工匠たちの技と知恵


あとがき

  建築の「技術」と「技能」とは、その意味するものが違うというのが、かねてからの著者の主張である。技術とは建築を確実に造る手法で、科学的な知識や判断によって補われ、言語や記号で客観化されることで伝達可能だが、技能は同じように造る手法とはいえ、工匠たちに体得されることでその力が発揮され、豊かな経験と深い知恵はそれを補うもので、この三者とも後世まで文書では正しく伝えにくい性質をもっている。「技」はこの技術と技能とを包括する言葉だが、どちらかというと技能の概念に近い。
 その点からみても、「まえがき」のように10億を越す世界の住まいから、優れた工匠たちが伝える真の技と知恵を見出すことは、そうた易いことでない。いま建てられている住宅が、近代以降の技術と技術者に支えられていることは確かだが、世界のどこでも、その自然の環境や住み手の願いを考えつくした建築が地域と民族の伝統として根付き、技能者である工匠たちがこれを建てている。そのため、少なくともここ30年間、著者が訪れて見た世界各地の魅力的な建築や街並みの造り手、とくに庶民の住まいや仕事場を建てた工匠たちの、その伝統的な技や知恵だけは集めてみて、それを比較するくらい、しなければならないだろう。
 こうした住まいは、誰がどう建てたか、その記録もないのが普通である。あっても言葉や習慣が違えば社会の判断の基準も変わり、なぜその意匠や間取りになるか、その比較がむずかしい。だが、建築の構法からだと、意外とそれを造った工匠のモノへのこだわりが共通して見えてくる。地震や風、材料の変形や寿命などに関する彼らの伝統的な技と知恵は、力の向きや大きさなどという現代と同じ数量的な基準から、その良し悪しが判別できるからだ。建設時期や様式にこだわる建築史研究の見方に比べると、工匠たちと同じ現場にたつ感触が少しは得られるだろう。それが構法中心にみる建築の比較論の取柄なのだが、それにしても対象が多過ぎる。ましてその技の由来までとなると、実例をどうしぼればいいのだろうか。
 そこで、今回は住まいを実際に建てる順に従い、工匠たちが現場で採択せざるを得ない、主要な建築部位の建設手法だけを考えてみた。まずは建物の基礎から始め、柱や杭と床との取り合い、柱・壁の据え方、屋根の架け方、そしてその屋根と街並みとの関係で終わるという順である。しかし、これら住まいの架構を限られた地域について記述するだけで、世界の工匠たちの素晴らしい技と知恵が紹介できたかどうか、著者としてはなはだ心許ない。
 かつてウイーンの歴史民族学者ハイネ・ゲルデルンが、ヨーロッパから東南アジアに至る雄大な文化伝播論を展開したように、本書もユーラシア大陸を跨いだ工匠たちの技や知恵の比較論に発展すべきだ、と著者自身は考えている。だが、その技の珍しさ、知恵の貴さは紹介できたとしても、その歴史的背景やそれが伝播する過程については、正確な記述よりも著者の勝手な推測が多くなってしまった。せめてその初志だけは、表紙にある東西世界の実例を左右比べることで察して戴きたい。本書を通じて、少しでも多くの若い人たちが世界の住まいの歴史や実状、それと優れた工匠たちの果たす役割に興味を抱き、いつの日かそれら建築の技と知恵に関する東西比較論が完成に導かれるよう、心から期待したいものだ。
 会誌に本書の原文を快く連載して戴いた日本建築士会連合会の鎌田宜夫氏と木村行道氏、それを1冊に纏めて戴いた学芸出版社には、ほんとうにお世話になった。末筆ながら改めてここに深い感謝の念を記しておきたい。

太田邦夫