あたらしい森林浴
地域とつくる!健康・人材育成プログラム


おわりに

森林浴を仕事にする

本書は、少しでも多くの人に森林浴を楽しんでもらいたいという思いから、筆者がこれまで培ってきた森林浴の知識、ノウハウや可能性をご紹介してきました。読んでいただいておわかりになったかと思いますが、森林浴をもっと多くの人に楽しんでもらう方法を考えれば考えるほど、森への間口を広げること、森と都市との心理的な距離を近づけること、そして森の「仕事」に関わる人を増やすこと、の必要性を痛感する日々です。

都会の人を森に連れて行けば、それが仕事として成立するわけではありません。森林浴を小さくても“ビジネス”にするには、観光地への旅行よりも、テーマパークへ行くよりも、ジムへ通うよりも、温泉よりもマッサージよりも、「森林浴がいい!」と言ってもらうことにほかなりません。森が好きで、森に関わることを仕事にしようと決意し2015年に会社を設立してからは、どうすれば地域の森や地域の人、都市に暮らす人や企業が森林浴に親しめる環境をつくれるかを考えてきました。最後にビジネスの視点から森林浴の可能性について考えてみたいと思います。

森林浴ガイドという仕事の難しさ

例えば、森林浴をガイドする仕事は、森や人を元気にすることができるというやりがいもあり、自分の健康も維持できて一石二鳥、ボランティア活動で選ぶにはほんとうにお勧めです。とはいえガイド一本で食べていくとなると話は別です。例えば毎日ガイドとして人を森に連れて行くと、1人あたり5000円のガイド料をもらえば1日3人、週に3日の仕事で、月に20万円くらいは稼げるかもしれません。

農業などでもいわれることですが、森林浴という自然相手の仕事は予測できない事態が起こりやすく気象条件にも大きく左右されます。雨はもちろん、真夏の炎天下、大雪が降る真冬などはなかなか人も集まりません。またわたしは股関節の持病があるため、自分の山を持って、森林浴ガイドを中心に仕事をしていくことに体力面で前向きになれない事情もあります。このようにガイドとして森林浴を仕事にする場合は、思いだけでなく体力や気力も必要です。

森の維持管理を担う人材の確保も簡単ではありません。広く地域ごとに個性豊かな森を活用する場合、当然ですが現地で遊歩道をメンテナンスしたり、地域固有の生態系を守るためのサポートをしてくれる仲間の存在が欠かせません。となると、彼らの労働に見合ったお金が地域に落ちる仕組みをつくる必要がありますが、余所者のわたし一人が企画からガイドまですべて自分で行ったところで、地域の森になんの貢献もできません。

飛び込んだメンタルヘルスというフィールド

それでもビジネスとして活動を継続していくためには、森へ呼びたい人に「なぜ、今、あなたはここで、森林浴を受ける必要があるのか」ということをきちんと提示できなくてはいけません。これまでも語ってきたように、森林浴をサービス業として位置づけてみると、多くは観光レジャー産業に振り分けられ、多くの観光商品と競合することになります。健康に良いからヘルスケア事業として位置づけてみても、近年開発されつつあるたくさんの健康予防商品と並ぶことになります。

そうした理由から、2006年より森林浴をメンタルヘルス対策に取り入れ、「心の健康」にまつわるビジネスとしての展開を考えてきました。心の健康のための森林浴活用はわたしが一番長く続けている取り組みです。企業向けのメンタルヘルス研修に取り入れてみたり、森林セラピー基地と観光商品を開発してみたり、ホテルのプログラムとして取り入れてみたり、やってきたことはおおよそ形にはなりましたが、それだけで自分が生活をしているだけの収入が得られたかといえば、ほかの仕事もやりながらでないと、活動を継続していくことができませんでした。理由は、メンタルヘルス対策目的のニーズを複数人で受け入れる難しさにあります。

フフ山梨に勤めていたころ、実際に心療内科に通院しているお客様が見えたことがありました。森に入る前のインテーク(問診)の時、日頃から薬の服用があることを知りました。わたしは心療内科での勤務経験があったので、眠気や副作用などに注意し、体調に合わせて短時間の軽いコースを選び案内できましたが、心の健康を取り扱うにはやはり専門の知識や経験が必須です。企業向けのメンタルヘルス対策なら、企業は高ストレスな方に優先して体験してもらいたいと考える傾向があるので、臨床心理士や産業カウンセラーなど資格や経験を問われることも多くあります。そうした人材を育てようとも思いましたが、地域で森を案内したいという方々は、年配の方や森を歩くことが好きで活動をしている方も多いため、治療に近い行為を学んでいただくには限界があります。

豊かな未来をつくる森林浴と人材育成の良い関係

そんな「健康」にも、数年前から別のニーズがあることに気づきました。心身の病気予防を目的とした「健康」だけではなく、より豊かに生きること(幸せに生きるという広い視点からの健康のあり方)への関心の高まりです。マインドフルネスや坐禅、環境や社会に負荷の少ないエシカル消費に興味を持つ人が増え、自分の生き方を立ち止まって見直す動きや欲求の顕れから行きついたのが「人材育成」でした。それはつまり、健康であることはもちろん、今よりよい状態を目指すこと、創造的であること、人々の役に立つことも含まれます。健康経営という視点なら、企業にももっとポジティブに社員を送り出してもらえます。また、SDGs(持続可能な開発目標)の視点など人間を含めた持続可能な環境へのアクションも豊かさのモチベーションとなり、地域にも貢献できる。仕事もプライベートも心の充足感を持ちながら日々を豊かに生きることを支える、そんな森のプログラムをつくっていきたい。そう考えてTIME FOREST研修を始めました。

人がよりよい状態を目指すためには、必ず「学び」が必要です。健康になりたいときには、どのようなモノを食べどんな運動をするとよいかを学びます。アスリート選手も、結果を出したいときにどんなトレーニングをして、どんな栄養を摂るべきかを学びます。同じように、豊かな未来を目指すときには、自分は何を大切に、どのような生き方をしていけばよいのかを学ぶ場が必要です。TIME FORESTの取り組みに、森林浴+学びの要素を加えたのは、健康を目的とするだけなく、人を育てること・未来を考えることを目的とした活動として役に立てると思ったからです。

人生は学びの連続です。個人も企業も、常に理想を叶えるために学び続けます。そのとき、普段とは少し違う“森”という環境に身を置けば、忙しない日々から一旦離れ、忘れていた自分の感覚を取り戻し、これからの自分、これからの社会をどのような未来にしたいのか、丁寧に向き合うことができるでしょう。

森林浴を楽しむ人を増やすために

森林浴を体験したい人から自分の森で使ってみたい人まで、幅広く読み手を想定して本書を書いたのには理由があります。それは“自分のため”に動くどんな立場のアクションも、地域や環境、組織、社会、すべてに影響を及ぼすという“意識を持つ”こと自体が、大きな価値だと思うからです。せっかくなら森にも人にも良い循環を生み出すほうが気持ち良い、そんな循環を生み出せる森林浴の可能性を知ってもらいたいのです。

森林浴だけでなく、森の活用や関わりへの関心を広め、違う取り組みをしている人たちと価値観を共有し、理解を深めていくことができれば、事業としての可能性も自然と発展するのだと思っています。その試みとして、2015年から元水泳日本代表の萩原智子さんと一緒に毎年全国約10カ所ほどの小学校を巡り、森の中やプール、体育館を使って森と水の授業、「水ケーション」を行っています。少し視点を変えて、水という資源を蓄えるスポンジとして森を見ると、水泳というスポーツ業界の人たちとも一緒になって、森との関わり方を考えていくことができます。どんな分野でも活動を紐解いていけば、森との関わりが必ず見つかります。

本書を読み少しでも“森林浴に関わってみたい”と思う人が増えてくれたら嬉しいです。近くに森がなくても、森に関わる活動をしていなくても、森林浴の価値に興味を持っていただけたのなら、わずかでもそれぞれの仕事や暮らしの中に取り入れてみてください。「あたらしい森林浴」は、これまで当たり前に感じていた森林浴が、一人ひとりの関心によって大きな価値へと変化していく、そんな未来を創り出すことができる可能性があるのです。

謝辞

本書は、たくさんの方々に協力をいただき、書きあげることができました。長年森林浴に関する研究に取り組まれている研究者の皆さん、地域の森を守り大切に育ててくださっているボランティアの皆さん、日本の林業の存続を守ってくださっている林業家の皆さん、わたしの活動を理解しともに考え、汗を流してくれる仲間たち、一人ひとりの森に対する愛情と、忍耐強い思いがあるからこそ途切れることなく活動が続いています。組織開発、人材育成という領域から応援してくださるJ. Feelさんをはじめ、事例でご紹介した企業の皆様は、森から学ぶという想いや姿勢に共感してくださっているからこそ、一緒に活動を行うことができています。この場をお借りしてお礼を申し上げます。最後に、わたしの思いを理解し、伝える機会へと導いてくれた学芸出版社・岩切江津子さん、本当にありがとうございました。

2019年6月 小野なぎさ