書物というよりプロダクト。本書を手に取った第一印象はそれだ。もっとも、本もプロダクトの一種にはちがいなかろう。けれども、誰も本のことをプロダクトと呼びはしない。でも、本書を通じて僕は、本もまちがいなくプロダクトなのだと気がついた。実に新鮮だった。

 表紙のエンボス加工もよくあるたぐいのものではない。まるで名和晃平の作品の一部のようだ。売り文句が載る帯とも微妙に質感が違っている。もしや、と思い、くるみを剥がすと案の定。紙の裏まで金属質に仕上げられ、鈍く光る銀の帯と違う角度できれいに反り返る。本体とくるみと帯からなるオブジェみたいだ。頁をめくる指先に伝わる紙の触感も快く、内容はもちろんだが、たんに読む(見る)だけでなく体感させる本──つまりは良質の作品になっている。

 忘れてならないのは、本書がアーティスト=名和晃平だけでなく、彼が力と頼むスタジオ、SANDWICHに同等の光を当てていることだろう。両者は、アーティストと、それをサポートする工房との通常の関係とは違っている。本書を見るとよくわかるのだが、名和にとってSANDWICHは、着想や制作、新たな構想の開拓や未知の実験を試すために不可分、かつ一体の「場」なのだ。この意味では名和とSANDWICHは同じ創造性の表裏であり、もっと言えば別称と呼んでもいいくらいだ。

 だからこそ、プロダクトと書物の境界を(超えるのではなく)繋ぐこのような本ができるのだろう。同時にそのことは本と彫刻、建築と服飾、デザインと和食、絵画と音楽が、すべて「プロダクト」として連携・統合されることを意味する。ただし、ここでのプロダクトはアートの下位分野を意味しない。

 前に一度、名和の案内でSANDWICHを訪ねたことがある。けっして広いとは言えない空間は合理的にデザインされ、企業の工場にも負けない生産性を備え、広い分野をカバーして着々と稼動していた。本だけではないのだ。そこにはもう、プロダクトとアートを分ける壁は存在していない。

 20世紀のアートにとって、高度消費社会の生み出すイメージをどうやって取り込むかは大きな問題だった。けれども、名和晃平+SANDWICHは、高度消費社会が必要とするマテリアルやコンテンツそのものを、社会に先駆けて生産する可能性を秘めている。



椹木野衣