一方、 日本の都市計画を取り巻く21世紀に向けての大きな流れとして、 地方分権、 行政・政治・財政改革、 規制緩和などがあり、 都市計画自体のスタイルも大きく変わろうとしている。 これまでの都市づくりの中心が郊外に拡大する市街地のコントロールだったとすると、 これからの都市づくりの基本は、 一旦できあがった都市が変化する過程で生じる諸々の課題を解決しながら、 そこに住む人々の生活の質を高めていくものでなければならない。 成熟社会のまちづくりのあり方が問われているのである。
本書は、 こうして日本で始まった新たなまちづくりの試みを応援したいという筆者の思いを、 同時代的に進むイギリス都市計画の現場の動きをリアルに描写するという形で間接的に書き綴ったものである。 日本はこれまでイギリスから多くのことを学んできたが、 近年はややもすると「衰退国」から何も学ぶことはないとか、 サッチャー時代の「民活」方式に学べといったように、 経済的側面に偏った評価がなされがちである。 また、 そうした情報を得る際にも、 遠方の先進国の成功事例・モデル例としての色彩が強かった。 本書ではイギリス都市計画を、 日本と同じ課題をもつ同時代的対象としてみている。 したがって読者は、 ある場面ではイギリスでもそうなのかと親近感を抱き、 しかし別の場面ではやっぱり先進的だと驚き、 理解困難な場面にも遭遇し、 ある場面ではつい苦笑してしまうことになるだろう。 そして最後には、 何らかのヒントやエネルギーを得てまちづくりの現場に出かけていけるような、 そんな内容になればと願いながら書き進める。 そして本書は、 都市計画の現場に関わる行政・コンサルタント・専門家の方々にはもちろんのこと、 地方議員、 市民活動・NPO関係者、 建築や都市計画を学ぶ学生・大学院生など、 幅広い人々にも手にとっていただけるような内容をめざした。
しかしイギリス都市計画が常に高く評価されてきたかというとそうではない。 広域レベルのマスタープランをつくろうと思っても時間ばかりかかり、 その反省を踏まえた68年法によって県レベルの計画とローカルな計画とを分けて作ろうとすると、 今度は県と市町村の間でもめ事が絶えず、 結局は県レベルの計画は策定できたものの、 市町村レベルで都市計画マスタープランを策定できた所は、 ほんのわずかにとどまっていた。
日本で市町村都市計画マスタープランが義務づけられた92年の前年、 イギリスにおいてもようやく市町村に都市計画マスタープランを義務づける91年法が制定された。 マスタープランの内容や策定方法は違う。 それを取り巻く社会も違う。 しかし、 この91年、 92年という時期はほぼ一致しており、 マスタープランが義務づけられた現場での熱い議論や戸惑いには共通したものがある。
90年を少し越えたあたりの両国の同時代性を、 いくつかの点にまとめてみたい。 その多くは世界的にも共通した特徴と考えられる。
第一に、 東欧における社会主義の崩壊と、 その中欧・西欧への影響が基本的部分としてある。 またイギリス国内においても、 戦後「コンセンサス」に基づいて進められてきた福祉国家の建設という目標の限界が誰の目にも明らかになってきた。 世界的にも自由主義体制の色彩が強まり、 日本もその影響を強く受けている。 都市計画「プラン」で都市を制御するという行為は、 一見、 社会主義的であり時代の流れと矛盾するように見えるが、 筆者は「プラン」の意味あいが変化したと考えている。 端的にいえば、 従来のプランは官僚や専門家が事前確定的に描き、 それを公共事業等によって実現していくようなものだったとすると、 新しいプランは、 市民や企業等も参加して基本的スタンスを描き、 それを各主体がそれぞれの役割に応じて実現していくようなプランである。 イギリスでは自治体プランナーが70年代前半までの都市計画を仕切ってきたが、 70年代後半以降は国からも市民からも見放され、 80年代のサッチャー政権による改革を経て、 90年代にはプランの意味あいが変容した。 日本でも程度の差こそあれ、 地方分権が進む中でこうした変容が進んでいくものと思われる。
第二は、 80年代的なバブル経済後の時代状況である。 79年にサッチャー政権が誕生したあと、 イギリス都市計画は経済再生の「足枷」「重荷」との烙印を押され、 従来の計画策定や計画許可手続を迂回する多くの抜け道が用意された。 古手のプランや根拠の確かでないプランは無視され、 策定のやり直しを国に命じられた。 また、 従来不許可とされていたような開発も不服申立の結果、 判断が覆されるケースが続出した。 しかし80年代も末期になると、 87年10月19日の「ブラック・マンデー」に象徴されるように経済・開発優先のやり方にほころびが目立つようになり、 既得権をもつ地主層もプランの役割を支持していることが再確認されて、 計画重視の世論が徐々に強まっていく。 しかし、 第一点で示したように、 それは決して70年代への回帰を意味するものではなかった。 日本でもバブルがはじけて土地基本法も制定され、 「計画無きところに開発なし」といった原則が確立したかにみえるが、 一方で規制緩和のかけ声も大きく、 それに対する反論や有効な代替案の提示ができているとはいえない。 たぶんここで必要なのは、 第一点で示した大きな流れを今日的課題として受けとめて、 「プラン」や「都市計画」の意味を再点検することだろう。
第三は、 地球環境問題に象徴される、 環境への意識の高まりである。 イギリスでは85年に発せられたECの命令を受ける形で国内法の見直しが進み、 都市計画においても環境的な配慮を重視すべきことが法律レベルで明記されることになった。 またサッチャー政権も末期になると環境に対する世論の高揚に政策をすり合わせる必要が生じ、 従来のような経済一辺倒の政策を転換せざるを得なくなってくる。 日本でも環境に対する関心の高まりはみられるが、 都市計画マスタープランは必ずしも環境に対する配慮を重視しているわけではなく、 むしろそれは別の環境基本計画で考えるといった具合に、 なかなか環境問題を総合的に考えるところまでいっていない状況にある。
以上の3点は相互に関係している。 戦後50年を総括し、 新たな時代に向かって我々はどのような理念をもって自らの生活や地域環境の質を高めていくべきか、 都市計画やまちづくりのめざすべき方向は何なのかを見極める必要性が高まっているのである。
第一は、 47年法が生み出した都市計画システムの独自性である。 イギリスではアメリカのようなゾーニング制度でもなく、 ドイツのような地区詳細計画制度でもなく、 ディベロップメント・プランに基づく計画許可制という独自の仕組みで法定都市計画を行っている。 一言でいうと、 事前に大ざっぱなマスタープランを決めておき、 具体の開発が申請されるたびに一つ一つその善し悪しを議論しながら、 その場所に最適な内容に誘導していくという仕組みである。 この仕組みは一歩間違うと専制的・独断的な運用が行われたり、 許可を得ようと賄賂が横行するなどの危険性をもっている。 ゾーニング制度であれば、 できることとできないことが事前にかつ詳細に決っており、 独断的判断や賄賂の横行の余地は少ない。 しかしゾーニング制度によると、 どのような敷地条件、 近隣条件であろうと開発できる内容が一律に決ってしまい、 融通がきかない。 イギリスのシステムの優れた点は、 近隣の意向を含めた諸条件を総合的に勘案しながら、 「より良いもの」を一つ一つていねいにつくっていく点にある(第4章)。
第二は、 精緻な手続の規定である。 都市計画法の内容のほとんどが手続を扱っているともいえる。 計画素案の協議を経て作成された計画案が縦覧され、 そこで出された異議を処理するために公開審問が開かれたあと、 議会での最終採択に至る一連の法定プロセスは、 規則や運営規定によって補完されつつ緻密な体系を形づくっている。 この手続は47年法以来、 歴史的に成長してきた結果である。 やや皮肉なことでもあり制度改正の必然の結果でもあるのだが、 91年法によってプランの位置づけが高まり、 すべての開発はマスタープランを重視して行うべきことになったために、 地域住民やディベロッパー、 環境団体をはじめとする諸主体の関心が格段に高まり、 計画策定期間の長期化、 策定コストの増加が大きな問題になっている(第3章)。
第三は、 これは現象面、 あるいは現象に対する認識といってよいかもしれないが、 47年法の制定以来繰り返される法定プランづくりの「遅れ」である(第1章)。 68年法も、 91年法も、 改革の基本は法定プランづくりをより合理的に、 かつ迅速に行おうとする試みだった。 ただし、 「プラン」といっても各時代によって策定の基本となる内容が違う。 例えば91年法との関係でみると、 68年法で生み出された最大の成果は県レベルのマスタープランであり、 86年にようやくその全国カバーが完了した。 それを受けて行ったのが91年法による市町村レベルのマスタープランの義務づけだった。 しかしこの市町村都市計画マスタープラン策定作業も大幅に遅れており、 法改正の直後からその改善策が熱心に議論されている(第2章)。 こうしてみると、 確かに「遅れ」をその都度課題にしているのだが、 長い目でみると次第にプランが育ってゆく様子がみてとれるのである。
これら3つの点に共通するのは、 コストや時間のかかることにはかなり寛容である点と、 それを前提として手続やルールを重視している点である。 そして、 最終的にはいろいろな人の意見をききながら、 最も良いと思われる案を実現していく姿勢である。
日本を対比的に特徴づけるなら、 コストや時間はできるだけ節約して効率性を重視し、 手続やルールは簡便なものとしつつ内容に重点を置き、 そしてその内容の多くは国が法律や通達等によって細部まで決め、 対立する意見はあまりはっきりと表に出さないようにして行政原案をそのまま認める、 あるいは法律に合っていればとやかく言ってはいけないといった感じになろうか。
一つ目は制度の先進性である。 歴史的にながめるなら、 47年法以来の工夫の積み重ねといって良いかもしれない。 イギリスでも戦後すぐの時代には中央政府の力がたいへん強く、 計画策定プロセスにおける大臣の権限も大きかった。 しかし、 行政手続の透明化、 行政情報の公開、 市民参加の規定など、 時代時代の要請によって市民に開かれた制度の整備が進み、 今日のシステムが形成されるに至っているのである。 また、 こうした制度の整備によって、 何びとでも都市計画に対して機会の平等が与えられることになったのである。
二つ目は、 都市計画をめぐって多様な種類の専門家の果たす役割が大きいことである。 プランナーという職能をはじめ、 インスペクター、 計画・環境法曹界、 議員集団などに専門知識やノウハウが蓄積されているが、 これらの多くは諸制度の確立に伴って生み出されたものである。 そうした多様な主体は今日、 それぞれがプロとしての規範に責任をもちつつも、 連携しながら相互の緊張関係を保つことによって、 地域環境の維持・保全にかかわっている。
三つ目は、 市民基盤ともいえる基礎体力の強さである。 自己組織化社会、 市民支援ネットワーク、 オンブズマン制度などが特徴としてあげられる。 イギリスは個人主義の国だとよく言われる。 しかし、 そうした個人の限界の認識のうえに、 同じ価値や目標をもつ者同士が連携・連帯して組織を形成し、 それらがさらにネットワークして大きな力になっていく姿が日々の生活の中に垣間みられる。 こうした組織は、 組織化されていない弱者を支援したり、 その代理人となって強者のチェックをするといった役割も果たしている。
あえて四つ目の点をあげるなら、 長い時間をかけて根気よく、 ねばり強く課題を解決していくそのやり方自体に学ぶ点が多い。 筆者がイギリスで強く感じたのは、 寛容の精神(tolerance)と忍耐の精神(patience)だった。 革命を起こすでもなく、 再開発によってバッサリと地区を改造するのでもなく、 歴史を大切にしながら、 一つ一つの出来事をていねいにつけ加えていくそのやり方は、 まさに成熟社会のまちづくりと呼ぶにふさわしいと思うのである。
91年法の改革も、 それ自体は市町村単位の都市計画マスタープランの義務づけという、 日本にも共通する同時代的内容である。 しかし、 その背景にあるこうした先進性を味わいながらイギリス都市計画を理解していくと、 いろいろな驚きと同時に、 日本の明日のまちづくりへの多くのヒントが得られるのではないかと思う(第5章)。
各章は一応連続した構成になっているが、 どの章も内容的には独立しているので、 どこから読んでも、 また、 一部の章だけ読んでも一定の理解が得られるように工夫した。
第1章では、 イギリス都市計画の歴史をひもとき、 特にその固有のシステムの変遷を、 社会からの要請や時々の課題解決という観点から読み取るなかで、 70年代後半から80年代にかけて都市計画が「危機」に陥った理由を明らかにし、 90年代の「再生」に向けた流れを跡づける。
第2章では、 イギリス都市計画「再生」のための大きな転換点となった91年法の背景、 審議過程、 都市計画システムの変化、 91年法体制の評価と普及プロセスの全貌を紹介する。
第3章では、 91年法で新たに形成された「マスタープラン主導システム」のもとでの都市計画マスタープラン策定プロセスの実態を、 制度形式ばかりでなく、 具体の運用、 とりわけ公開審問での資料の準備、 発言の方法と内容、 具体の運営にまで踏み込んで分析・紹介する。
第4章は、 イギリス都市計画のもう一つの重要な柱である計画許可の実際を、 地方議会に委ねられた広範な裁量権の運用実態に焦点を当てて、 いくつかのケーススタディをもとに分析・理解する。
第5章はまとめの部分である。 第1、2、3、4章ではそれぞれの時代・分野ごとにテーマを設定しているが、 今度は「成熟社会のまちづくり」という観点からイギリス都市計画システムの特長を照らし出す作業である。 ここでは制度基盤、 多様な専門家、 市民基盤の3点を特に重要な要素と考え、 場合によってはその特長が形成された背景や理由にまでさかのぼって整理したうえ、 21世紀の日本の都市計画・まちづくりへの知見を整理して結びとする。
なお、 本書はできるだけ具体的な現場で実態を通して直観的理解を得ることをねらいとしているので、 制度の基本的仕組みや用語の定義などの説明は最小限にとどめ、 巻頭に「基本用語の解説」を、 巻末に「索引」を付けてその補完をはかった。 それらの詳細については、 中井・村木著『英国都市計画とマスタープラン』(学芸出版社、 1998)を参考にしていただければ幸いである。
イギリス都市計画の同時代性
現在のイギリス都市計画のおおもとをたどると、 1909年までさかのぼれる。 しかし、 現在も使っているシステムという意味では、 47年の都市・田園計画法(Town and Country Planning Act、 以下、 47年法)が今でもベースにある。 したがって97年には、 50周年を記念してのイベントが各地で開催されている。 日本で戦後50年というのに近いニュアンスがそこにはある。イギリス都市計画の固有性
同時代性として整理した事項はいわば、 都市計画を取り巻く背景としての社会経済状況の変化である。 しかし、 同じように背景が変化しても、 都市計画システムのもつ固有性によって、 何が「課題」となるかは異なっていた。 ここではイギリス都市計画システムの特徴と、 それに内在する課題が時代の変化によってどのように現象しているかを、 いくつかの点に整理しておく。イギリス都市計画の先進性
固有性の所でも若干触れたように、 イギリス都市計画には、 皆で話し合いながら都市環境をより質の高いものにしていくための先進的な要素が多数含まれている。 もちろんその中にはコストや時間を犠牲にしているものや、 ほぼ固定した環境を保全するだけという現状追認的姿勢など、 現在の日本からみれば欠点と思われる部分も少なくない。 とはいえここでは、 成熟社会のまちづくりに学ぶという視点から得られるいくつかの重要なポイントを整理しておきたい。本書の構成
本書は、 イギリス都市計画を同時代的に眺めるなかで、 その固有性を理解しながら先進性を学びとろうとするものである。 内容は、 大きく3つの部分に分かれる。 第1章と第2章は現行イギリス都市計画システムの形成経緯、 第3章と第4章が現行イギリス都市計画システムの運用、 第5章が成熟社会のまちづくりの観点からイギリス都市計画システムを読み解くまとめの部分である。
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