プロでも意外に知らない〈木の知識〉


改訂にあたって


 本書のオリジナルは2003年に発行された『木の強さを活かす−ウッドエンジニアリング入門』です。この本の執筆開始から10年近くが経過して、木材と木造建築を取り巻く情勢は大きく変化してきました。このため、今回の改訂にあたっては、部分的な修正を加えて版を重ねるのではなく、タイトルも含めた大幅な書き換えを行なうこととしました。
 10年前に比べて大きく変化した状況は二つあります。まず一つは環境負荷の少ない建築材料として、木材の重要性がますます高まってきたことです。木を伐って使うことは環境破壊だというマスコミの論調もまったくなくなったわけではありませんが、カーボンニュートラルで環境負荷の少ない木材利用の優位性を社会全体が理解するようになってきました。
 話を建築に限れば、日本建築学会が「地球温暖化対策ビジョン2050」の中で「二酸化炭素削減のために木材を使いましょう」と宣言するに至りました。これは木造禁止決議(1959年)以降の歴史的な大転換と呼んでもよい出来事でしょう。
 もう一つの大きな情勢変化は、行政施策に木材利用促進の具体策が大々的に盛り込まれるようになったことです。2009年暮れに公表された「森林・林業再生プラン」と、その延長線上で2010年10月に施行された「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律」は、まさにその具体例でしょう。
 とくに後者は、国が公共建築物における木材利用の促進を図って、それを地方公共団体や民間に対しても波及させることを基本方針としており、いわば国策として木材利用を推進しようとするものです。この法律は、半世紀以上前の1955年に閣議決定されて、その後の木材利用を大きく制限することになった「木材利用合理化方策」とは正反対の方向性を示したものです。これは木材利用の歴史的な国策の転換を示すものであるといえるでしょう。
 このように、木材利用にいわば強い追い風が吹く時代となったことは、その適切な利用の重要性を訴え続けてきた研究者の一人として、大変喜ばしいことですが、そう単純に喜んでばかりもいられません。前書でも指摘したように、最も気がかりなのは、木材・木造の取り扱い方があまりに情緒的すぎて、科学的な視点が欠けているという点です。それどころか、一部の建築材料学の教科書や建築の啓蒙書には木材に関する明らかな誤解や記述のミスが散見されます。さらにインターネット上に氾濫する木材・木造に関する間違い知識の多さには目を覆わんばかりのものがあります。
 ある啓蒙書で見かけた「木材の年輪は南側が広い。北側の日陰で育った部分は…。腕のある大工は云々」というような表現はその典型例でしょう。樹木や木材に関するごく初歩的な科学的知識があれば、これがいかに事実に基づかない説明であるかはすぐにわかることなのですが、残念なことに、市販される著書の多くでこの種の説明が散見されるのです。
 自動車教習所で自動車のメカニズムやエンジンの構造を教えないで、そのまま生徒を路上教習にだすでしょうか。運転テクニックさえ習得していればそれでよいというものではないはずです。木材と木造建築を取り巻く現状は、自動車のメカニズムがわかっていないドライバーが大勢で道を走っているようだといえるかもしれません。
 これはあまり適当な比喩ではないかも知れませんが、いずれにしても、本書の目的は、ドライバーの皆さんに、構造用材料としての木材と木質材料を「科学」していただくことにあります。

 さて、オリジナル(前書)と本書との大きな変更点は次のとおりです。
@表現をやさしくしたこと。
 文体を「ですます調」に改めました。表現方法については、前書では学部学生程度の初学者を読者に想定していたために、教科書的な表現に統一せざるを得ませんでしたが、本書では現場で木造に携わっている実務者も読者層に含めたので、厳密さを追求するよりも,わかりやすさを第一に考えて、できるだけ平易な表現としました。また、入門書という本書の性格を考慮して、数式だけに頼ることは避け、図と写真を多用して解説するよう努めました。
A樹木に関する記述を多くしたこと。
 前書では、伐採された丸太が様々な加工を経て木造建築の構造体になるまでをカバーしている科学技術体系、つまり「ウッドエンジニアリング」に内容を限定しましたが、本書では生物体としての樹木に関して、より詳細な説明をつけ加えました。その理由は、一昨年に上梓した『今さら人には聞けない木のはなし』(日刊木材新聞社刊)に関する読者からの反応のなかで、多くの建築士や技能士が樹木の機能や成長に関する正確な知識を得たいと考えていることがわったためです。
 本書のタイトルが「木材の知識」ではなくて「木の知識」となっているのは、本書が材料としての木材だけではなくて、樹木も含めた「木」に関する基本的な知識を記述した著書であることを強調したかったためです。
B新製品や新技術について記述を追加したこと。
 本書は前書の改訂版ですから当然のことですが、多くの図や写真を前書から流用しました。ただ、前書の刊行後に登場した新製品や新技術については、できるだけ資料を追加するよう心がけました。さらに、本書はハンドブックやデータ集ではありませんので、表などはできるだけ無味乾燥なデータの羅列にならないよう注意するとともに、新たに得られたデータを追加しました。
C木質構造の章については内容を大幅に縮減したこと。
 樹木に関する解説内容を増やしたのに対して、木質構造の構法と接合に関しては、内容を縮減しました。これはこの分野の専門知識に関して信頼できる類書が数多く発刊されるようになっており、本書で解説する必要性が減少したと判断したためです。
 なお、前書と同様に、本書では「木の強さを活かす」ことに焦点をしぼり、強度特性や構造特性に直接関係しないものについては、躊躇なく省略しました。本書で触れることのできなかった分野については、信頼できる参考文献を巻末に紹介していますので、ぜひそれらを参照していただきたいと思います。

 各種の講演会や大学の集中講義などでいつも強調していることですが、木造では他の構造よりも材料に対する深い知識が必要です。言い換えると、木を知らなければ安全・安心な構造体が造れません。本書が木を知るための一助となれば幸いです。

2012年8月 林 知行