住まいを四寸角で考える


あとがき

著者が板倉の家づくりに取り組んで、20年の歳月が流れた。その取り組みの輪も、日本の各地に広がりをみせている。この板倉の家は、つくり方のルールは簡単だが、設計者や職人によってでき上がる空間は多様である。ルールにしたがいながらもそれぞれが独自の工夫を凝らして、立地や単価やライフスタイルに対応した結果であろう。見学会に参加すると、設計者や職人の苦労話とともに独自の工夫に話がはずむ。みんな、自分の板倉の家がいちばんだと思っているところがいい。建て主も、このウソのない仕事に納得している。

最初一人で図面を書いていたころからすると、〈設計工房禺〉と共同で取り組んで、板倉の家は大きく進化した。そしていま、〈里山建築研究所〉へと仕事の場を展開して、さらに板倉の家を探求していきたいと考えている。

懸案であった壁倍率認定の取得も、NPO法人の〈木の建築フォラム〉、〈(社)全国中小建築工事業団体連合会〉、〈全国建設労働組合総連合〉と協力して取り組むことで、その目処が付くとともに、取り組みの輪はさらに大きく広がる。大工をはじめとする職人の技が生きる家づくりをめざしてきた著者にとって、これは一つの到達点といえる。

板倉の家の普及に当たって、もう一つの課題であるスギ板の品質管理と安定供給も、この認定の取得をきっかけに、その体制整備の進展が期待できる。板倉の家を望む建て主も、より若い世代へと広がりをみせている。

木の家に特別の思い入れのある建て主と、技術者が苦心してつくり上げるものから、その一つの選択肢として、一般の技術者に共有されるものへと移行し、板倉の家はこれからその真価が問われる。

このような板倉の家の普及を迎える段階で、これまでの仕事を整理し一覧できる本がほしい。あわせて板倉の家の発想の源泉となった民家についての論考も加えて、板倉の家を理解し、自らのものとする助けとしたい。そしてなにより著者自身の一つの区切りとして、これからの展開を探るためにも、一冊の著書としてまとめる必要がある。編集者であり、友人でもある入澤美時いりさわよしとき さんからの、このような強いすすめでこの著作は世に出ることとなった。入澤さんは、著者の設計の仕事をほとんど見てきたし、民家を敬愛してやまないという点でも、これ以上ない編集者であり、その力によってこの本はまとめられた。

板倉の家づくりの仕事を一貫して支持し、発表の機会を与えていただいたのは『住宅建築』誌であり、その作品発表に寄せた論考が、この著作の主要な部分を占めている。その歴代編集長の平良敬一たいらけいいちさん、故・立松久昌たてまつひさあきさん、植久哲男うえくてつおさんの力添えがなければ、板倉の家はここまでの広がりを持ち得なかったであろう。本書のタイトルともなった「住まいを四寸角で考える」という論文タイトルも、立松さんの命名によるもので、著者にとって生涯の宝物である。

大学で研究教育を職務とする著者が、設計業務を行う協力者の助けなしには、板倉の家の技術開発を実践し、家づくりを実現することは不可能であった。仙台における最初の仕事で助力を得た佐々木文彦ささきふみひこさん、板倉の家の主要な仕事にともに取り組んだ、〈設計工房禺〉の対馬英治つしまえいじさん、藤田克則ふじたかつのり さん、越野俊こしのしゅんさん、加藤英司かとうえいじさん、居島真紀いじままきさん(現、〈里山建築研究所〉)。この本で取り上げた板倉の家は、これらの方々との共同作業の成果である。また「横手市立栄小学校」では、小原吾朗さんや横手市建築家協会の皆さんと取り組むことで、木の学校づくりを実現できた。

図面や文章の整理に当たっては、上野弥智代うえのやちよさんをはじめ筑波大学安藤研究室の学生諸君の献身的な助けを得た。入澤企画制作事務所の竹見洋一郎たけみよういちろうさんには編集担当者として、筆の遅い著者に辛抱強くお付き合いいただいた。

そして、〈学芸出版社〉社長の京極迪宏きょうごくみちひろさん、編集長の吉田隆よしだたかしさんには、本書を世に出す機会を快く与えていただいた。

以上のすべての方々のご助力に対し、ここに記して心より感謝申し上げます。

 2005年6月 

紫陽花の筑波山麓にて 
安藤邦廣