風景デザイン

感性とボランティアのまちづくり


書 評


日本造園学会誌『ランドスケープ研究』 Vol.63、No.4

 最近、『風景デザイン』という本を読んだ。風景という切り口であるが、実は地域計画の方法を紹介したものである。景観とか風景という切り口の本を筑波大学の蔵書を調べても500冊を越え、多数出版されていることがわかる。これらの本の著者の専門は地理や造園を始めとして、広く文学や歴史、哲学、医学にも見られる。よって景観とか風景は非常に広い概念である。また著者は学識者のみならず、写真家や画家、旅行者、作家など多様であり、広く大衆に理解されている現象でもある。
 この本は風景についてその現象を明らかにし、その本質を理解した専門家によって、風景という現象を用いて、地域計画の立案、実施を提案している。一般の人が理解できる環境問題から、人々の関心を身近な環境に呼び起こそうという啓蒙的アプローチをしている。よって紹介している事例は一般住民が発想し、計画を作り上げるという方法を取っている。学識者の思い上がりがなく、読んでいても楽しい。これは環境保全の主体が地域住民であるという環境問題の本質にも合致し、一席を占める本だと思われる。現場の問題に実際に対処した執筆者だから書けた内容である。
 紹介するような事例は、この本にも記してあるように、他の地域でも、他の国でもしだいに増えて行くものと思われる。そして、世界中の環境が、その地域に住む住民によって次第に良くなっていくことを可能とする。何故なら環境を悪化させるのも良くするのも「人」だからである。このような、だれにでもわかる計画提案は、草の根的運動から環境を良くすると思われる。この本は学者の名売り興業や専門分野の宣伝として数多く排出される印刷物とは異なり、多くの人に受け入れられると思われる。良い本である。惜しむらくは外国語への対応がないことである。
(青木陽二 記)


『都市問題』 1999.7号

 都市の風景は、その町の人びとの生き方の反映である―本書に、こういうくだりがある。本書では「風景」を「与えられたありのままの自然」としない。そこにただ存在するものは、単なる「自然」であったり単なる「環境」でしかなく、それを人間が感知し認識したとき、はじめて「風景」が誕生する、という視点にたつ。さすれば、風景とは受動的なものではなく、そこに暮らす人びとの主体的な営みによって、出来上がるものであるということになる。
 こうした風景に対する能動的かつ積極的な姿勢をもとに、われわれ1人1人が「風景」とどのように対峙していけばいいのか、本書ではその手がかりを片っ端から掲げていく。4人の著者がそれぞれ「デザイン」「生き物」「市民参加と景観行政」「地域らしさとイメージ」という言葉をキー概念として掲げ、おのおのの感性と経験から持論を展開しており、読みごたえを感じる仕上がりとなっている。
 全体は5章だてになっている。
 第1章は「風景デザイン入門」。視覚像を自然科学的・工学的に把握していく「景観」に対し、「風景」概念は、視覚像をめぐる人間の意識・記憶・思想・精神などを踏まえた人文社会学的なものであると位置づける。そのうえで、客観的に把握された「景観」を基調としつつも、1人1人の人間の感じ方や思いも大切にした「風景」からのまちづくりが大切であるという立場を強調する。こうした視点に立って、筆者はまず人間の視覚についての工学的基礎知識をふまえた「景観」の見方を分かり易く解説する。風景に対する人間の感性・感じ方を整理し、両者を融合した「風景デザイン」によるまちづくりの方法を提起する。
 第2章は「生き物からの風景デザイン」。都市において自然と共生するまちづくりを目指す動きが各地で登場してきたことをあげ、その重要性を説きながら、手法として「エコアップ」概念を紹介する。あちこちに潜む都市自然のポテンシャルを掘り起こし、生物の生息環境を復元するとともに、人間と自然との文化的な関係の復権をはかることを意識し、トンボ池やホタルの住む川のデザインについて紹介している。
 第3章は「参加型社会と風景デザイン」。企画者・設計者・来訪者・管理者等々、風景をデザインする多種多様な主体について取り上げる。そして参加による主体相互の合意形成の大切さと、参加の手法について述べる。事例をあげつつ、数多くの「参加」のアイディアを紹介している。
 第4章は「風景デザインと地域イメージの活性化」。風景デザインに欠かせない主観的「イメージ」の大切さと、それを膨らませるための風景観察について語る。そこから地域「らしさ」を発見しつつ、風景をデザインする手法を解説する。
 第5章は「風景デザインの多様なアプローチ」。風景デザインを考えるにあたり、各地の試みを多岐にわたって紹介する。事例は「1:都市風景の脈絡を育てる」「2:共生社会の風景づくり」「3:生活文化の風景づくり」という括りになっているが、どれを読んでも彼の地に赴きたくなってしまうから不思議だ。
 読後、自宅から職場まで通勤する途中で、あちこちの風景を見回しながら、日々の暮らしについて思わず考え込んでしまった。


『庭』 1999.7号

 盛岡市での話。建物の高層化によって、まちのシンボルである岩手山が城趾公園から見えなくなり始めた時、開発か眺望確保か、市民も参加しての侃々諤々の議論があったそうだ。その時、ある人から「僕のおじいちゃん達が頑張ったから、今、岩手山が見えるようになった」と言ってもらえるよう、「まちづくりの物語」を語り継いでいこうという提案がなされたという。このエピソードには、いわゆる「まちづくり」「景観づくり」のキーワードが見えるようだ。市民的な拡がりの獲得と継続的な取り組みという……。
 高度成長期の乱暴な開発が、ようやく見直され―もちろん、心ある人からの問題提起は常にあったが―今日、身近な地域の景観のあり方を真剣に考える人が多くなってきた。住民意識も徐々に高まってきている。筆者の近所にも「ホタルを守ろう会」というのがある。そこで必要になるのが、正しい景観づくりはどうあるべきかということ。その理論と方法を、具体的にきめ細かく解説したのがこの本である。
 しかし、これまでの景観問題が、ビルなど構造物による景観破壊に関わるものであったのに対し、ここでは、緑化や親水、アーバンデザイン、郷土風景の保全など、総合的な景観づくりをテーマにしている。表題をあえて『風景デザイン』とした理由は、ここにある。
 「風景のネットワークづくり」「共生社会の風景づくり」「生活文化の風景づくり」など、様々な修景事例を見ると、成功のカギは行政と専門家と住民の“三位一体”。中でもその成果を持続させるためには、ボランティアなど、地域の人々の積極的な参加が不可欠となる。そのための道筋をつけるのも、プランナーの役割だ。


『ナショナル・トラスト・ジャーナル』 No.13

 衣食足りて礼節を知る。不景気不景気と言ってはいるが、戦後五四年たって日本のまちづくりは安定期に入っている。
 本書のサブタイトルにあるように、二一世紀日本のテーマは、感性とボランティアだという。自分たちのまちの姿を見つめると、これが本当のふるさとだろうかと情けなくなることもある。経済的なゼイタクでなくて良いから、質素でも良いから清潔で品のいい、歴史や自然を大切にした風格のあるまちに住みたい。そう思う人がふえている。本書、感性の時代になるのだから「景観」や「風景」の意味するところを皆んなで考え、わが町わが村の風景づくり・風景デザインをすすめよう、とうったえている。
 それには、どんなまちづくりが大切かを学ぶこと、それを皆んなですすめることが大事だといい、その具体的方法を示している。サブタイトルのボランティア時代のまちづくりは、「参加」のことをさしている。
 著者らは、戦後日本のまちづくりは道路、橋や公園などが個別バラバラに整備されてきたため、美しさや、町並みの統一、地域らしさに欠けてきたと指摘する。ランドスケープとしての全体性、そこでの歴史や文化、自然の大切さと生かし方。豊かな環境における生き物の大切さと共生の具体的技術。参加型社会でのまちづくりの展開。地域イメージの活性化などを、全国の事例を紹介しながら学ばせてくれる。地域づくりへの思想と方法の書である。
(編集部)


『ニッポン消費者新聞』 第578号
1999年5月15日


 “美しい環境の中で暮らしたい”。そのために、美しい風景、いい風景をいかに創り育てるか。住民運動や市民活動が「まちづくり」をテーマに大きな盛り上がりを見せている。自治体では次々と「景観条例」が制定され、その数は五百を超えている。
 風景づくりに関わることは、ひとに生き甲斐を与え、生活を豊かにもする。  けれども、実際には、景観づくりの名のもとに、町並の厚化粧事業が進められたり、地域性を無視した画一的な技法や材料が多くのまちに適用されている。
 本書は、「景観」の本質を踏まえながら、美しい景観づくり、すなわち「風景デザイン」は環境福祉であることを、具体的に考える道筋を分かり易く述べたもの。
 第一章は、「景観」や「風景」の意味、見方、考え方など「風景づくり」の基本について、第二章、第三章、第四章では、それぞれ「生き物」「参加」「イメージ」をテーマとしてこれからの風景デザインへの取り組み方について、そして第五章では、これらを総合化する方法について具体的事例を挙げている。
 著者たちは、全国各地のたくさんの景観行政やまちづくり運動に参加し、相談にものってきた面々。


『緑の読本シリーズ50』 Vol.35、No.7(通巻464号)
1999年5月31日発行

 「感性とボランティアのまちづくり」と副題のついた本書は、美しい風景、いい風景をいかにしてつくり育てるかを考える材料を提供する好著である。第1章では「景観」や「風景」の意味、見方、考え方など「風景づくり」の基本、第2章では「生きもの」、第3章では「参加」、第4章では「イメージ」、について詳述し、第5章の事例と重ね合わせることで全体が理解できる、という構成になっている。目次自体が時代のキーワードでできているので、そうした意味からは現在のまちづくりに欠かせないものを整理し、原論的でありながら、マニュアル的にまとめ上げたもののようだ。334頁で3200円、という価格設定もまずまず。著者の顔ぶれもおなじみの面々。


『建設通信新聞』
1999年5月21日(金曜日)

景観の本質探る必読書
 われわれ日本人は、ここにきてようやく美しい風景、いい環境のなかで暮らしたいと真剣に願うようになった。そうした傾向を裏付けるかのように、自然景観や歴史的町並み景観を観光資源とする市町村だけでなく、ほとんどすべての自治体でなんらかの景観施策が講じられている。目前に迫った二十一世紀の日本のトレンドが「まちづくり」になる可能性は高い。
 学芸出版社が発刊した『風景デザイン〜感性とボランティアのまちづくり』=写真は、風景づくりや景観からのまちづくりに焦点を当て、「感性」と「ボランティア」時代をリードする市民の眼と、風景の眼からのまちづくり論をメーンテーマにしている。タイトルにある風景デザインを進士五十八氏ら著者は、合理性だけを追求するのではなく、土地や自然、生き物、歴史、文化といったさまざまな要素に記憶や思い出、体験やイメージなどをトータルに包み込んだ、人間味のあるあたたかいまちづくりであると解釈する。
 美しい風景の創造にかかわることは真に豊かな生活であり、自己実現そのものである。生き甲斐まで生まれることもある。では、美しい景観をつくるために、私たちはまず何をすべきなのか。
 本書では、どんなまちづくりが大切かを学び、それをみんなで進めること―つまり参加することが大事であるとし、その具体的方法を示している。「デザイン」「生き物」「市民参加と景観行政」「地域らしさとイメージ」を切り口に、風景からのまちづくりの基本を四百枚におよぶ豊富な図版とともに説く。
 さまざまな景観行政やまちづくり運動に参画してきた著者らは、戦後の日本のまちづくりには統一感や地域らしさが欠け、その結果、美しさも欠けていると指摘、ニューファッションとしてのみのまちづくりに疑問を抱く。ランドスケープ―つまり土地・自然(ランド)の総合(スケープ)的なバランスこそが「風景の眼」の基本。「景観」のこうした本質を十分に踏まえた、まちづくりをすすめるための必読書だ。


学芸出版社
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