白井晟一空間読解


まえがき

 白井晟一の設計した建物は、あまりに「哲学的」に語られ、そのため白井の謦咳に接した者にしか理解できないこととして語られて来すぎたのではなかろうか。そのことと白井の建築空間との間には、はるかな距離があるように思う。
  また一方で、白井の建物は実物を見た印象によって述べられてきた。もちろん、実物を見ることは大切なことだ。しかしそれだけでは足りない。たとえ実物を見、さらに詳しく調べ、床下、天井裏へ潜り込めたとしても、解体でもしない限り詳細には断面は解らない。設計者の意図はそうしたところにも現れるからだ。解体することは事実上、不可能だ。しかしそれを読みとるひとつの手段がある。図面を読むことだ。
  白井は図面を徹底して描いてきた。そればかりではない。建物竣工後、それを主として建築雑誌に発表してきた。つまり作品完成直後に定着された新鮮な図面である。それが残ることになる。哲学も、印象も大切だが、建築の当たり前の言語とも言える設計図を読み解く必要がある。
  設計図からつくりあげられた空間、白井を、図面の中に書かれた言葉、あるいは線で表現された形から読みとる必要がある。白井の建物には実物を見ただけでは解らない部分が非常に多いからだ。実物と図面の中に新たな白井晟一が見えてくる。