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市民参加のまちづくり

マスタープランづくりの現場から




序文 マスタープランづくりは市民参加の好機


渡辺 俊一
Shun-ichi J. Watanabe


「自分たちのまちの将来は、自分たちの手で決めたい」。こう考える市民が、近年ますます増えています。
 そして「市民参加によるまちづくり」を合い言葉に、創意工夫に富んだ多様な活動が、全国各地で繰り広げられています。まさに、21世紀の本格的な地方分権時代にふさわしい市民が出現しつつあるのです。
 この背景には、1992年の都市計画法の改正によって導入された、一つの重要な制度があります。市区町村の「都市計画マスタープラン」です。これは、たんに一つの制度改正という以上の大きな歴史的意義がある、いま、都市計画は大きな曲がり角にある・・・・。これが、都市計画学の研究者である筆者の実感です。

マスタープランづくりへの参加

 この本の主題は「市民参加」です。とくに市区町村の都市計画マスタープランづくりという実践の文脈で、市民参加の問題を多面的に考えていきたいと思います。当然、それは「まちづくり」の本質に迫るものになると思います。
 マスタープランとは、ごく一般的には、その都市の将来の望ましい姿を全体的に描き出したものです。法律上は、市区町村の全域を対象とする「全体構想」と、もう少し小さな区域を対象とする「地域別構想」から成る、とされています。いずれも、都市構造や都市空間に関する将来像を描き出したもので、公共的な政策の表明であります。
 マスタープランは、なぜ必要なのでしょうか。それは、市区町村の自治体が、個別具体の都市計画上の決定をするときに、二つの重要な役割を果たすからです。
 第一は、決定が目先にとらわれないよう、全体的観点、つまり長期的・広域的・総合的な観点から検討し、適切な個別的判断を下すための、根拠枠組みとして機能するのです。第二は、決定がより豊かな可能性を追求できるように、選択の幅を広げるビジョンとしても機能するのです。
 このようなマスタープランづくりへ市民が参加することは、大いに意義あることだと思います。「自分たちのまちの将来」を決めることになることは無論ですが、とくに、自治体がつくった原案へ後から注文をつけるだけでなく、最初の発案段階から参加できる点でも重要です。
 が、さらに重要な点は「市民参加とは、たんに市民が個別要求を出すことではない」という点です。出した要求が自治体の政策となり、実現されるためには、どのような制約があるかを知る必要があります。また、財政や法律上のいろいろな制約があるなかで、政策を実現するためには、個別要求を取捨選択し、全体を見渡しながら政策としてとりまとめることが必要です。市民参加は、こういう政策的ノウハウを学習することにもなる点で、建設的なことだと思います。
 マスタープランは、欧米では都市計画技術の中心にある重要な制度です。しかし、日本では従来から必要だと言われながら、なかなか制度化されませんでした。やっと近年、出来たのです。
 従来は、役所の中に秘められていた全体的な構想をマスタープランの形で公開し、だれでも市民が見て、意見を言って、その活用状況をチェックできるようになったのです。あとは、「如何にそれを実体化してゆくか」が課題です。

なぜ「参加」なのか

 最近、とくに都市計画の領域では、決定の仕方が変わってきています。「都市計画のパラダイム・シフト」とも言える傾向です。
 今までは、中央集権的に情報・人材・財源・権限を集中して、ごく限られた官僚や政治家が、全体の利益、つまり「公益」を優先させる決定パターンでした。そこでは個人の利益は「私利私欲」として、退けられました。
 それに対して「まちづくり」の考え方は、むしろ逆です。それは、個人の主体性と、その利益を認めることからスタートするのです。当然、私利私欲だけでは世の中を通りませんから、より多くの人の賛同を得つつ、自分たちの利益を追求するためには、より「公益化」していく必要が生じます。
 従来の決定パターンは、全体が個別へと一方的に押しつけられる、いわば「上から下への都市計画」でした。これと対照的に、まちづくりは身近な生活環境である「地区」などをベースに全体をみる「下から上への都市計画」でもあります。
 これは、都市計画のおもな社会的課題が、拡大型社会における高速道路や新幹線など広域のインフラストラクチャーの開発一辺倒から、安定型社会における身近な住環境の整備・保全へと移ってきたことを反映している、と思われます。
 21世紀には、前世紀と異なり、人口が減少し、社会経済がむやみに拡大しないことを前提とする「低成長・ゼロ成長・マイナス成長下の都市計画」が、大きなテーマになるでしょう。そこでは、都市周辺部の新開発よりも既成市街地の再開発・再整備が中心となり、現に住んでいる市民が目標とする市街地像を共有する必要が生じるでしょう。市民合意によるマスタープランは、無くてはならぬものとなるのです。

参加が難しいわけ

 しかし、自治体行政の現場では、参加はあまり進んでいません。法律上、参加の規定があっても、その運用はきわめて形骸化しているのが実情です。まさに「参加」は、言うは易しく、行うは難い、です。
 なぜ、参加は難しいのでしょうか。参加の困難性は、三層になって、私たちの行く手を阻んでいます。「分からない」「まとまらない」「エゴになる」の三層です。
 第一に、ある日突然、多くの市民を集めて「何が必要ですか」と聞いても「何を言うべきか分からない、自分の意見がない」という「分からない」状態になるのです。そこで、とにかく勉強して下さい、ということになります。必要なのは、寝た子を起こし、蜂の巣をつつくような拡大過程です。
 第二に、市民が勉強しはじめて、自分の利害関係が分かってくると、「これが唯一の答えだ」と思い込んでしまいがちです。今度は、自分の意見を譲らない、多くの人が集まって議論しても「まとまらない」状況になるのです。ここで必要なのは、調整・妥協といった縮小過程です。
 まとまらない場合、市民は責任をとりません。しかし自治体は、毎年度の予算に縛られていますから、責任をとらされます。まとまる見通しがなければ、危うくて、とても市民参加にまかす訳にはいきません。市民の「まとめる実力」をどこまで行政が信頼できるか、が決め手になります。
 第三に、市民が「何とかまとめよう」と、お互いの利益を調整して、仮にまとまったとします。それでいいかと言うと、これは「集団としてのまとまり」ですから、全体的観点からは、その集団の「エゴになる」場合が多いのです。「エゴだからいけない」のではなく「エゴであっても、一つに合意して決める」ことが大事です。その上でさらに、より全体的な観点で調整をすること、これがポイントだと思います。
 とくに個別からスタートする「参加型まちづくり」だからこそ、「全体的観点」に立つマスタープランづくりへの参加は、重要な意味をもってくるのです。
 この点は、すでに特定の領域で市民運動を進めている人たち、例えば「川を守る会」や「福祉ボランティア」の人たちにも言えることでしょう。ぜひ、この機会に「まちづくり」という、トータルな視点を持ってもらいたいのです。川だけ守っていても川は守れないし、バリアフリーも忘れてはならないといったことを、マスタープランへの市民参加は、学ぶ良い機会になるでしょう。

「学習」なくして「参加」なし

 このように「参加」には難しい点がありますが、これをのり越えるために、ぜひ「学習」をしてほしいのです。これは、市民側にも、自治体側にも言えることです。
 市民の方に言いたいのですが、「学習しない人は、参加してもらうと困る」のです。少し大げさですが、これは真実です。参加の場において、思いつきだけを述べて帰る人、自分の主張だけ言って譲らない人などは、参加という真剣勝負のゲームのルール違反者だと思います。
 まず、まちづくりに関して、いろいろなことを勉強し、基礎的な知識をしっかりと頭に入れてください。しかし、大事なのは「知識」だけではありません。
 自分の考えを絶対に譲らないような、コチコチの価値観ではダメです。自分の心の中は、流動的で完全には決めないでおいて、柔らかな価値観を育て、他の人の価値観とぶつけ合いながら、それを修正していくような、柔軟な考え方が必要です。つまり「智恵」が大事なのです。
 学校での学習と違って、まちづくりには現場というものがあるわけですから、何も分からなくても、いきなりその場に飛び込んで、実際やってみるのも良いのです。すると問題がだんだん分かり、自分自身の知識と知恵が発達してくる、そういう性格のものだと思います。
 まちづくり学習は、教壇の上から一方的に教わるのではなく、自分で主体的に自己を育てる「自己学習」、あるいは、自分と同じようなレベルの他人と話し合いながら、共に学習する「相互学習」が大切です。

参加手法をマスターした人材に

 注目すべきは、こういった難点を乗り越えながら、近年「参加型まちづくり」が進展してきている点です。これは10年前にはないことでした。これは何故かというと、具体的な参加の手法が開発されたからだ、と思います。
 ワークショップやタウンウォッチングなどに代表される、体験型の参加手法が、次々と開発されました。それらは、市民によるまちづくり運動の中で、実効性を高めています。
 また、手法が開発されるのみならず、実際に自分でやってみて使えると納得した市民、それらの手法をマスターした人材が揃って来たことも、さらに重要なポイントだと思います。
 これからも、さらにいろいろな参加手法が開発されるでしょう。とくに、市民有志が自分たちのまちのマスタープランとして作成し提案する「市民版マスタープラン」は、一つの有用な参加手法になると思います。さらに、パソコン通信やインターネットなどのメディアも急速に発達しています。
 これらの手法をぜひ、マスターしていただきたい。マスターして現場に出て、自分自身が育っていく、いや自分自身を育てていく、これが大切です。
 このような参加手法の発達は、何を意味するのでしょうか。それは、都市計画という「技術」じたいが大きく変質しているとともに、その技術を担う人材が変化していることを意味します。つまり、従来から都市計画技術を担っていた官僚やコンサルタントに加わる形で、市民層が育ってきたことを意味するのです。いまや、市民参加は現実味を帯びてきました。

本書の目的と構成

 92年改正法の施行によって、市民参加によるマスタープランづくりは全国で進められています。しかしその実際は、かなり真の参加から遠いようです。
 このような中で、筆者は「心ある市民や自治体職員に立ち上がってもらうためには、どうしても先進的な事例を紹介することが必要だ」と考えました。これが本書を編集した動機です。ですから、本書のねらいは、日本全国レベルで最先端の実例について、実践現場の当事者から詳しく状況を報告してもうことです。
 本書は全体を2編に分けて、8報告を収録しています。前半は「実践の現場から」と題して、参加によるマスタープランづくりの現場から、具体的事例を5つ報告しています。後半は「実践のポイント」と題して、参加型まちづくりに共通する重要なポイントについて、まちづくりの現場で実践経験をもつ3人の専門家に、おのおの詳しく論じてもらいます。各章の後には、討論記録も載せています。
 読者として想定しているのは、すでに市民活動・運動にたずさわっている市民・自治体職員・コンサルタント・研究者の方がたです。むろん「まちづくりに関心はあるが、それは何か、どう学習・行動したらよいか、分からない」という素人の方がたにも、ぜひ読んでいただきたいと思います。そこで巻末には、参考文献やインターネット関係資料となる「情報ガイド」を付け加えました。

「1編 実践の現場から」

 1章の小林隆(大和市)報告は、市民参加によるマスタープランの策定プロセスで「インターネット」を活用した事例です。おそらく日本で最初の本格的な事例でしょう。小林さんは担当者として、そのねらい・経過・課題等を報告しています。とくにインターネットを他の参加手法と関連づけながら、その強みを発揮させた点、その活用が自治体行政のやり方・考え方まで変えさせた点など、斬新な発見があります。これからインターネットを活用しようとする自治体にとって、有益な体験報告となっています。
 2章の浅野聡(伊勢市)報告は、大規模な「ワークショップ」によってマスタープランをつくった事例です。大和市同様、市の策定委員会を設けていますが、あらかじめ「たたき台」を用意することなく、伊勢市では、白紙の状態からワークショップをスタートさせています。そして、ワークショップでまずマスタープラン原案を作成し、それを策定委員会で審議する、というユニークな方式を採用しています。推進側の学識経験者である浅野さんは、ワークショップの具体的なノウハウの全容を詳細に記しており、これからワークショップを企画する関係者には、ぜひ熟読してほしいと思います。
 以上の2報告はともに、自治体策定の枠内での、市民参加の先進的な手法の紹介です。これに対して、市民が自治体とある種の緊張関係にあるのが、次の例です。
 3章の明峯哲夫(日野市)報告は、「市民版マスタープラン」として大きな反響を起こした「日野・まちづくりマスタープランを創る会」のリーダーである明峯さんが、その作成の動機・経緯・内容などを紹介したものです。後の多くの市民版マスタープランは、このプランをテキストとして学んでいます。行政に対抗する同氏の議論は、たんなる感情論ではなく、市民参加にかんする鋭い洞察にもとづいており、筆者もおおいに学ばされました。報告につづいて、充実した討論が展開されていますから、その部分にも目を通してください。
 以上の3報告とひと味違うのが、以下の2報告です。そこでは、自治体・市民間の「協働」が大きなテーマです。
 4章の大和田清隆(調布市)報告は、同市のマスタープランを市民有志が中心になって策定した、非常にユニークな事例です。市役所の都市計画課を出入り自由に開放して、市民有志が2年半にわたり、毎週集まって作成したものです。ふつうは公式の委員会を組織して策定するのですから、調布市の事例は「異例」と言ってよいでしょう。この実験的ともいえる事例を、技術的に支えたコンサルタントの大和田さんに、詳細に報告してもらいました。「現在の行政体制でも、やればここまで出来る」という刺激的な見本です。
 5章の小瀧康男(流山市)報告は、流山市民まちづくりネットワークが提案した、市民版マスタープラン『こんなまちに住みたい』の作成の動機・経緯・内容を紹介しています。流山市がつくった「創生塾」は、市民・市職員などのまちづくりの担い手を世に送り出しており、その出身者を中心に、多くの自立的な市民がネットワークを形成して、いろいろな活動に取り組んでいます。この市民版マスタープランも、そのうちの一つです。その作成に携わった小瀧さんに、手づくりプランの体験を語ってもらいます。
 以上を、市民・自治体の相互関係で眺めると、大和市・伊勢市を「正」とすれば、日野市は「反」であり、調布市・流山市は「合」というべき関係になりましょうか。それぞれの現場からの具体的な報告を味わってください。

「2編 実践のポイント」

 6章の山口邦雄(プランナー)報告は、都市計画プランナーの実務サイドからする、計画論・参加論です。とくに、自治体行政の中に存在する各種計画を整理し、自治法上の「総合計画」を「自治体のスーパー・マスタープラン」と位置づけて、都市計画マスタープランとの関係を論じています。山口さんは、多くの自治体の各種計画づくりへ参加した豊かな経験を踏まえて、計画合意に至るためには、市民が「計画する主体に少し近づくこと」の必要性を強調しています。
 7章の日置雅晴(法律)報告は、市民参加のための法律的基礎、とくに今後ますます重要になる「まちづくり条例」に関して、実践的なポイントを解説しています。市民派の弁護士として活躍中の日置さんには、市民運動の現場からの問題提起をお願いしました。まちづくりに裁判を使っていくという点、条例の実質化のために市民運動と連動しようという点など、同氏の提案はユニークです。象牙の塔の法律学者からは得られない実践的なアイデアで、今後の積極的な市民参加・市民運動のあり方を示唆しています。
 8章の澤村明(パソコン通信)報告は、市民参加の一つの有力な手法としての「パソコン通信」に関して、その特性・可能性・限界などを論じています。この領域の先駆者の一人である澤村さんは、現在、活動中の3つのパソコン通信ネットに関する実態分析を踏まえて、参加と学習の新しい可能性を追求しています。今後の急激な技術的発展を視野に入れ、かつ現実的な配慮にもとづく興味深い論考となっています。

「徹底的参加」へ向けて

 最後に「マスタープランづくりへの市民参加」は、今後どのように展開できるかを述べて、全体の結びとします。
 第一は、プランづくりの領域を拡大する可能性です。「マスタープラン」に限らず、行政の各種の「○○プランづくりへの参加」です。例えば「環境プラン」「地区プラン」などを徹底的な参加で作ることや、「市民版」で作ることが、これからとても重要になるでしょう。
 第二に、プラン「づくり」だけでなく、いったん策定されたプランの運用状況を「管理」する問題、つまり「マスタープラン管理への参加」という新たな領域です。そこでは、自治体のプラン運用状況が、市民参加によって徹底的にレビューされ、次回の策定にフィードバックされるでしょう。
 こうして「参加」は、ますます広範かつ徹底的なものとなり、単なるまちづくり上のテクニックにとどまらず、私たちの地域生活に深く根ざした生活様式の一部となるでしょう。
 個人を大切にし、その主体性や発意などを尊重しながら、より広い社会的文脈の中で、それぞれの利益や理念を追求する方法をマスターすること、それを容易にする仕掛けや、可能にする風土が備わっていること。これらはまさに、私たちの望む社会の姿ではないでしょうか。こうして「市民参加によるまちづくり」の視界は、かぎりなく広がってゆくのです。






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