北欧モダンハウス
建築家が愛した自邸と別荘

あとがき


 「今度は夏にいらっしゃい」。

 2011年9月に北欧を訪れた際、ある住宅のオーナーから言われた言葉。成田空港から旅立った時、日本はまだ猛暑であった。調査の半ばで「北欧の9月がこんなにも肌寒かったっけ?」と過去の記憶を思い起こし、厚手のコートを持参しなかったのを悔んだ。私がアアルトのコエタロ(実験住宅)を訪れたのは夏季開業が終わる1日前で、あまりの寒さにユヴァスキュラの街でダウンジャケットとブーツを購入した。北欧の9月は冬を迎える直前の短い秋であった。

 私がデンマークに留学していたのは2006―2008年の2年間で、デンマークは他の北欧諸国(スウェーデン、フィンランド、ノルウェー)に比べると一番緯度が低く、寒暖の差が少ないことに気づく。今回はわずか17日間で4カ国を巡るというタイトなスケジュールの調査旅行だった。留学中に培った人脈や友人のネットワークを頼りに、日本出発前に住宅訪問とインタビューの日程をしっかり組んでいた。自称「晴れ女」の私は、ここでも天候に恵まれ、青空を背景によい写真を撮ることができたのは幸運であった。

 ところで私が北欧に魅せられたきっかけは、アアルトのマイレア邸である。初めて訪れた北欧は、実はデンマークではなく2003年冬のフィンランドだった。当時、慶応義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)修士2年の私は、ヘルシンキ工科大学(現在のアアルト大学)との共同ワークショップに参加しており、自由行動の1日を使って友人ふたりと訪れたのである。その時の感動が忘れられず、私にとってマイレア邸は数ある名建築の中で1番のお気に入りとなった。それ以降もヨーロッパ各地の建築をまわったが、未だマイレア邸は不動の1位(My favorite architecture)を誇っている。

 それから3年後の2006年9月。念願の北欧留学を果たした。ところが、日ごとに日照時間が短くなり、12月になると朝8時になっても太陽が昇らず、辺りは真っ暗である。日が昇っても夕方3時になると沈んでしまい、夜が長い。そんな暗い冬の暮らしを経験し、精神的に参ってしまった。留学先を北欧に選んだことさえ後悔する毎日であった。鬱病患者や自殺者が多いという事実も、冬の陰鬱な日々を過ごすと理解できる。

 ところが「喉元過ぎれば…」という諺のように、春が来て、待望の夏がやってくると、嘘のように「北欧万歳!」に変わるのである。日本のようにじっとしていても汗ばむことなくからっとした気候は、窓を開けてさえいれば冷房不要である。私はルームシェアしていたデンマーク人と爽快に自転車のペダルを漕ぎ、近所の公園や海辺へ出かけ、短い夏を謳歌した。

 しかし冬になると再びあの暗さに馴染めず、友人とクリスマスシーズンはスペインへ渡り、陰鬱な気を紛らわせた。ウッツォンがシドニー・オペラハウスの設計担当者から外された際、祖国デンマークに戻らず、スペインのマヨルカ島での暮らしを選択したのは納得できる。私はこのように北欧での暮らしを通じ、「北欧の光と影」を知った。

 本書で紹介した建築家たちは自らの住宅に夢を託し、妻や家族がそれを支えている。厳しい自然環境の北欧で生き抜くための知恵が、住宅に詰め込まれているのである。

―謝辞―

 とても素敵な本に仕上がりました。帯にメッセージを寄せてくださったミナ ペルホネンの皆川明さん、出版の機会を与えてくださった学芸出版社および編集の宮本裕美さんに深く御礼申し上げます。デザインをお願いしたグラフィックデザイナーの古谷哲朗くんは、慶応義塾大学三宅理一研究室の後輩にあたります。彼は5月に新婚旅行で北欧へ渡り、本書のデザインに北欧らしさを取り入れてくれました。その他、日本だけでなく北欧でお世話になった方々の顔と名前が思い浮かびます。私の研究も家族の支えによって成り立っています。調査旅行中に両親に預けていた犬を亡くしました(享年16歳)。最愛のパートナーの死から立ち直らせてくれたのは、もう1匹の犬でした。本書は私の家族に捧げたいと思います。

 あなたの夢は何ですか? 私も夢を持っています。北欧の建築家たちのように、いつまでも夢と希望を失わず、チャレンジし続けたいと思います。そうすることできっと将来が開けると信じ、ここに筆を置くことにします。

2012年6月山形にて 和田菜穂子