違反建築ゼロ

住まいの安全・神戸の挑戦

序  阪神・淡路大震災のことを忘れない

  平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、多数の住宅が倒壊し、多くの市民が倒壊した住宅や家具の下敷きになり命を失った。平成20年が明けると、13年目の1月17日がやってくる。この間、中間検査を導入した平成10年の建築基準法の大改正や、違反対策の進展により、日本の建築安全は高まったかに見えた。
  近畿弁護士会連合会が開いたシンポジウム“阪神・淡路大震災10年後の検証─日本の住宅の安全性は確保されたか”で、藤江論文を引用しながら基調報告をしていた三浦直樹弁護士はこみあげるものに抗えず、言葉を失った。静寂な時間が過ぎていった。「彼は文化住宅の1階で下敷きになって、生きたまま炎に包まれました。精一杯鋸をひき、壁を壊し、梁をどかし、床をはぎ、彼を助け出そうとしました。火が近づいて来るのがわかった時、毛布に包まれた状態で彼は『俺助かるかな』と言いました。私は『絶対助けたる』と言い返しました。指先だけだった彼の身体も上半身が出てもう少しというところでしたが、スキーの板と折れた柱がどうしてもどけられず、私たちは彼を置いていかなければならなくなりました。『ありがとう。ありがとう』と彼は言いました」(「阪神・淡路大震災における住宅被害による死者の発生とその要因分析」神戸大学修士論文、藤江徹)。
  現代日本が持っている建築技術をもってすれば、死なせずにすんだ命。建築学の責任は重い。
  慶応大学坂本功教授は、「木造住宅耐震補強マニュアル講習会」神戸会場で、次のように口火を切った。「神戸での講習会に臨むときは緊張します。10年前に神戸の建物に十分な耐震性が備わっていたら、6434人もの犠牲者はなかった。阪神・淡路大震災という名前は生まれず、兵庫県南部地震という名称だけ歴史に残り、「大震災」といえば、引き続き、“関東大震災”を示すことになっただろう。」
  平成17年1月に神戸で開かれた国連防災世界会議の開催趣旨の一つは「行政指導による減災」だ。その後、小泉元総理が座長をつとめた中央防災会議は「10年で耐震化率90%」という数値目標を国策に定めた。
  大震災に見舞われてこそ見えてきたもの・テーマ・課題(例えば違反建築、耐震性、既存ビルの火災対策、まちづくり)、これらは、大震災という災害を機に、たまたま一気に神戸に現れた。言い方を変えれば「一斉に浮かび上がった」だけで、神戸だけの課題ではないことを訴えたい。
  全国の自治体の仲間が気付いていたり、悩んだり苦しんだりしていた安全安心の課題、現実には実現が難しいとして「見て見ぬ振り」を決め込んでいた課題を神戸がやってしまった。熱意をもってやってきた。
  使命感かミッションか。「あの情熱はなんだったのか?」という思いもある。それは、自問自答するならば、安全安心という課題が背中を押していたからだろう。繰り返すが、安全安心は神戸だけのことではない、これを本書で訴えたい。

                                  平成19年8月8日
                                  執筆者を代表して 増渕昌利