原発と建築家
僕たちは何を設計できるのか。再生可能エネルギーの未来、新しい時代の建築を考えた。

 私は「みかんぐみ」というチームで建築の設計をしながら、山形にある東北芸術工科大学で教えている。東日本大震災では山形市はほとんど被害を受けていないが、震災後の三〜四月は新幹線が不通だったため、大学には通えなかった。また、学生には被災地の出身者が多数いて、とても人ごととは思えなかった。そういう状況で、ツイッターからはいろいろな情報が流れてきた。私は、自分の携わる建築とどう関係しているのか、そう思いながら、原発事故に関する情報を選別し発言し続けた。それが学芸出版社の井口夏実さんの目にとまり、この企画がはじまった。
 正直、話を頂いたときは躊躇(ちゅうちょ)した。私に原発のことなど書けるだろうか。原発はプラントであって、建築ではない。確かに、建築と同じように、耐震性は求められる。でも、依然として建築ではない。だからか、多くの建築家は原発に関して、ほとんど何も言わない。
 多くの建築家は被災地に出向き、ボランティアをしている。住民に寄り添い、阪神淡路大震災から得た知見を活かし、東北でのことを考え、活動をしている。その情熱や思いには頭が下がる。一方、この原A発、国家のエネルギー政策、エネルギーの供給の問題に関しては何も語ることができていない。建築はエネルギーを多くつかう。エネルギーを扱うことは建築家の職能のひとつのはずだ。しかし、多くの建築家にとって、建築の世界の外のことなのだ。
 一方、私は建築のエネルギーに関して、すこし自覚的になっていた。大学でエコハウスの研究、設計、建設に関わり、再生可能エネルギーの可能性に気がつき、鎌仲ひとみ監督の『ミツバチの羽音と地球の回転』(山口県祝島に持ち上がった原発建設をめぐる三〇年来の住民による反対運動と、スウェーデンで持続可能な社会を構築する人々の取り組みの、両方を描いたドキュメンタリー映画。全国六〇〇ヶ所以上で上映されている。)で三〇年にわたる祝島の原発反対の運動を知り、それを自らのパワーポイントに組み込み、レクチャーをした矢先に3月11日を迎え、その後の福島第一原発の事故に向き合うことになる。
 ただ、このレクチャーの際にも原発に対する発言をするときには、特別なタブーのようなものを感じていた。再生可能エネルギーの話には、微塵も感じないこの感情は何なのだろう。原発に対して、何かを言うことには強烈なイデオロギーを感じてしまう。そういうイデオロギーに与(くみ)したくないという感情だ。しかし、もともと私は特定のイデオロギーなど持ち得ていない。そういう状況で、自分のスタンスをどうとるか、本を書くことでは求められる。そこに躊躇した。
 でも、考えるうちにこのことがイデオロギーにみえること自体が問題にすら思えた。原発に関しての発言はイデオロギーの問題ではない。安全の問題、特に技術の問題と理解したほうが良さそうだ。イデオロギーだと考えてしまい、その問題の本質を議論することから遠ざかると、そこで利する誰かがいるように思える。
 もし、もっと原発やエネルギーのことをちゃんと知っていて、何らかのアクションを起こせていたら、この事故は防げたのではないか。客観的に考えれば、地球の資源は有限で、世界がある方向に変わろうとしている。でも日本はエネルギーに対して、比較的鷹揚だった。いままで私は無関心だった。むしろ、原発を必要とする社会に、積極的に参加していたかもしれない。そういう無自覚な行動が、将来に問題を残すなら、それは知らなかったと済まされる問題ではない。まだ社会にでて間もない若者ならまだしも、私たちの年代の大人にとっては、何らかの責任がある。エネルギーに無自覚で、あまりにも都合のいい豊かな状態に安住していたことが、事故の遠因になっていやしないかと考え始めている。
 そうだとすればやることは自ずと決まってくる。関心を持ち、わかることをわかるように説明し、できることを声にだして言わなくてはいけない。本を書き下ろすほど専門家ではないが、本を書くことで、いろいろな人に直接会って取材ができる。私自身が疑問に思っていることも聞けるかもしれない。そういう好奇心と、なかば自分でどうしたら、声をあげられるかを考えながら、この企画を引き受けることになった。建築家としての職能は、一般の知識人とはちがって、この問題をめぐる具体的な解決方法や方向性を探るのにきっと役に立つはずだ。
 この本には結論めいたものはないし、私自身もまだまだ変わり続けるだろう。その変化もこの本の読者と共有できたら幸いである。そう考えながら、様々な専門家の方々へのインタビューを計画するところから、動きだした。