原発と建築家
僕たちは何を設計できるのか。再生可能エネルギーの未来、新しい時代の建築を考えた。

 『原発と建築家』いかがでしたか。単なる原発への反対表明としてだけではなく、次への希望も感じながらお読み頂けたら幸いです。ただ、希望を持つだけではなくて、行動しなくてはいけないし、ダメならダメだと言わなくてはいけない。この本があなたにとっての、その一助になれば、筆者としてはうれしい限りです。

 さて、最後に少しの紙面があるので、もう少しのおつきあいを。
 よくも悪くもインターネットやツイッターがなければ、この本は生まれなかった。とても現代的だと思う。一方で、この一年いろいろ考えるとき、落ち込んだとき、元気を出すとき、いろいろな局面で音楽に助けられた。ぜひ、そのいくつかをここで紹介したい。それこそYou Tubeで検索できるので聴いてみてほしい。

 一曲目は忌野清志郎率いるバンド、RCサクセションの『サマータイム・ブルース』である。私は高校の頃から清志郎の『トランジスタラジオ』とかが大好きだった。その頃は、この歌詞のとおり「授業中に居眠りばかりしてたし、あくびばかりしていた」ので、とても人ごととは思えなかった。なんか、高校生の自分がうまくコントロールできない気分やエネルギーがそのまま歌になっている感じが気に入っていたのである。
 だけどこの『サマータイム・ブルース』だけは「なんでこんな歌を歌うのかな」と感じてしまうような、反原発ソングなのである。コミカルで心に響く。でも、私は結局、二〇一一年三月一一日まで、その意味をちゃんと理解することができなかった。むしろ、理解できないものを人は遠ざける。私はしばらく彼らの音楽と離れてしまっていた。それに、これらの楽曲は放送禁止になっている。今思えば、清志郎は放送禁止になっても、ちゃんと主義を通していた本物のロックンローラーだったのだ。もし、生きていたら、この事故に関して、何を言うのか聞いてみたい。
 紹介する二曲目は『圏内の歌』七尾旅人である。二〇一一年の五月一二日、東北芸術工科大学で行われたFUKKOU LIVE≠ナ七尾旅人が歌った福島の『圏内の歌』。「子供たちだけでもどこか遠くへ逃がしたい」という歌詞は心を打つ。あの時も今も本質的には何も変わっていない。ものすごくなにかしたくてもできなかった時に聞いたので、忘れられない歌となった。『Human ERROR』(FRYING DUTCHMAN)など、他にも印象的な歌が多い。
 これらの歌はもちろんインターネットでしか聞けない。そして、いつ削除されるかわからない。日本のマスコミはそれらを許容できないし、聞いてくれる人の数はまだまだ少ない。まだ、インターネットの内部だけだ。ツイッターでの話題はどんどん流れていってしまってとどまらない。だから、どこかで繋ぎ止めておく必要があった。だから、私はこの本を書いたのだと思う。

 ここまで読んでくださった方に最後にお願いがあります。ぜひ、家族、友人、まわりの人、テレビしか見ない人、そういう人とぜひ原発の話をしてほしいと思います。そして、この社会が少しでも前に進みますように。

 最後に、この本の企画を考え、いろいろ助けてくださった学芸出版社の井口夏実さん、そして家族に感謝したい。

二〇一二年 震災がまだ終わらない早春  東京にて      

竹内昌義