地方で建築を仕事にする
日常に目を開き、耳を澄ます人たち

まえがき


 フランスに5年、千葉に1年、金沢に12年住んだ後、大学で勉強するために上京した。建築を学びはじめてからずっと東京にいて、17年本拠地としたので、東京中心の視点になっていた。しかし、その後、名古屋で3年、仙台で11年教鞭をとり、日本地図の見え方が大きく変わった。東京が相対化され、東京以外の「地方」と呼ばれるエリアが、ただの訪問先ではなく、リアルな場所として視界に入るようになった。名古屋建築会議の立ち上げに関与したり、建築系の学生が自主運営するカフェ・ジーベックをサポートした。また愛知県には美術の豊かな環境があり、そうした縁からあいちトリエンナーレ2013の芸術監督をつとめた。東北大で同僚だった建築家の阿部仁史は、東京を飛ばして海外と直接複数のルートをもち、ロサンゼルスのUCLAの学部長に選出されて、渡米した。こうしたグローカルな感覚は、海外ではたらく若手建築家も共有するだろう。
 メディアはほとんど東京一極集中である(本書を刊行している学芸出版社はめずらしく京都に拠点を置いているが)。しかし、自分が毎週のように移動するようになり、その不自然さを感じるようになった。東京は本当に東京以外を見ているのか、と。とくに東北住宅大賞の審査に関わり、改めて東北の広さ、各地の違い、東京の住宅にはない固有のテーマ、そしてどこを訪れても現地で出会うさまざまな建築家の存在を痛感した。3・11の後、東京の建築家の支援プロジェクトはメディアで華々しく紹介されるのに、地元だからこそできる現地の建築家の粘り強く、手厚い行動がほとんどとりあげられない状況にも疑問を抱いた。インターネットが普及した現在、ビジュアルだけなら、各地の情報を簡単に入手できるだろう。だが、建築の空間体験や周辺の環境は、メディア向けの写真だけではすべて伝わらないし、また建築家のはなしを聞いてみないとわからないことが少なくない。
 だからこそ、本書では読み物として、東京ではない場所に暮らしている建築家のそれぞれのストーリーを語ってもらった。場所の数だけ物語は存在する。本書では、沖縄から北海道まで、さまざまな地域において15組の建築家が、UターンやIターンなどを経験し、自分が地に足をつけている生活圏のコミュニティと密接な関わりを築きながら活動している。空き家やリノベーションの仕事が目立つのは、現代日本の時代の趨勢がよく反映されているからだろう。これは特殊な事例ではなく、日本各地で共有可能な問題だ。そこに人がいて、暮らす意思があれば、どこでも仕事はできる。とくに建築家は、ほかのクリエイターに比べて、できあがったモノが動かない、土地に根ざしたものになるから、そこにいることの意義は大きい。近年、少子高齢化、財政難、「地方消滅」など、暗い話題が多いが、日本全国津々浦々に、彼らのような建築家が増えたら、未来はそう悪くないかもしれない。

 
2016年7月     五十嵐太郎