建築の保存デザイン

まえがき

 世は歴史ブームである。建築の保存についても社会の関心が非常に高まっている。文化財登録制度の導入などによって「文化財」の概念も大きな広がりを見せている。しかし建築を保存することの根元的意味、保存におけるデザインの正しいあり方などについて、我々は今、真剣に考える努力をしているだろうか。特に我々の身近にある近代建築の場合、保存と開発の妥協的産物としての“奇妙な”保存のデザインが多すぎはしないだろうか。21世紀の日本において、我々の周りの生活空間を、真に魅力的で豊かなものとするための歴史を生かした“本物”の環境づくりは、決して小手先ではなし得ない深い哲学に基づくべき課題であり、醜悪な“切った張った”の保存からはそろそろおさらばすべきときなのである。

 また現代の社会における緊急のテーマ、地球環境問題は、今や急速に建築の保存問題と一体化しつつある。社会的ストックとしての建築を、壊すことなく大切に使い続けるという視点は、“選ばれた名建築を保護する”という今までの保存の概念を大きく転換するものでもあるだろう。今や「保存」は、より社会的広がりをもった、環境形成・環境デザインの重要テーマとして一般化しつつあるのである。

 豊かで美しい環境づくりは、人間社会における文化的営みの普遍的目標であったはずなのだが、現代の過酷な経済原則の中で、我々はいつしかこの大切な目標を見失ってきてしまったように思う。そして目先の便利さと経済効果だけを目標に走ってきた我々日本人は今、かつて経験したことのない文化的危機に陥りつつあるのではないだろうか。先人たちの残してくれた豊かで美しい生活環境はどんどん失われている。そしてそれらの環境をゼロから再生することはすでに物理的に不可能な時代に我々は生きている。残念ながら資源も技法も過去の時代に比すべきものはすでにない。もはやこれ以上先人の遺産を失うわけにはいかないのである。遺産はできる限り保存されなければならない。しかし問題は残し方である。いくら優れた遺産でも、残し方によって生かされもし、殺されもするのである。ただ保存すればいいというものではない。過去の遺産は、現代の生きた社会の中で、豊かで美しい“本物”の環境として保存されなければ意味がない。

“本物”の生活環境づくりのための保存の手法、正しい「保存デザイン」のあり方が、今問われている。

2003年5月
田原 幸夫