〈評〉建築家のクリエイティブな経営戦略とは?

〜設計者・ハウスメーカー・不動産のコラボ最前線〜

(2015.6.25 代官山蔦屋書店)



評者:橋本純(ハシモトオフィス)

「建築家のクリエイティブな経営戦略とは」について
 さる6月20日、「建築と不動産のあいだ」という本の出版を記念して、著者の高橋寿太郎さん、建築家の木下昌大さん、ミサワホームの大島滋さんの3人による座談会「建築家のクリエイティブな経営戦略とは」が開催された。場所は東京・代官山の蔦屋書店。
高橋寿太郎さんのことを知らない方のために簡単にご紹介すると、彼は「創造系不動産」というちょっと変わった名前の不動産屋さんである。とはいえ大学では建築を学び、建築設計事務所勤務を経て不動産業界に飛び込んだ方であるから、コチラ側の事情もよくご存知の方でもある。
 その高橋さん率いる創造系不動産は、建築家とコラボしながら不動産の売買仲介をする、のだそうだ。彼はその内容をスライドを交えて次のように説明してくれた。
 たとえばある土地がある。その売買価格は一般的には近隣の不動産相場から決まるが、最後は販売する不動産屋の判断である。なので彼らが売りやすい土地はちょっと高く、売れにくそうな土地ちょっと安く値付けられるが、それはあくまでも不動産屋の匙加減で、実際の土地のポテンシャルとは必ずしも一致しない。むしろ建築家の構想力で土地の可能性は変化する。だから創造系不動産では、土地を求めてきた顧客に対し、建築家を連れて一緒に敷地を見に行き、その土地の可能性を、建築の可能性も含めて顧客に示し、説明をする。
 土地は多くの人にとって人生でもっとも高い買い物なのにもかかわらず、その土地の価値を素人が値踏みをすることは容易ではない。敷地形状や周辺状況、建物の建て方などからその可能性をすぐさま想起することは素人にはできないことなのだ。ならば土地と建物の専門家が連携し、敷地の可能性について示唆を与えながら判断を促すような仕事があってよい。たった一言に何十万の価値が生まれる。それであってこそプロが連携した仕事である。当たり前だがこれまでもそういったコンサルティングは、土地は土地、建物は建物、資産運用は資産運用で個別には行われてきた。そしてそれを生業にしている人はたくさんいる。しかし人の人生は複雑怪奇だ。そういった職能領域ごときで分断されて不利益など被りたくないのは誰しも同じこと。高橋さんが気付いたのはそこだ。だから彼は連携するのだ。で結果、顧客には感謝され、協働した建築家も仕事を得るということである。まさに真のwin--win--win関係と言えよう。これが高橋さんのビジネスモデルである。

 さて、ではその高橋さんの仕事を、他のふたりはどう見ているのか。
 木下さんの独立直後の話も印象的だった。彼は、独立したての建築家のライバルはハウスメーカーだと考え、あちらに行く客をこちらに持ってこれないかと考えたが、実際に顧客にプレゼンをして、大きな差を実感したと言う。夢しか語れない若手建築家と、ファイナンシャル&ライフプランまで提案してくるハウスメーカー。普通の人がどちらを選ぶかと言えば、当然後者である。夢は大事だが夢だけでは生きていけない。と言うことは建築家も夢のフィージビリティスタディができなきゃ仕事を得られない……。そう思った木下さんは、早いうちから高橋さんと組むようになったと言う。
 高橋さんの事例紹介は、さらに相続物件にも及ぶ。相続を契機に不動産が市場に出て来る機会は多い。しかしそこに待ち構えているのは夢などではない。相続をどのようにまとめるのか、弁護士や税理士、ライフプランナーなど複数の職能との連携がなければ、とうてい不動産売買や建築設計のところにまで話にはつながってこない。これは現実である。 繰り返すが、建物をめぐる、企画→資金繰り→不動産取得→設計→施工→運営、といった時間軸上の各項目は、住まい手あるいは利用者にとって、どれも不可欠なものなのに、それぞれ職能が異なるし、一気通貫でできる人などほとんどいない。だからこそ、プロ同士が互いに連携してことに当たるのがもっともハッピーなんじゃないか、というのが高橋さんのビジョンで、ご自身は、その不動産と建築の部分をつないだぞ、という話である。

 会場からは、僕の回りには高橋さんみたいな人がいなんだけど、どうしたら……的な泣き言めいた質問も出たが、高橋さんは、まず自分で免許をとってみなさい(不動産屋の気持ちになってみなさい)、そして、自分と同じような仕事を始めている人たちが増えつつあるから探してみなさい、とのことだった。もはや高橋さんが特殊解ではないということのようだ。実際に彼は、後進の育成や建築と不動産の間の人的交流を活性化させたいとも述べていた。

 3人がここで話したこととは、餅は餅屋的な連携こそが、これからますます必要になってくるということなんじゃないか、ということである。
 そういう点で、ミサワホームのAプロジェクトのリーダーとして活躍をされてきた大島さんは、顧客の夢を受け止め、やる気満々の若手建築家を引き合わせ、双方納得の上でもろもろの帳尻を合わせ、最終的に建築作品にまで仕立て上げているという点で、高橋さんから見れば、「一気通貫の神」のような存在であり、ここにどうしても呼びたかった人のひとりだったのだろう。長年建築雑誌をやってきた僕としても、大島さんには随分と楽しい思いをさせてもらってきた。となれば、まずは大島さんにお世話になった方々がその功績を労い、飄々としたお人柄の奥に隠された暗黙知をきちんと業績として記録することを通して、その偉大な知的財産の継承と拡張を果たしていくべきだとも思った。