないということになった。
  そこで、事前に日本の町並み運動を主導してきた各地のリーダーのおひとりおひとりから、じっくりと運動の経緯を聞き取るような勉強会をシリーズでやろうという提案を私の方から持ち出したのである。はなしはトントン拍子に進み、翌二〇〇四年の四月二十四日に小樽の峯山冨美さんを招いての第一回西村幸夫町並み塾が開かれることになった。この年はゼミまでに予定通り計四回の町並み塾を開催できた。
  同二〇〇四年の九月十七日から三日間、大聖寺で開催された第二十七回全国町並みゼミは、こうした準備の甲斐もあってか大盛況のうちに終わった。そしてその翌年も年四回の町並み塾は継続することとなり、その後もまだやろうということで、二〇〇七年現在、四年目に入っている。本書の共編者である埒正浩氏は毎回の町並み塾の実質的な取り仕切り役として大車輪の活躍をしていただいている(そしてその仲間の吉田真由美さん、ありがとう)。もちろん会場の設定や設営など、数多くの地元の方々の支援をいただいている。共編者、埒正浩氏による巻末のあとがきにお名前を紹介させていただいた(それも全員とはいかなかった。お名前をあげることの出来なかった仲間のみなさん、すみません。そしてありがとう)ので、ここで詳細にわたる謝辞は割愛するが、こうした多くの方々のご尽力によって連続インタビューは毎回盛況を続けてきた。
  最初の二年間は加賀市のサポートをいただき、市内のさまざまな歴史的な建造物を会場として、毎回趣向を変えて塾は開催された。七、八十人の参加者の前で、ゲストが一時間程度講演を行い、引き続いてホストである私がさまざまなつっこんだ質問をすることによって、それぞれの地域での町並み保存の神髄に迫ろうというスタイルをとっている。
  二年目の二〇〇五年からは会場を加賀市のみならず山中町(現加賀市)や小松市、金沢市、さらには福井県坂井市三国町や大野市の旧市街地などにまで拡げて、北陸の町並みを軸としたまちづくり運動ネットワークという色彩も次第に強くなりつつある。

 本書で肉声を紹介している八人は、いずれも町並み保存運動の第一世代というべき巨人である。どなたもかくしゃくとしておられるので、あまり伝説の創業者のように扱うのは不適切かもしれないが、それぞれのリーダーたちが歩んでこられた三十年、四十年、さらには妻籠の場合のように五十年に及ぶ町並み保存運動の足跡から私たちはいまだに多くを学ぶ必要があると思っている。詳細は次節に譲るが、私たちは先達の〈おもい〉を受け継がなければならないのである。
  本書は町並み塾におけるゲストの連続インタビューのうち第一世代の方の貴重な証言に絞って収録することにした。インタビューの順序とは前後することもあるが、北から順に掲載することにした。ゲストの中で最高齢の峯山冨美さんに敬意を表したということもあるが、北のウォール街に始まって亜熱帯の楽園の島で終わる順番にちょっぴりロマンを感じてしまったということもある。これらの証言の前座として、日本における町並み保存運動の由来について簡単な概説を付しておいた。この概説も人を軸に組み立てている。この点もこれまでの歴史的環境保全史にはないユニークな試みといえるかもしれない。
  日本は狭い島国といわれるが、こうしてみると南北間の距離はアメリカでいうと、カナダとの国境からテキサス州の最南端までの距離に匹敵する。この間に広大な海域を有しているのだから、日本の多様性もあながち捨てたものでもない。証言の至るところにこうした地域の多様性が顔を覗かせている。ここにもひとつこの国の忘れてはならない固有性があるのだ。

西村 幸夫