日本の風景計画

はしがき

 ゆるやかな研究グループである町並み研究会がその活動の成果を『都市の風景計画−欧米の景観コントロール手法と実際』(学芸出版社、2000年)というかたちで出版してちょうど3年になろうとしている。幸いに同書は広く景観問題に関心のある方々に受け入れられ、欧米の風景計画に関する有益な情報源として評価されているようである。さらにこの序文の執筆段階において、同書の韓国語訳と中国語訳が進行中であり、まもなく日本のみならず広く韓国・中国の識者とも情報を分かち合えることになる。これは著者らにとって望外の喜びである。
 前著のはしがきにおいて、このような研究が受容されるとするならば、その延長上に我が国の風景計画のあり方について、提言を行いたいと希望を記していた。そのような機会を予想以上に早く持つことができて、これ以上嬉しいことはない。
 本書で私たちが目指したのは、現時点における我が国の都市政策としての風景計画の到達点をあますことなく描き、さらにその将来展望を示すことである。
 都市景観条例に代表される景観コントロールの手法は1990年代前半には現在の枠組みにおける制度的な仕掛けをほぼ整え終わり、現在は現時点の制度の限界を見据えて、次の段階へのステップアップをどのように進めていくかを模索するという段階にある。

 こうした時期に、もういちど日本の風景計画を源流にまで遡って内省すると同時に、その政策的意義を再確認し、法制度としての可能性を探ることがどうしても必要であると考えた。もちろん、主要な都市における事例を制度の概要のみならず、運用の方法やその実績にまで踏み込んで現時点での到達点を紹介することもまた欠かせない。こうして本書の枠組みは自然に決まっていった。
 本書はまた、新しい分野にも積極的に取り組もうとしている。たとえば一般市街地の風景問題である。これまでの景観行政はどうしても景観上特色のある歴史的な町並みや良好な住宅市街地などを対象としたある種例外的な地区の特例的な都市計画制度であるという域をなかなか出られなかったというのが正直な印象である。もちろんこうした特別の性格を保有している地区でさえ、景観破壊が横行しているような時代にあっては、戦線を一般市街地にまで拡大するのは徒手空拳で大海に躍り出ていくようなもので、ほとんど現実的ではなかった。
 しかし、世論の方が特別な性格を有する地区だけでなく、一般的な市街地の景観問題に対処する施策を求めるようになって来つつある。その背景には、首都圏を中心にバブル時にも増す勢いで建てられている高層マンションに対抗するための論理を景観に求めているという側面がある。しかしそれだけではなく、景観を向上させていくことによって地域イメージを高めようという大小幅広い都市の戦略も読みとれる。ここのところ環境美化を進めるための条例の制定が相次いでいる。美化や落書き・ポイ捨て防止、緑化や河川浄化などにまで拡げてまちの美しさを追求する自治体の数は確実に増加してきている。
 こうした世論を受けて、本書では一般市街地の風景問題にまで切り込む努力を試みている。
 さらにもう一つ、新しい分野に踏み込んでいるとするならば、それは政策提言の部分である。ガイドラインやいわゆる景観条例の域を超えて、風景基本法に連なる法制度の整備を訴えている。この点に関しても、現実の動きもまた急である。2003年5月現在、霞ヶ関でも永田町でも、景観施策が真剣に検討されている。時代は今まさに動こうとしている。こうした現実の動きに遅きに失することなく、一石を投じることができるとするならば、研究会の地道な活動も意味があったというものである。
 本書において、なぜ一般に通用している「景観」ではなく、「風景」という用語を用いたかは、前著に記したとおりであるが(『都市の風景計画』9頁)、操作可能な「景観」ではなく、広域の地勢や文化を背負った「風景」の方が適切に対象を表現していると考えたからである。

 話題が各地の具体的な実践に及ぶため、思わぬ遺漏や事実誤認などもあるかもしれない。ご叱正を賜れば幸いである。最後になったが、本書の刊行にあたっては、前著に引き続き学芸出版社の前田裕資氏に大変お世話になった。氏の叱咤激励と的確なアドバイスによって多数の著者間の調整も無事に進行させることができた。また、刊行間際の実務にあたっては同じく学芸出版社の中木保代氏のサポートが大きな力となった。
 なお、本研究に対して2000年度より3年間、文部科学省の科学研究費の助成を受けた。あわせて記し謝したい。

2003年5月   西村幸夫