サンフランシスコ
都市計画局長
の闘い

本書のねらい

 

今、なぜ『サンフランシスコ都市計画局長の闘い』か

 

蓑原 敬

今、日本は成熟社会を迎えている。激しい都市化の時代、人口の増加や製造業を中心とする雇用の増加を期待し、都市が大きく外側に広がっていく時代は終わり、既に築かれた都市のインフラを活用しながら豊かな都市生活のための都市環境を形成していく時代に入った。大がかりなマスタープランを作り、どんどん公共投資をする時代ではなく、優れた都市建築物を積み重ね、緑や水を大切にしながら身のまわりの都市環境を美しく改善していくことが都市計画の主要課題になる時代になった。街の中に住むこと、公共輸送機関のサービスを高めて、来たるべき高齢化社会に備え、車に乗れない若者も集まれる街を再生することが都市計画の重要なテーマになってきている。私達は21世紀に向かって世界に恥じない都市環境の形成に成功できるのだろうか。そして、第三世界のトップランナーとしての手本を示すことができるのだろうか。

一方、成熟経済の中で、内需の拡大が経済運営の重要な課題になっており、都市開発投資が国の重要な戦略的な課題になってきている。また、都市開発が地域の振興に直接つながることから、地方での都市計画、都市開発の重要性も高まってきている。

他方、経済のグローバル化に伴い、規制緩和の合言葉の下に、地域社会のより良い環境の形成とは矛盾する土地利用の自由化への圧力が強まっている。市街中心部での容積率の増加への要求、周辺部優良農地の市街化への要求など、都市の環境や景観に決定的な影響を与えかねない土地利用計画の見直しが、何の都市計画的配慮もないまま進みつつある。

確かに既得権の擁護や、既存の組織の防衛のためだけの不合理な規制や煩雑な行政手続きが横行しており、改めるべき領域は広い。しかし、活力ある地域経済の運営を意図しつつも、都市環境を維持し、悪化を防ぎ、改善することもまた、現代の主要なテーマの一つのはずだ。

しかも高まりつつある環境意識、都市景観の形成への意欲と自由な市場経済の展開を求める強い動きの狭間で、自動車時代の日本の地方都市は確実に分散解体しつつある。

このような時代には、地域の実体に根ざし、地域社会の合意の下に、個性を活かした、現場からの都市計画の積み上げが不可欠である。時あたかも地方分権の時代に入って、その可能性は大きく開かれつつある。

しかし、従来の高度成長期の都市計画、もっぱらインフラ建設にかまけた中央集権的な都市計画システム、画一的な基準とマニュアルに慣れきった日本では、このような時代的要請に応えるのが極めて難しい。成熟時代の都市計画の経験を語る本が欲しい。

さらに都市計画はその都市が置かれている経済的、社会的、政治的な状況に必然的に支配されるから、有効な手引きであるためには、そのような大きな社会的な背景と政治行政構造の背景の説明が欲しい。現実的な生臭い状況の中でいかに都市計画が可能だったのか、それを現場からの視点で解き明かしてくれないと奇麗事の報告に終わり、私達の実践の参考になることはない。

そして、都市計画という行為を実際に誰が担うのか、行政の中で実際にプロフェッショナルとしての都市プランナーが機能し得るのか、機能し得たとしたら、それはどのような状況の中で、どのような哲学とモラルの下に成立し得るのか。

日本で都市計画と言えば、役所がやる、特に建設省が都市計画法に基づいてやる都市計画だけが都市計画だと思っている人が多い。地方自治体も、ごく一部の例外を除けば、この意味での都市計画しかやっていない。だから、地方自治体が既存の法律や制度に基づかない、もっと広い意味での、本来の都市を計画するという仕事、特に市民参加を促す都市計画をやろうとする時には、都市計画ではなく街づくりという曖昧な言葉を使うことが多い。そして、その時には交通計画や土地利用規制といった、本来の意味での都市計画の中核となるべき問題が忘れられていることも少なくない。都市を計画するという行為を原点に返って再認識し、市民の手に取り戻すことが不可欠なのだ。

本書は、市民権運動の奔流の中で、経済開発と成長管理がせめぎあう成熟したアメリカの都市、サンフランシスコ市で、一人の有力な都市プランナーが都市計画に取り組み、格闘した実践の記録である。都市計画の有効性を信じ、市の都市計画の中心人物として八年にわたって実際にサンフランシスコの都市計画を大きく動かし、今日のサンフランシスコの有り様に強い影響を与えた様々な施策を実現した人物の、率直すぎるぐらい率直な回顧録である。背後にある政治経済的、社会的な動きを丁寧に解説した上で、都市計画が語られているだけではなく、限られた予算や弱い権限しか持てなかった彼が、智恵を絞って街を変えていった過程が正直に語られている。実践的な問題の解決と都市計画の理論的な問題が並行的に語られ、民主主義社会における都市計画のあるべき姿や、行政の中での都市計画の専門家のあるべき姿が熱情を持って語られているので、日本の専門家、特に地方で真剣に都市計画に取り組んでいる人々の参考になることが多いだろう。その力強い意志と持続的な努力の積み重ねの、時を追った物語は、彼の飾らない人柄を反映して極めて爽快な読物にもなっており、専門家ならずとも面白く読めるはずだ。

著者のアラン・ジェイコブスは、現在カリフォルニア大学バークレー校で都市計画を教えている。彼が1966年から74年の間在任した市の都市計画局長としての経験を、個人的な悩みと喜び、彼がかくあれかしと思う都市計画のあり方、民主的な市の政府のあり方などの哲学などを交えながら語ったのがこの本である。当時のサンフランシスコ市の行政の構造、政治の状況、市民の対応など幅広い背景を語りつつ、行政の中にある都市プランナーの生き様がいきいきと語られており、これからの日本の地方の都市計画を背負う行政官や市民、経済人にとってこの上ないテキストになるだろう。そう考えた専門家が集まって、グループを作り、読み合わせの勉強会をしながら手分けして翻訳した。

もとより日本とアメリカでは都市計画を巡る周辺状況も、そして何より政治・行政の構造が決定的に違う。しかし、近代国家よりも先に都市の自治が成立していたヨーロッパとは違い、アメリカの都市計画はヨーロッパに比べると非常に弱体であり、それだけ日本に近いとも言える。その差異を十分に意識しながらも、市場主義経済の力が非常に強いアメリカの経験、特にサンフランシスコの経験はより良い比較の枠組みを示してくれていると思う。

ジェイコブスが尊敬する彼の先達であるT・J・ケント・ジュニアが紹介文を寄せており、これを読めばこの種の類書がアメリカでもほとんどなく、未だに貴重なテキストになっていることが判るし、さらに彼がアメリカの都市計画史の中で燦然たる光芒を未だに失わない、ルイス・マンフォードの直系の弟子であるという位置づけも記されている。

彼が修士過程を終えたペンシルバニア大学に私も1年学んだ誼もあって、彼が秘かに語ってくれた逸話が未だに私の脳裏を離れない。彼がサンフランシスコ市に入ることになった時、彼はマンフォードに手紙を書いた。「私(ジェイコブス)は、未だにあなた(マンフォード)の弟子だと思い、あなたの思想をこの地で活かしたいと思っている。見守っていて欲しい」。これに対してマンフォードからの返事があった。「私はもう老年だからきっとあなたの仕事を見届けることはできないだろう。しかしあなたがもし約束を違えたら、化けて出るからそのつもりで」。その手紙は、8年の間サンフランシスコ市役所の彼の部屋で彼を見下ろしていたという。アメリカ都市計画史の一齣を鮮明に実感できる気がする。

全文翻訳の結果、あまりに頁数が多くなり過ぎたので、原著者の了解を得た上で、重複気味の部分、日本の現場の参考にはなりにくい部分を一部(全体の数%程度)割愛させていただいた。したがって、この本は完訳ではない。

翻訳の分担は以下の通りであるが、蓑原と倉田が全体の調整に従事した。

  はしがき   蓑原 敬
  Chapter1   蓑原 敬
  Chapter2   小川富由 〈調整…蓑原 敬〉
  Chapter3   蓑原 建 〈同上〉
  Chapter4   西村幸夫 〈同上〉
  Chapter5   大方潤一郎〈同上〉
  Chapter6   若林祥文 〈倉田直道〉
  Chapter7   佐藤 滋 〈同上〉
  Chapter8   倉田直道
  Chapter9   中井検裕 〈蓑原 敬〉
  Chapter10   吉川富夫 〈同上〉
  Chapter11   木下眞男 〈同上〉
  Chapter12   蓑原 敬
  著者紹介   蓑原 敬

なお、原本にある謝辞、原注、索引なども頁数の都合で割愛した。ただし、サンフランシスコの現状やアメリカの都市計画についての手引きと重要な訳語一覧を付している。また、章の中の小見出しや章扉の解説は、日本の読者の便宜のために、訳者が付したものである。

原本の挿し絵もジェイコブス自らの手になるものだが、本人の強い希望で日本語の翻訳版の挿し絵の一部は彼が新しく書き換えた。


蓑原敬/学芸出版社

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