逆都市化時代


はじめに

 逆都市化時代が始まった。都市の分析論を学んだ人は、逆都市化と聞くと八〇年代のクラーセンとパリンクの都市の発展段階論を思い出すに違いない。都市は都市化、郊外化、逆都市化という段階を経て、成長し、拡大し、やがて衰退していくというモデルである。衰退の先には再都市化が用意され、再び都市の成長が始まる可能性が示されているものの、盛者必衰というモデルは、日本人の人生観や世界観とも通じるものがある。
  しかし、本書のタイトルを「逆都市化時代」としたのは、このような栄枯盛衰モデルを念頭に置いてのことではない。日本の都市が直面しているのは、全国的な人口減少時代の中で、すべての都市がやがて人口減少局面を迎えるという時代の転換期である。かつて毎年六〇万人以上の人口増加を経験した首都圏(一都七県)でも最近では毎年数万人と、増加数は激減しており、やがて、ゼロになり減少し始めるのは確実である。しかし、それは悲観するべきことではない。今日多くの女性が、乳幼児死亡率の低下、社会参加機会の増加、変わらない子育て時の母親への負担の集中などの条件を勘案して、晩婚や少子化を選択しているのは、他方で自己実現の機会の拡大により大きな価値をおいているからであり、積極的な人生選択が行われた結果として少子化社会が到来しつつある。
  もちろん、すでに少子化対策の必要が論じられているように、現実に人口減少社会が始まれば、女性の社会参加を確保しつつ、少子化傾向を緩和するにはどうすべきかをより真剣に検討し、種々の対策を本格的に実施するようになる。したがって、私も日本の人口が二一〇〇年には現在の半分になるといった長期的な予測を信じるわけではない。しかし、当面する数十年については、すでにその時期に再生産年齢となる人々が生まれていることもあり、出生者の減少傾向は避けられない。つまり、全国的な人口減少社会は少なくても数十年間は続くとも思わなければならない。
  日本の都市はその時代を積極的に利用して、開発への圧力が高かったこれまで都市化の時代にはできなかった都市と自然との共生というような、失われつつある価値を再生させるべきではないか。都市の駅は混雑し、その周りは高層オフィスビルに囲まれ、さらにそれを高層マンションが包み込んで広がっていくというような都市の密度モデルは、日本でもっとも忠実に実現されてきたようだ。しかし駅前にはオフィスや商店の代わりに公園やリクリエーションの場が広がっていてもいいのではないか? 都心部といえども中低層の住宅に住める街の方が快適なのではないか? 人が集まるための広場も都市の必要施設になりうるのではないか? 川は都市の中にあるからといって、コンクリートで覆われて放水路然とならなくてももっと自然な雰囲気を出してもいいのではないか? 
  こうした疑問を疑問として留めておかずに、実現できる時代が訪れようとしている。明治以来一四〇年、とくに成長と開発の時代であった戦後六〇年を経て転機を迎えることは日本の都市にとっては格好の機会でもある。子供が巣立った家にリフォームがふさわしいように、都市にも本格的なリフォームを施し、暮らしやすく、活動しやすくする機会である。同時にこれは、アジアと日本の間にも新しい関係をもたらす転機でもある。西欧を手本として都市をつくった一四〇年から、アジアの仲間たちとも論じ合いながら都市のあり方を考える時代が始まる。都市に携わる人たちにとって、実に大きな創造と実践の機会が訪れようとしているのではないか。